中身に関して、教育の無償化を憲法の中に明記する意図は何ですか。

細野:教育の無償化は(最高法規である)憲法ではなく、法律でもできるんじゃないかという議論があります。もちろんできますし、民進党は実際に提案もしていますので、それはいいことだと思います。

 ただ、法律というのは2つ問題があります。1つは政権が代われば元に戻ってしまう可能性があること。実際、民主党政権時に始めた高校の無償化は自民党政権下で所得制限がかけられてしまいました。これは残念ながら逆行した部分です。

 もう1つは、あらゆる政策課題がある中で、時の政権は優先順位を付けざるを得ないということ。教育が大事であるということに異を唱える人はいません。ただ、今のようにシルバー民主主義の影響が強い状況では、「高齢者向けの社会保障を充実させよ」という声がどうしても大きくなる。(公共事業予算を増やすため)国土を強靱化せよという意見も根強い。そうなると、教育予算を優先的に配分するということにはなかなかなりません。

「21世紀型の教育を受ける権利」を

政権ごとに重視する政策は異なる、と。

細野:そうです。ただ、憲法改正となるとまさに国民合意ですから。教育の無償化を憲法に書き込むことができれば、国として子供の教育に責任を持つということになる。そうすればこれまでとは次元が異なり、最優先に財政的な資源を投入するということになるでしょう。これまでとは、意味合いが全然違うんですね。

 「教育や子育ては家庭の責任だ」という考えは国民の中、とりわけ国会の中には根強くあります。これは一般論としては分かるんです。ただ、私が見てきた若い世代の状況、さらには子供たちの環境というのは、そんなことを言っていたら手遅れになるぐらい深刻です。

 貧困にあえぐ子供たちが置かれた状況を考えると、民進党の中で「憲法改正は必要ない」という議論は、私にはやや不十分だと思います。

 おじいちゃん、おばあちゃんにお金があって、お父さん、お母さんが充実した教育をちゃんと与えることができる家庭の子はいいんですよ。ただ、残念ながらそういう恵まれた家庭というのは今、相当少なくなってきていて、多くの家庭はやっぱり社会の助けを必要としている。

格差の固定化は避けなければならない。

 ですから、子供の教育は社会の責任であるいうことを明確にした方がいいと思うんですよ。「21世紀型の教育を受ける権利」を憲法の条文に書いたのも、それが理由です。

 憲法26条で義務教育の無償化が定められていますが、決まるまでには大きな議論がありました。当時のGHQは「初等教育のみ無償化で良い」という考えでしたが、帝国議会が初等教育(=小学校)だけでなく中学校まで無償にしました。戦争直後の日本は貧しく、財政的にも非常に厳しかった。でも中学までの教育を無償化したからこそ、戦後の人材が出てきた。

 ただ、今の70代の人で幼稚園に行っている人って3割ぐらいしかいないんですね。昔は、お金持ちしか幼稚園に行けなかった。私の世代(40代)はほとんど幼稚園に行っているけど、それでも1割か2割は幼稚園も保育園も通っていない子供たちがいる。

それも貧困が原因ですか?

細野:それもあるし、幼児教育に対する関心の低さもあったと思います。ところが今、幼稚園にも保育園にも行かない子ってほとんどいないでしょう。

 既に無料となっている小学校や中学校に比べて、幼稚園や保育園に子供を通わせている親は若く、相対的に所得が低い。にもかかわらず、幼稚園や保育園は有料です。貧しい世帯の教育費がかかっている。だからこそ、21世紀型の教育を受ける権利を憲法に明記する必要があると考えたのです。

高校以上の無償化について、どのような考えですか。

細野:高等教育(大学や専門学校)についても相当議論しました。中等教育(高校)までの無償化は当然として、大学や専門学校は今、社会でも本当に重要ですから、無償化も考えたんです。

 ただ、うちの地元(静岡県)では自動車産業が盛んで、工業高校卒の優秀な若者ってものすごく大事にされているんですよ。そういう人たちが中堅となり、技術を継承していく。彼ら・彼女らは18歳で納税者になるから、その人たちと大学進学者との公平性をどう取るか。

 あとは、やっぱり大学のレベルも考えないといけない。子供の数が少なくなっているから、誰でも望めば大学に入れる「全入時代」となり、学費をすべて免除してしまうと大学側に甘えが出てくる。それはよくない。ですから高等教育については無償とはせず、「国はその教育環境の整備に努めなければならない」としました。憲法にこう書いておけば、これが根拠となって給付型奨学金の充実につながるからです。