私がリハビリ病院に入院していた3カ月間、親しくお付き合いをさせていただいた方も、平仮名が読めなかった。手足の運動機能にはほとんど問題がなかったが、平仮名が単なる文字の羅列にしか見えなくなり、どこで区切ったらいいのか、さっぱりわからなってしまったというのである。

 日常会話には何の支障もなかった。黙っていれば傍目には全くわからない。だが文字は読めないというのである。それは私が最も恐れていた「高次脳機能障害」の生々しい現実であり、石原氏の会見は入院当時の苦しい記憶をまざまざとよみがえらせたのである。

恐る恐る新聞や英文を読んだ、「俺の頭は大丈夫なのか」

 脳梗塞の発症直後に、私が最初にやったこと、それはiPadで日経新聞を読むことだった。手にも脚にもそして口や舌の動きにまで、右半身すべてに麻痺があるのだから、「脳」の機能にもなんらかの障害が起こっていてもおかしくないと思えたからだ。

 この時点では「高次脳機能障害」という言葉は知らなかったが「俺の頭は大丈夫なのか」と思った瞬間、空恐ろしい恐怖感がこみ上げてきた事を今でも覚えている。

 恐る恐る日経新聞を読んでみた。

 読むには読めたが、疲れた。頭が疲れるのだ。一面のトップ記事を読むだけでものすごい疲労感を感じた。明らかに何かがおかしい。それを担当の医師に告げると「大量の点滴治療で脳が腫れていることが原因で、点滴が終われば普通に読めるようになりますよ」とのことだった。

 たしかに点滴の管がすべて外された翌々日には、医師の言葉通り、それまで自分の脳を覆っていたボーっとした感覚は消え、日経新聞を読むことに支障は感じなくなったのだが、日本語が読めるようになると今度は英語が気になった。

 「英語は大丈夫か」

 今度はiPadで英経済誌「Economist」を読んでみた。

 読むには読めたが、疲れる。もともと英語が得意な訳ではなく、脳梗塞になる以前も四苦八苦して読んでいたことを思えば、その時点ですでに通常モードに戻っていたのかもしれないが、自信が持てなかった。

 それは英語の読解力に対してではなく、生まれてからこの方60年近く何の違和感もなく、一体感を保ってきた身体が、突然左右に引き裂かれ、片方に対する感覚が全くなくなってしまったのだから、自分自身に対する自信が揺らいでしまうのも当然のことだっただろう。