もともと私の声は良く言えばハスキーという表現になるのだろうが、要はしゃがれ声であった。活舌もいい方ではなかったが、困ることはなかった。

 だが脳梗塞によって⾔葉をコントロールする⼒を失ってみると、そのありがたみが身に染みた。幸いなことに、⽇常⽣活に必要な最低限のコミュニケーションはできたものの、思った事を思ったとおり声にすることができなくなってしまった。⼝が回らないうえに、声量が乏しい。話すのに努⼒が必要になってしまったのである。

テレビの対談番組など、出来るわけがない

 ジャーナリストとして最重要の仕事は取材だが、じつのところ取材はいくら経験を積んでも難しい。取材の成否は事前の準備できまる。取材の技術は1割ほどで、9割は下調べなど事前準備で決まるというのが私の信念である。だが取材は臨機応変に対応できるかどうかが勝負になる。相⼿の話を聞きながら、その真意を探りつつ、次にぶつけるべき質問を懸命に思案しなければならない。事前準備は重要だが、取材時にはあえてそれを忘れ、相⼿と向き合った瞬間に集中する。真剣勝負の取材こそがジャーナリストの醍醐味である。

 しかしこれがけっこう疲れる。1回1時間で1日2人まで。どんなに頑張っても、1日に3人が気力、体力の限界だ。精も根も尽き果ててしまう。

 脳梗塞により自分が発する言葉に不具合を感じるようでは、とうてい取材などできはしない。同様にテレビの対談番組も出来るわけがない。「声」を失いはしなかったが「取材」する力は完全に失ってしまったというのが、私の偽らざる気持ちだった。

自分が発する言葉に不具合を感じるようでは、取材はさらに難しいものになる。(写真:flynt/123RF)