考えてみれば当たり前でした。やっぱり焼き肉専門店のディナータイムは「追加」「追加」のわいわいがやがやの、お祭りのようなテンションがあってこそです。賑やかで活気があふれて、じゅーっという肉の音と匂いが立ちこめて、店全体が元気になっていく。でも、チョンゴル鍋では追加の声がかからず、ぜんぜん盛り上がらない。静か~な店内で、単価は2500円くらい。これはきつい。BSE騒動が起きる前の毘沙門は、上カルビ2000円がばんばん出るお店だったのに。

 そこでさらに考えたのが、季節のコースです。牛はコースの中から減らして、韓国料理としてチヂミ、チャプチエ、石焼きビビンパとか、焼き物は、豚を中心にし、目玉商品も創ろうと、柿の牡蠣グラタン(柿の実をくりぬいて中に牡蠣を入れました)も用意しました。あ、これは韓国にはない、オリジナル料理ですが大好評でした。

 こうして10月、11月の秋のコースメニューが出来上がったら、次は4500人のお客様宛にダイレクトメールです。料理の写真をつけて、直筆で「是非お待ちしております」と数行ですがペンで書いて入れました。1、2行でも直筆だと伝わるところもあるかな、と。これは思った以上に労力がかかり、指にペンだこも作っちゃいました。

 DMは出したものの、時節柄お客様に来ていただけるかとても心配していましたが、DMを持って「直筆で書いてるから来たよ」「大変だろうけど頑張って」とわざわざ来てくださるお客様が結構いたんです。

 私も店の支配人として、毎日客席に立ちまして、「石焼きビビンパは原則、支配人自ら混ぜさせていただきます」と。「ナムルは一品ずつではなく、一緒に混ぜて召し上がると、得も言われぬうまさになりますよ」なんて会話をしながら、毘沙門のファンを増やしていこうと考えたわけです。根が“めしばな”好きなので、食べ方や料理のおいしさの説明にどんどん熱が入り、「支配人は、韓国の方なんですか?」「やっぱりお国のお料理だからかしら、熱意が違うわ」と、勘違いされたことが何度もありました(笑)。会計の時にお客様に「いかがでしたか」と聞いて、「おいしかった!」とにっこりしてもらえる瞬間、これは支配人冥利に尽きますね。

 年末年始を越えて、BSE騒動が発生してから5カ月ほど経ったころ。ますます焼き肉離れが進んで、どこのお店も苦しんでいる中、毘沙門東京ドームホテル店は前年比100%を達成しました。これは心底、嬉しかった。

そして、またまた異動に

 思えば、福岡の焼肉専門店「じんじん」で江頭ファウンダーに鍛えられた成果を、なんとか毘沙門で発揮出来たかな、と。BSE発生当初はものすごく苦しかったのですが、みんなで頑張って少しずつ成果が出てくると、それがだんだん面白くなって、料理長をはじめ従業員も乗ってきて、いろんな知恵や工夫が出てくる。それがさらに成果を生んで、最後はみんな明るく楽しく取り組んでくれた。とても嬉しく誇らしく思ったものです。まさしく危機の中で、部下と情報と感情の共有が生まれ、結果として「優先順位」の摺り合わせが出来た、ということなのかもしれません。

 そうしましたら、2002年3月、当時のロイヤルの中に「焼肉営業部」が新設されて、そこの部長に転じることになりました。部長に返り咲いたんです。「毘沙門」「じんじん」と、ファミリー焼き肉で郊外型の「焼肉万歳」を束ねる部署ですね。

 これでめでたしめでたし、と言いたいところですが、BSE騒動の猛威は止みません。米国から入れている、穀物で育てたおいしい肉が手に入らない。苦労しながら、他の専門店を一緒にした営業部になり、さらに2005年7月、ロイヤルが持ち株会社制に移行する時期と合わせて、専門店業態を合わせた「ロイヤルカジュアルダイニング」ができまして、5カ月後、そこの社長に就任することになったのです。このとき、50歳でした。

 ロイヤルカジュアルダイニングには、焼き肉や専門店の他に、ステーキ・グリル&サラダバーが売り物のシズラーも加わることになっていました。シズラーは、私から見るとちょっと別世界というか、全然違う事業に思えたので、内示の時に当時のロイヤルの社長に「ええっ、シズラーですか」と言ってしまいました。相変わらず、つい思ったことを口に出してしまいます(笑)。社長からは「嫌ならいいんだぞ、やりたいヤツはいっぱいいるんだ」と、ばっさり斬り返されました。

 こんな感じで、降格、逆境、思いもしない会社の社長就任、と、予想外の事態が40代には次々と起こりましたね。