:イギリスでも高層マンションが流行した時期があったのですが、最近では人気がなくなって、もう建たなくなっていますね。そこがイギリスのイギリスたるところで、あの国は基本的に、高層マンションを選択しなかった国なんですよ。

茂木:国民が、ってことですね。

:それは、すごく賢明なチョイスだと思います。法的には超高層を建てていいのに、それを選択しなかったというのは、さすが文化、文明の国だと思う。

茂木:日本人だって、もとはすごく高い教養を持っている人たちなんだから、そういった価値観を体感するために、これからは僕らの間でも都会と田舎の二重生活が普通になっていくといいな、と思うんですけどね。

:今は時代が一巡して、若い世代が古い建物の価値をもう一度発見して、シェアハウスやB&Bなどに改修していますよね。それも、一味違うセンスで、お金持ちではなく、普通の人たちが快適に使えるように改修しています。ぼくは、そのあたりに希望を感じます。

茂木:そういうB&Bやシェアハウスを、外国の方たちも好みますよね。それは、まさにオリンピックのときに日本に来る人たちの好みと合致するでしょう。古い建物の改修って、とても手間がかかりますが、手間をかければそれ以上の価値が絶対に生まれます。

茂木健一郎(もぎ・けんいちろう)
1962年、東京生まれ。脳科学者。ソニーコンピュータサイエンス研究所シニアリサーチャー、慶應義塾大学特別研究教授。東京大学理学部、法学部卒業後、 東京大学大学院理学系研究科物理学専攻課程修了。理学博士。

:古いものに価値を置くという態度は、決して因習にとらわれているわけではなく、むしろ新しいもの好きといってもいいことなんです。

イギリス人の「教養」が高層マンションを拒否した

茂木:イギリス人の中には、広い意味での教養があるのだと思います。人生を豊かにするものは、その広い教養だ、という感じを僕は最近、つくづく思うんですよ。どんな田舎に暮らそうが、どんなにお金がなかろうが、教養があれば人の生活は、ものすごく豊かなものになる。しかも、その教養とは大げさなものではなく、さり気ないものなので、別にすごく特別なことが必要なわけではない。日本人はなんで失ったんだろう……まあ、敗戦のせいもあるのかもしれませんが。

:どういう空間に暮らすかということと人間の教養は、すごく関係があると思います。たとえば大理石とか、シャンデリアとか、押し付けられた「高級」を超える価値観というものが、本当の教養じゃないですか。教養は暮らしと一体で、かつ住む空間とも一体のものですが、それが多くの日本の町並みの中で、消えてしまったことは悲しいですね。

茂木:庶民の間だけの話ではないですよね。先の東京オリンピックでは、それこそ日本橋の上に首都高速を通してしまった。そういうことをやっちゃうところが、国家としても教養に欠けていた。でも、今、ようやくその反省が起きて、ちゃんと世界に誇れる都市にしよう、という動きが一方では出てきています。日本橋の上の首都高速も、はずす論議が出ている。

:今の時代に即して言うと、都市計画も含む空間を考える鍵は、グローバルな教養に照らして恥ずかしくない、ということになるでしょう。

茂木:これは安藤忠雄さんに聞いた話なのですが、安藤さんのような方でも、国際コンペでは連戦連敗で、実現しない企画のほうが多いんですってね。それでもあきらめないで続けるしかない。その「あきらめない」ということが大事なんですね。今の時代の建築家とは、テニスの錦織圭選手みたいな存在ですよね。錦織選手も世界トップレベルの実力があって、群を抜いた存在ですが、なかなか勝てないで、苦しい時間があります。でも、そういう厳しい世界で生きていると、どうしたって研ぎ澄まされていくでしょう。

:ぼくも海外のコンペで戦うようになってから、建築に対する見方がずいぶん変わりました。

茂木:隈さんは、どう変わられましたか。

:日本って建築界に限らず、どの業界も内輪の目、すなわち相互監視が強い村社会なんです。いわゆる「いい建築」の基準も、その村社会の中で決まっていて、コンペの審査員も全員が村社会の住人ですから、ぼくはそれに息が詰まる感じを持っていました。でも、海外に行くと、突き抜けることができるんです。

 今、茂木さんがおっしゃったテニスで言うと、海外ではどんなショットも、思い切り振り抜かないと勝てません。日本でやっているときは、ラケットを振り切るなんて、逆にリスクが多すぎるから、途中で止めておかないとだめだ、みたいな歯がゆい感じがあった。でも海外では、ちょっとでもラケットを止めたらコンペには絶対落ちます。「振り抜かないとだめだ」という感じは、ぼくの目を開かせてくれましたね。