藤原:例えば今ではすっかりスタンダードになったスマートフォン(スマホ)やSNS(交流サイト)。独居老人だってスマホは持っていますが、20~30代が自由に使いこなしているように使えているわけではない。つまり、若い世代のようなスタンダードからは完全に外れているということです。SNSの世界にも乗っていけていない。

 だから、高齢者にスマホを渡して、一人暮らしだけどスマホで外の世界と繋がっているから大丈夫ということは全くないわけです。やはり土台はリアルな世界の中で、どれぐらい他者と繋がりを持って、どれぐらい喜びを持って生きているかが重要なのだと思います。その繋がりの上にSNSが補完的に存在するというのがあるべき姿ではないでしょうか。

役所などの公共施設や小売店、病院などでのトラブルの多さについては、どのように捉えられていますか。

藤原:高齢者がたくさん来るところはトラブルが多い。だから、役所や店舗の側も非常に気を使うし、過剰に接客するということですよね。それでは解決にならないと考えています。単に、いわゆるキレる閾値を下げているだけで、「これまでは一礼していたのに今日はしない、けしからん!」ということになるわけです。だから、先ほどの話に戻りますが、表面的な配慮ということではなく、やはりリアルな人間関係をどれだけきちんと構築するかが大事なのです。

 これは高齢者に限った話ではないですが、地域のコミュニティーが崩壊寸前で、老人会や消防団などの組織率もどんどん下がっている。現代人というのはあらかじめ用意された繋がりではなく、趣味や人生のテーマなどで共通項のある仲間を意識的に求めていますよね。高齢者も、老人会に行ったって面白くないわけですよ。だから行かない、仲良くなろうとも思わない。

 そういう状況を見ていると、実は老人が嫌いなのは老人自身なんだと思ったりしますよね。例えばJR横須賀線なんか乗ると、向かい合わせの4人席にお年寄りが4人乗っているけど、ブスッとして全然話そうともしない。昔は他人同士でもそういう場で会話が弾むようなシーンがあったと思うのですが・・・。

お互いに不機嫌そうで、話しかける雰囲気でもない。

藤原:そう。実は、自分もそうなのですが、相手が不機嫌そうで、すぐ怒りそうだし・・・ということですよね(笑)。

国の抜本的な社会設計が必要

キレる老人に関しては、極端な形では犯罪に走る事例も目立ちます。こうした社会不安の増大という意味でも、問題は非常に根深いと思うのですが。

藤原:ものすごく大きいですよね。社会不安ということでもそうですが、経済的にも医療や介護の問題に関連しても、社会的な損失やコストは非常に大きいのです。逆に言えば、そうした高齢者を生み出さないようにするために、国家が果たすべき役割はより重要になってきていると感じています。

 例えば教育。19世紀以降、国家運営の一つの柱は教育だったと思いますが、それは21世紀も続いていきます。子供の教育は国家を成長させ、支えていく柱ですから。それでは、高齢者はどうかといえば、平均寿命が80代まで延びてきている状況で、もうすぐ死ぬから放っておけばいいということでは全くないわけですよね。

 そうであれば、子供の教育に匹敵するような場所や、退職してから死ぬまでの時間をどのように過ごしてもらうかというノウハウを国が公的に提供するような仕組みが必要だと考えます。

 自分からそれを積極的に求めていくバイタリティーや資産のある高齢者はいいけれど、そうでない多くの人は取り残されてしまう。それが結果的に、甚大な社会的損失を招くことになってしまう。だからこそ、国は高齢者に対して、学びやスポーツ、娯楽や趣味などを提供する場と機会を提供しなければならないと思います。