(前回から読む)
「平仮名すら忘れた」という石原慎太郎元知事の発言がこの連載開始を引受けたきっかけであったことから、いきなり脳梗塞による脳の機能障害から書き始めたが、時間を巻き戻して、私が脳梗塞を発症した時の様子を詳細にお伝えしよう。
私の脳梗塞は奇妙な出来事から始まった。

その瞬間は突然やってきた
2015年2月10日(火)の深夜、私は自宅で歯を磨いていた。
突然、めまいがした。
そのめまいの震度が尋常ではなく、このままでは立っていられなくなる、と慌てて口をすすいで居間にもどった。ベッドルームを通り越して、妻がいた居間を目指したのは、自分の身体がただならぬ状況になっていると感じたからだ。
ソファに座り沈み込み、落ち着いたところで血圧を測ると、「上が100、下が60」。普段は上が120くらいだから、かなり低い。そうこうしているうちに、身体に異変が起こってきた。右の手脚から力が抜け、自分のものではなくなってしまったような感覚に陥った。そして舌ももつれた。
「脳梗塞だ」
とっさにそれが浮かんだ。
脳梗塞に対する詳しい知見は全く持ち合わせていなかったが、どのような症状が起こるのかは知っていた。また発症から3、4時間内であれば、脳にダメージを与えることなく血栓を溶かし、後遺症がほとんど残らない治療も可能だという、大雑把な認識はもちあわせていた。
人間ドックなども含め、日頃から私が主治医として頼みとしていたドクターから、こんなエピソードを聞いたことがあった。そのクリニックは東京港区にあり、東大医学部出身のドクターが開業し、医学生時代からの仲間をネットワーク化して、大学病院レベルの医療を町医者感覚で提供するというコンセプトで誕生した。
ある時、脳梗塞を発症した千葉県在住の患者さんが、何が何でもそのクリニックに連れて行ってほしいと、言ってきかなかったそうだ。困った救急隊員は、その医師に電話で患者さんへの説得を頼んできた。
「脳梗塞は時間との競争。病院の優劣よりも治療開始の早さが大切だから、救急隊員に従って、近くの病院で治療を始めてください」
そんなエピソードも記憶の片隅に残っていたものだから、私は躊躇なく、救急車を呼んでくれと妻に頼んだ。11日(水)深夜0:40のことだった。
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