「今回、説教臭いなあ」という声が聞こえてきましたのでもう一発(笑)。桓武天皇の時代に、日本史でお馴染みの最澄というお坊さんがいました。ざっくり1200年前(818年)、彼が国家事業として、比叡山に仏教を教え広める人材育成を行うための“設備投資”を桓武天皇に求めまして、その目的と理由を、天皇に提出した僧侶の修行規則『山家学生式』の中に記しているんです。

 「国宝とは何物ぞ。宝とは道心なり。道心ある人を名づけて国宝と為す。故に古人の言く、径寸十枚、是れ国宝に非ず。一隅を照らす、此れ即ち国宝なり、と」

 国の宝とはたくさんのでっかい宝石(径寸十枚)などじゃない。自分の役割、与えられた使命を一生懸命に果たそうとしている人こそが国家にとっての宝で、そういう人々を自分はこれから育成していくのだ、と、今風に言うとコミットメントしているんですね。

 この連載をお読みの方の中には、組織のリーダーを務めたご経験がある方も多いと思います。皆さん、おそらく大きく頷かれるんじゃないでしょうか。

 国宝、というのも大変な評価ですが、最澄さんがそこまで言うからには、自分の仕事に真面目に取り組む人間は、大変に貴重だということですし、そこに至る道は「コツコツ」で十分、ということでもあります。「平凡も継続すれば非凡」というやつです。

 どこのビジネスでも、局面が大きく変わることも確かにありますけれど、まず、それよりは日々の決まった仕事を「ちゃんとやる」ことが、なによりも大事です。1人ひとりが、与えられた仕事をきちんと、一生懸命やっていくこと。それができない組織が、局面の変化に対応できるかというと、怪しいと思います。

優しくなければ、店長として生きて行く資格がない

 そう言われて、やっぱり説教臭いなあ、と感じられている方は、おそらく、「1人ひとりが与えられた仕事をきちんとやる」という言葉の意味を、狭く捉えているからじゃないでしょうか。「とにかく上の都合に従って、言われたとおりやればいいんだ。お前ら真面目にやれ」という言葉だと思ってません?

 とんでもありません。これは、人間が一流になるための唯一の階梯であり、そして、組織のリーダーに課せられた重く厳しい課題です。「目の前の仕事に一生懸命、真面目に取り組もう」という気持ちに、組織の人々がどうすればなってくれるのか、それを考えない人間にはリーダーの資格がない、というくらいに言い換えてもいい。だからこそ、最澄さんも「国家事業としてそういう人材を育てる組織を作りたい」と願ったのでしょうし、そのくらいの気持ちで取り組むのでなければ、日本に大乗仏教を広めることは難しいとお考えになった…のではないかと思います。

 実際、前もお話ししたとおり、自分が上司から部下に転じてみると、上が考えていることが、いかに伝わってこないかを痛感させられます。考えていることは、言わなければ、絵にしなければ、そして行動してみせなければ、まず組織の中では伝わっていきません。あ、それと、何度も何度も同じことを、言って、見せて、やってみせなければダメです。「だから、貴方に、目の前の仕事を頑張ってほしいのです」というところがしっかり伝わらなければ、リーダーの仕事を果たしたとは言えないし、それでその人が「なるほど、やってみよう」と動いてくれて、ようやくミッション完了なんです。

 そして、真正面から日々の仕事に取り組んでもらうには、言葉だけではダメです。

 自分のやっている目の前の仕事が、どういう意味があって、どう自分の、会社の、世の中の役に立つのかが、腑に落ちねばなりませんし、それを果たすために、会社として、上司として、可能な限りの合理性がある指示や、支援がなければ「なんだ、結局、俺たちにガンバレと言うだけか」と思われるでしょう。