ところが外出を予定していたまさにその⽇の朝、脳梗塞が発症した。外出中の発症でなかったことは本当に不幸中の幸いであったけれど、事態はまさに「万事休す」だった。

 ⼀刻も早く講演会のエージェントと番組プロデューサー連絡をとり、次善の策をねらなければならない。だがその時すでにろれつがまわらなくなっていた。点滴治療で頭もボーッとしており、もはや⾃分で対応できる状況ではなかった。すべての対応を内⽥裕⼦に丸投げするよりほかなかった。

 内⽥は⾃⾝も経済ジャーナリストであったが、私のスケジュール管理も含め、事務所全体を仕切っていたから、私の仕事をすべて把握していた。⼤和証券出⾝で、うちの事務所に来て、もう20年だ。私に成り代わって事態の収拾にあたってくれた。

 御殿場の講演会には内⽥裕⼦がピンチヒッターに⽴つことになったが、内⽥⾃⾝も混乱の渦中にあったろうし、講演参加者の中には「話が違う」と⽴腹された⽅もおられただろう。

事務所縮小を決断

 『経済深々』はいかんともできず、その⽇の放送は正⽉⽤の特番を再放送することで乗り切る他なかった。ちなみにこの番組は、3⽉末まで毎⽇新聞OBの⽅にホスト役を務めて頂き、そこで打切りとなった。しかし打切りにしても、まだ1カ⽉以 上、番組を継続しなければならない。予定通りゲストの⽅々は出演してくれたが、私が出演をお願いし、私と対談することが出演の⼤前提だったことを考えると、申し訳ない限りだ。

 その後の講演予定、連載、単行本の執筆、テレビ番組の特集取材など、すべての仕事をキャンセルせざるを得ない状況になってしまったことは痛恨の極みだったが、それだけでは終わらなかった。

 私は内田に事務所を縮小してくれと頼んだ。

 担当医からは明確な診断をもらえていなかったが、右半⾝⿇痺の状況からみて、 仕事への本格的な復帰までには相当な時間がかかることは明白だった。⻑期戦になる以上「出るを制する」しかない。幸か不幸か3⽉末で事務所の賃貸契約が更新の⾊にあたっていたため、それを機にオランダヒルズからの事務所移 転を決め、内⽥以外はみな辞めてもらうことにした。

 気の毒だったのが野村証券から転職してきた⼥⼦社員だったが、幸いにも彼⼥は直前に結婚が決まっており、⾃ら退職を申し出てくれた。いまはご主⼈の異動で海外で暮らしているが、幸せそうで、ほっとしている。