本来、日本の木造建築は、ダメになったところを改修しながら長く使うことが前提。日本人はそれをいつしか忘れてしまい、新築志向、空き家急増の事態となった。日本人のセンスを破壊した犯人は何なのか? 高層マンションを嫌うイギリス人との対比から探ります。
(前回から読む)
茂木:日本建築は、法隆寺にしても、正倉院にしても、もともと改修が前提ですよね。改修し、手入れしながら長く使う。逆に言うと、実はそれだけ長く持つというのが、日本の木造建築の特徴だと思うのですが、そのDNAをなぜか、僕たちは忘れてきてしまった。
隈:日本建築というものは、竣工したときが終わりではなくて、ある意味で永遠に続いていくもの。その永続性をいちばん保てるのが、実は木という材料で、逆にいちばん保てないのがコンクリートなんです。コンクリートは部分を取り替えることができないので、改修が必要となったら、全部潰しちゃうしかないのですが、木造ですと、柱とか梁とか、部分を取り替えることで、また使い続けることができます。
茂木:木材の材質自体の加工方法とか、耐火性の向上とか、そういう技術的な進化はあるんですか。
隈:そこには時代の追い風が吹いていて、この20年の間に木材の不燃化や防腐など、技術面はすごく進化したんですよ。木材は空気中の二酸化炭素を木の中に固定することができるので、地球温暖化に対する強い防止策になります。世界の建築家の関心は木材にワーッと集まっているんです。
隈研吾(くま・けんご)
1954年、横浜市生まれ。1979年、東京大学工学部建築学科大学院修了。米コロンビア大学客員研究員を経て、隈研吾建築都市設計事務所主宰。2009年より東京大学教授。(写真:鈴木愛子、以下同)
茂木:日本はそういう技術に関してはすごいですものね。
隈:でも、今は特にヨーロッパがそういう木材の技術をどんどん開発していて、木材先進国である日本が、逆に遅れをとっている状況です。
茂木:え、それはまずい。
隈:とはいえ、国内の技術ももちろん進んでいるし、世界的に木材への追い風がありますから、ぼくも新国立競技場で木を中心にした提案ができたわけです。追い風がなかったら、いくら「木が感じいいです」と言っても、大規模スタジアムに木を使う提案は、受け入れられなかったでしょう。ですから、あらゆる意味でちょうどいいタイミングだったと思います。
茂木:僕も子供のころに住んでいた家は木造でした。とりわけ縁側がすごく好きでしたね。縁側みたいな空間の使い方は、日本の風土に合っていますし、何よりも今のせわしない時代にあっては、いちばん贅沢な感じがします。確かに木造の家は手間がかかるのですが、命にいちばん近く、人間の脳もいちばん安らぎを感じる素材ですね。
隈:やっぱりそうなんですね。
「マンション文化」が日本人のセンスを破壊した
茂木:木材の持つ継続性は、脳にいい。作家の保坂和志さんが、『カンバセイション・ピース』(2003年、新潮社)という小説にも書いていますが、家屋には人々が代々住んできた記憶が残るし、それが人の心を豊かにする。ただ、その豊かさを我々は忘れちゃっているのかな。従来の日本の木造住宅が、どんどんとマンションに変わっていく過程で、今、僕が言ったような住まいの記憶や、そういうものが持っている豊かさ、贅沢さが、日本人から切り離されてしまった。そのことは日本人にとって、非常に不幸なことですよね。
隈:その意味で言うと、コンクリートの「マンション文化」というものが、日本人のセンスを破壊したと、ぼくは思っています。
茂木:ああ……。僕自身もマンション住まいなので、大きなことは言えないのですが、日本人は集合住宅を作る過程で、自分たちが受け継いできた木造空間の価値を失ってしまった感がありますね。隙あらば、いたるところに建てられる売り逃げ的なマンションを見ると、驚くべきかな、日本人の教養のなさ、と感じてしまいます。
隈:マンションって、一戸一戸の間口を最小限にして、ユニットを最大限に詰め込んで、売り主の利益を見込むわけです。狭い間口ですが、一定の間取りを確保して、仕上げに大理石を貼ったりして、高級マンションだよ、という見せかけを作る。そういったテクスチュアマッピングみたいな手口で、質が伴っていない空間を高級だと思わせることを、マンション業界がやってきた。そのビジネスによって、日本人の教養の一部は破壊されたとぼくも思います。
茂木:僕はケンブリッジ大学に2年間留学していたこともあって、イギリスと縁が深く、今でも毎年行っているのですが、イギリスの伝統的なライフスタイルは、「ロンドンと田舎」の二拠点なんですよね。ロンドンではフラットという集合住宅に住んで、田舎では古い一軒家を受け継いで、大切に使い続ける。イギリスの旅館も、昔の古い建物を改修して使っていることが多いんです。オーナーに聞くと、「最初、空き家だった家に入ったときはクモの巣だらけで、一時期はニワトリ小屋として使われてもいたから糞だらけで大変だったのよ」なんて言うのですが、そういう場所を1年くらいかけてきれいに改修して、高級なB&B(ベッド・アンド・ブレックファスト)として運用する。手間をかけると、価値の高いものが生まれるという哲学が国民の間で共有されています。
隈:イギリスでも高層マンションが流行した時期があったのですが、最近では人気がなくなって、もう建たなくなっていますね。そこがイギリスのイギリスたるところで、あの国は基本的に、高層マンションを選択しなかった国なんですよ。
茂木:国民が、ってことですね。
隈:それは、すごく賢明なチョイスだと思います。法的には超高層を建てていいのに、それを選択しなかったというのは、さすが文化、文明の国だと思う。
茂木:日本人だって、もとはすごく高い教養を持っている人たちなんだから、そういった価値観を体感するために、これからは僕らの間でも都会と田舎の二重生活が普通になっていくといいな、と思うんですけどね。
隈:今は時代が一巡して、若い世代が古い建物の価値をもう一度発見して、シェアハウスやB&Bなどに改修していますよね。それも、一味違うセンスで、お金持ちではなく、普通の人たちが快適に使えるように改修しています。ぼくは、そのあたりに希望を感じます。
茂木:そういうB&Bやシェアハウスを、外国の方たちも好みますよね。それは、まさにオリンピックのときに日本に来る人たちの好みと合致するでしょう。古い建物の改修って、とても手間がかかりますが、手間をかければそれ以上の価値が絶対に生まれます。
茂木健一郎(もぎ・けんいちろう)
1962年、東京生まれ。脳科学者。ソニーコンピュータサイエンス研究所シニアリサーチャー、慶應義塾大学特別研究教授。東京大学理学部、法学部卒業後、 東京大学大学院理学系研究科物理学専攻課程修了。理学博士。
隈:古いものに価値を置くという態度は、決して因習にとらわれているわけではなく、むしろ新しいもの好きといってもいいことなんです。
イギリス人の「教養」が高層マンションを拒否した
茂木:イギリス人の中には、広い意味での教養があるのだと思います。人生を豊かにするものは、その広い教養だ、という感じを僕は最近、つくづく思うんですよ。どんな田舎に暮らそうが、どんなにお金がなかろうが、教養があれば人の生活は、ものすごく豊かなものになる。しかも、その教養とは大げさなものではなく、さり気ないものなので、別にすごく特別なことが必要なわけではない。日本人はなんで失ったんだろう……まあ、敗戦のせいもあるのかもしれませんが。
隈:どういう空間に暮らすかということと人間の教養は、すごく関係があると思います。たとえば大理石とか、シャンデリアとか、押し付けられた「高級」を超える価値観というものが、本当の教養じゃないですか。教養は暮らしと一体で、かつ住む空間とも一体のものですが、それが多くの日本の町並みの中で、消えてしまったことは悲しいですね。
茂木:庶民の間だけの話ではないですよね。先の東京オリンピックでは、それこそ日本橋の上に首都高速を通してしまった。そういうことをやっちゃうところが、国家としても教養に欠けていた。でも、今、ようやくその反省が起きて、ちゃんと世界に誇れる都市にしよう、という動きが一方では出てきています。日本橋の上の首都高速も、はずす論議が出ている。
隈:今の時代に即して言うと、都市計画も含む空間を考える鍵は、グローバルな教養に照らして恥ずかしくない、ということになるでしょう。
茂木:これは安藤忠雄さんに聞いた話なのですが、安藤さんのような方でも、国際コンペでは連戦連敗で、実現しない企画のほうが多いんですってね。それでもあきらめないで続けるしかない。その「あきらめない」ということが大事なんですね。今の時代の建築家とは、テニスの錦織圭選手みたいな存在ですよね。錦織選手も世界トップレベルの実力があって、群を抜いた存在ですが、なかなか勝てないで、苦しい時間があります。でも、そういう厳しい世界で生きていると、どうしたって研ぎ澄まされていくでしょう。
隈:ぼくも海外のコンペで戦うようになってから、建築に対する見方がずいぶん変わりました。
茂木:隈さんは、どう変わられましたか。
隈:日本って建築界に限らず、どの業界も内輪の目、すなわち相互監視が強い村社会なんです。いわゆる「いい建築」の基準も、その村社会の中で決まっていて、コンペの審査員も全員が村社会の住人ですから、ぼくはそれに息が詰まる感じを持っていました。でも、海外に行くと、突き抜けることができるんです。
今、茂木さんがおっしゃったテニスで言うと、海外ではどんなショットも、思い切り振り抜かないと勝てません。日本でやっているときは、ラケットを振り切るなんて、逆にリスクが多すぎるから、途中で止めておかないとだめだ、みたいな歯がゆい感じがあった。でも海外では、ちょっとでもラケットを止めたらコンペには絶対落ちます。「振り抜かないとだめだ」という感じは、ぼくの目を開かせてくれましたね。
茂木:今、日本の内側で、もどかしい思いを抱いている人でも、外の風を感じてラケットを振り抜けば、世界で通用する人はたくさんいると思います。それが国内でできないということは、もったいないなあ。
隈:もったいないですよ。日本人の空間に対する感受性や、空間を作り上げる能力は、言語よりも長けている部分があります。ぼくらの世代が、バブルがはじけて海外に行って仕事をやるしかなかった状況は、タフだったけれど、結果的にすごくためになりました。
茂木:認知科学では「ディザイアブル・ディフィカルティ(望ましい困難)」という言葉があるのですが、まさしくそれですね。たとえばアインシュタインは言語野が発達していなくて、彼は5歳までものをしゃべれなかったんです。そういう困難があったのですが、その分、視覚情報、つまりイメージを処理する部分が非常に発達していた。
隈:へえ。
茂木:そういうことが、彼の脳の解剖所見でわかっているんです。アインシュタインは、言語野に困難があったから、イメージでものを考える能力が通常の人よりも発達して、相対性理論のブレイクスルーにつながった。困難があると、人はそれを乗り越えようとして、能力が伸びるんですよ。
「望ましい困難」が人を成長させる
隈:ぼくは昔、自分で作ったガラスのテーブルに手をついたら、それが割れて、右手首の神経を全部切ってしまう、という大ケガをしました。右手の指先は今でも神経がきていないので、指が思うように曲がらないんです。ぼくがワイシャツを着ないのは、一つにはボタンが留められないからで(笑)。
茂木:そうそう、隈さんは右手を大ケガされているんですよね。隈さんが建築の批評でデビューした初期のころって、ものすごく流麗なポストモダニズムの文体で、これは浅田彰か、と僕は驚いたものですが、あれは手書きでしたか。
隈:ケガは建築批評を書き始めたあとだったのですが、ワープロというものが普及していた当初から、ぼくは文章を手で書いていました。
茂木:パソコンも基本的に使わない、とうかがいましたが、今もそうですか。
隈:使っていません。スマホとiPadだけです。そう言うと、みんなに驚かれるんですが。
茂木:だからこそ隈さんのスタイルが確立したんですね。そう考えると、非常に意味深いですよ。何か困難があって、それに対応していくうちに、独自の進化、発展があった。それが「負ける建築」ということなのだろうな。
隈:確かにぼくはケガから変わりました。キーボード操作がうまくできないとわかったから、自分は人とボソボソしゃべりながら作っていくしかないな、と思ったわけです。文章も早く書こうとするのではなく、手書きでボソボソっと書いたものを、まとめていくしかなかった。そういう踏ん切りをつけることができたのは、右手のケガのおかげですね。
茂木:僕は落ち着きがないんですよ。小学生のときから「一人学級崩壊」と言われていて、通知表の生活欄にはずっと「落ち着きがない」という、先生の注意が書かれ続けていました。おそらく今の基準だと、ADHD(注意欠陥・多動性障害)といった判断を加えられた可能性も高いです。
隈:落ち着きがなかったからこそ、今の茂木さんがある(笑)。
茂木:僕のライフワークは「脳科学における意識の研究」ですが、それ以外にもテレビ番組の司会をしたり、こうやって隈さんをはじめとする各界の才人たちと対談したり、あれこれ手を伸ばしているのは、要するに落ち着きがなくて、興味の方向がめちゃくちゃだからです。これでも結構、悩んだ時期はあるんですよ。でも、ある時点から、それが自分なので、もうしょうがない、と、このスタイルを僕なりに受け入れた。不思議なもので、そうやって受け入れると、自分の道が開けるんですよね。
(構成:清野由美)
隈 研吾(くま・けんご) 1954年、横浜市生まれ。1979年、東京大学工学部建築学科大学院修了。米コロンビア大学客員研究員を経て、隈研吾建築都市設計事務所主宰。2009年より東京大学教授。1997年「森舞台/登米町伝統芸能伝承館」で日本建築学会賞受賞。同年「水/ガラス」でアメリカ建築家協会ベネディクタス賞受賞。2010年「根津美術館」で毎日芸術賞受賞。2011年「梼原・木橋ミュージアム」で芸術選奨文部科学大臣賞受賞。著書に『
負ける建築』『
つなぐ建築』『
建築家、走る』『
僕の場所』、清野由美との共著に『
新・都市論TOKYO』『
新・ムラ論TOKYO』などがある。
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