(前回から読む)

たった一度だけ涙を流した時のこと
不覚にも思わず涙を流したことが一度だけあった。初台リハビリテーション病院に入院して間もない頃だ。
初台のリハビリスタッフはチーム制をとっている。メインの担当者以外に3名の理学療法士が私の情報を共有し、バックアップしてくれる体制だった。
「装具は使用しない」
このコンセプトはチーム全体で了解されていた。ところがある日、チームの責任者が「一度だけこれをつけてみてくれ」と言い出した。彼は足底から太ももの付け根まで、右足全体を包み込む皮製の装具を手に持っていた。
膝関節にあたる部分はズボンのベルトのように緩めたり、きつく締めたりして可動域を調整することができる。足首や膝が突然ガクリとして私が転倒しないよう、彼は膝部分を強く締め、右足を一本の棒のようにガッチリと固めた。
「平行棒を左手で持ったまま、それで歩いてみましょう」
なんなく歩けることはわかっていた。初台へ転院する前、急性期病院のリハビリでも、平行棒を支えにさえすれば、四苦八苦しながらも、装具なしでの歩行練習が出来ていたのだから、装具で右足をガンダムのように固めてしまえば当然歩ける。
涙の理由はこの後だ。
地獄の淵で思いがけず、吉兆に出くわした
その理学療法士は、膝関節部のベルトをほどき、膝が自由に動けるようにすると、平行棒から手を放し、フリーハンドで自分の方に歩いて来いというのだ。これには驚いたというか、恐れ慄(おのの)いた。
「いくらなんでも無理だ」
体幹もすっかり弱くなり、姿勢の制御もままならぬ状態だったから、平行棒から手を離せば転倒すると思い込んでいた。しかし右足は“ガンダム”だ。恐るおそる右足を出してみると、魔法にかかったように、スッとでた。今にして思えば、カラダのバランスも悪いし、右足もきれいに前に出せず、外側からぶん回すようになっていたであろうことは容易に察しがつく。
だが1メートル、2メートルと、歩けている現実は、地獄の淵で思いがけず、吉兆に出くわしたようなもので、その瞬間、それまで感じたことのなかった感情が一気に込み上げてきたのである。根拠などあるはずもないが、なぜかその瞬間、私には「歩けるようになれる」という確信が熱い感情となって込み上げてきたのだった。

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