「財部さん、高次脳機能障害の心配はありませんよ」

 今でも鮮明に覚えている検査がある。

 「私が言う数字を復唱してください」

 言語療法士が「1・3・5」と言ったら私も「1・3・5」と答える。短期記憶のチェックである。これを4桁、5桁、6桁と増やしていき、7桁までいえた。いまだかつてない集中力を発揮して答えることができたが、すると今度は「数字を逆から言え」という。

 「1・3・5」と言われたら「5・3・1」と答えるわけだ。これはなかなか、しんどかったが、結果はさらによくなり、なんと8桁まで答えることができたのである。

 「数字を逆に答える方が桁数が多くなる人は珍しい」と言った後で、言語療法士は「財部さん、高次脳機能障害の心配はありませんよ」と御墨つきをくれた。高次脳機能障害などもう気にならなくなっていたと言いながら、心の中で安堵の想いがじんわりと広がった感覚を今でも覚えている。

 約2カ月後の、6月上旬に私は初台リハビリテーション病院を退院し、すでに2年近い歳月が流れた。その間、脳梗塞に関する私の知見も入院時代とは比較にならぬほど深まった。だがその過程で、高次脳機能障害に対する無知を思いしらされることがあった。

足し算と引き算の、一方だけしか出来ない人もいる

 「入院患者の9割くらいの方が、高次脳機能障害を抱えている」

 初台のある療法士の発言は、「正式な統計ではなく、あくまでも個人的な印象」とのことだったが、リハビリ専門病院への入院を必要とする患者の大半が高次脳機能障害を抱えているという言葉に愕然とした。

 ひらがなが読めない。あるいは、足し算と引き算の一方だけしか出来なかったり、両方出来なかったり。その他、記憶障害や注意障害など、高次脳機能障害の症状は複雑で人によってまるで変わってくる。障害の程度も千差万別だ。もちろん高次脳機能障害もリハビリによって改善するし、懸命に取り組んでいる人々を見てもきた。

 しかし手足の麻痺などとは異なり、外見上それとわかりにくいこともあってか、高次脳機能障害は社会的にほとんど認識されていない。その結果、何気なく発した言葉が、高次脳機能障害を負っている人の心を傷つける「鋭利な言葉」になってしまうこともしばしばある。これは本当に不幸な現実だ。

次回に続く)