国鉄民営化を主導し、JR東海で28年間、代表取締役を務めた葛西敬之氏。教育に危機意識を持ち、同社を含む3社で全寮制の学校を立ち上げた。重視するのは、基礎学力の向上と空想力を育む時間の確保だ。
(日経ビジネス2018年3月5日号より転載)
Profile |
1940年 |
兵庫県生まれ。東京育ち。父から家庭で国語や漢文を習い続ける*1*2 |
56年 |
東京都立西高等学校に入学*3 |
59年 |
東京大学に入学 |
63年 |
同大法学部を卒業、日本国有鉄道に入社 |
69年 |
米ウィスコンシン大学経済学修士号取得 |
87年 |
国鉄民営化を主導し、JR東海発足へ。同社の取締役に |
95年 |
同社社長に就任 |
2004年 |
同社会長に |
06年 |
トヨタ自動車と中部電力などと協力し、愛知県蒲郡市に海陽学園・海陽中等教育学校を開校 |
14年 |
同社名誉会長。リニア中央新幹線の工事を開始する |
18年 |
28年ぶりに代表権が外れ、取締役に就く予定 |
今は小中高等学校でいろいろなことを教え過ぎていると思います。あまりに科目が増えていくので、子供たちにとって本当に必要なことを教えているというより、教師の雇用確保のために必要のないことまで教えているかのような気さえしてしまいます。
特に小中学校においては、大切なものは本当に限られています。それは「読み・書き・そろばん」です。国語力を十分に付け、英語力の土台を作り、数学能力の基礎を身に付けなければなりません。
反復練習をして身に付けるのがとても大事です。これは決して面白いものではないかもしれません。勉強という言葉は「強いて勉める」と書くことから分かるように、詰め込みでも構わないのではないでしょうか。それを英数国に絞るべきなのです。AI(人工知能)のことは分かりませんが、教育の本質は変わらないと思います。
それ以外については時間があれば体育や音楽に取り組むのもいいと思いますが、英数国と同じような重きを置かなくていいでしょう。子供たちには今、負担がかかり過ぎ、自由な時間が圧縮されていると思います。基礎学力の不足を補うために塾に通わざるを得なくなっている弊害もあるでしょう。子供の拘束時間が長くなった結果、自分の興味のあることに時間を割くことがなくなっていますよね。
また、最近は文部科学省が学習指導要領で「生きる力」の育成を重視しています。生きる力とは、本当に何なんだということを説明できる人はいるのでしょうか。健康な体や強い心、他人の気持ちを推し量る感受性なのかもしれません。これらは学校教育だけではなく、様々な体験の結果として形成されるもので、それをすべて学校教育で教えようというのは、文科省の思い上がりのように思えます。
こうした「生きる力」などを授業のカリキュラムの中に入れ、読み・書き・そろばんの時間を減らしてしまう。基礎学力を徹底的にたたき込む代わりに、本来は教えなくていいことを教える時間を増やす傾向があることを危惧しています。
父親による国語の反復学習
私は子供のころから読み・書き・そろばんを徹底的に勉強しました。特に国語と漢文は、国語教師だった父から家庭内で継続的にたたき込まれました。
幼少期から与謝蕪村や松尾芭蕉の俳句を、5歳からは万葉集に詠まれた和歌を口伝えで教えられました。小学生になると、日曜ごとに親子向かい合って論語の勉強です。まず父が読み、私がその通りに繰り返し、丸暗記していきました。早く虫取りに行きたい気持ちはありましたが、論語の勉強は嫌いではありませんでした。
その後も読書会は続き、中学になると「徒然草」「枕草子」、高校では「土佐日記」「更級日記」などを学びました。まず私が声に出して読み、講釈をして、間違ったところがあれば父に直されました。この読書会は先輩と同級生が加わり、生徒は3人になりました。
これらを基礎として、自分で興味の赴くままに遊び、読書をしました。小学生の時は毎日、学校から帰ってくると、田んぼや畑、林に虫取りに出かけました。そして帰宅して夕飯を食べてからは「小学生全集」を夢中で読むのです。菊池寛と芥川龍之介が監修したもので、文学や歴史、科学など様々な分野の本が入っていました。「ジャングルブック」「源平盛衰記」などの本をボロボロになるまで読みました。
読書をしていると、空想が広がっていきます。眠りにつく前に布団の中で、読んだ本の内容を思い出し、歴史上の人物になりきって想像を巡らすのがなんとも楽しい時間でした。このように空想する癖はその後も続き、現実的なシミュレーションの力が付きました。
私は国鉄に入社し、実現できるとは誰も思っていなかった分割民営化を推し進めました。課長という立場ながら、圧倒的な力を持つ労働組合を敵に回して民営化に取り組む過程でも、想像力が役立ちました。例えば「組合は何を考えているのか」「次にどう出てくるのか」ということを常に考え、戦略を練っていたのです。
JR東海発足時の1987年には取締役総合企画本部長に着任し、95年に社長、2004年に会長、14年から名誉会長に就いています。その間に東海道新幹線のシステムを磨き上げ、東京と大阪を約1時間で結ぶリニア中央新幹線の構想を立ち上げ、14年に着工しました。大きな構想を練ることにおいて、想像に遊ぶという幼い頃からの習慣が一つの武器になっています。
効率重視の弊害
今は、子供の想像力や創造力を育むことが難しくなっているように感じます。家庭内ではテレビやゲームに細切れの時間が使われ、休日で時間がある時もテーマパークに行くという育ち方をすると、自分の興味を基に自分で決めることが少なくなってしまいます。今は誰かが作り上げたレディーメードの空想で手軽に満足してしまい、想像力がなかなか育ちません。
私にも孫がいて勉強を見る機会があるのですが、すべてが非常にシステマチックで細切れになっています。一口一口餌付けをするように子供に食べさせると、素直な子はそれを食べて、自然に力が付くという仕組みになっています。受験対策として非常によく分析、組み立てられていて、それに乗るのが最も効率的なのでしょう。ただそのやり方だと、自分で何かを求めるとか、自分で考えて勉強の仕方を工夫する必要がありません。
例えば、英語を勉強する時に我々の時は、まとまった本を読みました。そこには起承転結のストーリーがあり、面白く感じます。ところが最近の教科書はワンパラグラフが長文解釈の教材になっており、それを様々な本から集めてきています。あれでは英語を読む面白さは身に付かない気がします。
実体験の乏しい効率的な教育を受けてきた人は、エビデンス(証拠)に基づくアカウンタビリティー(説明責任)を重視する傾向があります。その通りにやって結果が悪くても、アカウンタビリティーさえ果たしていればいいという。確かにエビデンスは重要ですが、それは過去における事実であり、それが明日、当たるかどうか分かりませんよね。エビデンスですべて説明できるのであれば、株で損をする人はいません。
かつて明治維新や、日露戦争に勝つぐらいまでは自分の頭で考えたのではないでしょうか。しかし日露戦争に勝って以降の日本の教育というのは、大学の成績がいい学生が登用され、アカウンタビリティー主軸になって、自分で想像力や創造力を働かせることや直観力が失われてしまいました。
リーダーシップには創造力が必要です。人間の世の中ですから、他人の気持ちや様々な情報に対する繊細な感受性も不可欠でしょう。これはマニュアルで教われば分かるというものではなく、原体験みたいな人間関係があって、それで自然と身に付いていくものです。兄弟や友人の間との日常生活の中での原体験があり、それを小説や歴史、伝記を読んで膨らませていく。体験は自分の時間でしかありませんが、読書によって他人の時間も取り込むことができるのです。
今は誰かが作った空想で手軽に満足し、想像力がなかなか育たない。
今はそうした時間がなくて、決まったレッスンごとにマスターしていきます。確かに知識は身に付くかもしれませんが、それが自分の行動に結びつくのでしょうか。IT(情報技術)の発達で情報は効率的に集められるようになっているので、ますます人間関係は希薄になっていますよね。
例えば東京大学に入る学生は、激しい競争を乗りこえなければならないので、それなりの知識レベルを持ち、素質もいいと思います。ただし実社会と学生時代に住んでいる世界との間には大きな溝があります。学校は教えることが決まっていて、それをテストで試されて、よく勉強しておけばそれに答えられます。でも世の中に出てみると、課題そのものが分からない訳ですよね。
実社会で活躍するためには、自分で物を見て、自分で判断する。自分で進路を決めて、その責任を自分で取るという生き方に切り替えなくてはいけません。
企業の中には「大学は職場に来てすぐに役立つ即戦力を育成すべき」という意見もありますが、それは現実的ではありません。私は東京大学の法学部を卒業し、海外の大学で経済学の修士号を取得しましたが、職場でその知識が直接、役に立ったことはなかったように思います。大学院までも含めて学ぶことは、すべての土台となる基礎に集中すべきではないでしょうか。
全寮制で人間力を高める
今の世の中で一番弱くなっているのは人間同士の接点です。それを何とかしようという目的から、全寮制の学校を作ろうと考えました。そして、06年にトヨタ自動車や中部電力、JR東海の3社が中心となり、愛知県蒲郡市に中高一貫の「海陽学園・海陽中等教育学校」を開校しました。約650人が共同生活をしながら学んでいます。
特徴としているのが「フロアマスター制度」です。1棟に60人の生徒がいるハウスを、専任教員である1人のハウスマスターと、2、3人のフロアマスターが運営します。フロアマスターは私たちの学校に賛同する企業の独身男性社員です。毎年、企業から交代で派遣してもらい、各フロアの生徒の生活管理をしながら、人間力を育成してもらいます。
私の子供を見ても、濃密な人間関係は重要だと感じました。国鉄ですと転勤が結構あり、先々で国鉄の宿舎が固まっています。同じくらいの年齢の子供がたくさんおり、私の子供たちはその中でもまれるので、割と人慣れしていった気がします。
今は当社の社員でも自分で住む場所を決め、会社が資金援助するという仕組みです。そうすると子供たちは学校と塾以外での人間関係が希薄になります。これを補うのが全寮制のメリットです。海陽学園では個室はありますが、ラウンジが1つなので子供たちが一緒に生活していることになります。
「学住近接」ですから、時間を有効に使えます。寮の中では、携帯電話やインターネットの利用を制限しています。だからといって硬直的な人間になるとは思いません。かえってネットに拘束されない時間を使って自由に読書を楽しみ、想像力を養うことができるのではないでしょうか。
ただし、私たちはエリートを育てることを目的とした学校にするつもりはありません。それより、基礎的な知識を身に付け、人間関係の体験や自然の体験を通じて、想像力を育むことを重視しています。そんな子供たちの中から必要に応じてエリートが現れると思っています。リーダーシップは教育で作ることはできません。リーダーとして育つための潜在的素養を与えるのが教育なのです。
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