むしろ重要なのは、基本的自己肯定力です。それは、自分にはできる、という自信のことですから、小さな頃から育てられます。また、小さな頃に育て損なったとしても、大きくなってからも身に付けられます。そのためにも、我々のような大学も、そうした力を育むことに力を入れなくてはなりません。かつてのように、教師が一方的に講義し、教えたことを暗記しているかどうか試験するという教育の仕方はもう通用しません。学生一人ひとりの能力を生かす形でカリキュラムを編成し、それに沿った形で教育をして基本的自己肯定力を育てるべきなのです。

 子供の教育には競争が必要だという意見は多いと思います。しかし、自己肯定力を身に付けるための教育は、競争がすべてではありません。私自身を振り返っても、昔から劣等感はあるのに競争心はありません。中高時代は勉強が嫌いでほとんどしませんでした。

 兄がすごく優等生で、勉強も音楽もできました。東京大学の医学部か工学部か、どちらに進学するか迷ったり、都市工学の専門家になるかバイオリニストになるか迷ったりしていました。

 そんな兄に比べて私は劣等生でした。よく周囲からは比較されましたが、私は親にあれをやれ、これをやれ、とは言われませんでした。言っても仕方がないと思われていたのでしょう。

 そうした親の教育方針のおかげか、私は兄や他の人と自分を比べることをせず、進むべき道にも迷いがありませんでした。私は読むことや書くことしかできませんでした。高校では学内誌の編集部に入り、編集作業にのめり込みました。写真を撮るのが面白くなって、写真部を作りましたが、現像する機材などをそろえるための予算がありません。そこで学校を説得するために文章を書いたところ先生方が「非常に胸を打たれた」と言って1回で認めてくれたことで、自分の文章力に自信を持ちました。

 その高校時代には、3年間担任だった国語の先生が、日本文学や文化に造詣が深く、大きな影響を受けました。好きな文学者が法政大学の文学部にいたこともあり、法政大学に進学しました。他にできそうなことがないこともあり、大学3年生の時に江戸時代の研究をしようと決めたのです。それをひたすら追求していき、教授になり、法政大学の総長になったという次第です。いまだに競争心とは何なのか分かりません。

 大学の経営でも同じことを感じています。本学は2017年に志願者数が関東で1番になり、脚光を浴びましたが、それは他校との競争の結果ではありません。

 他校の見習った方がいい点は参考にしますが、個性が違うから競争しても仕方ありません。学生はその個性の違いの中で、本学を選んでいます。だったら競争するのではなく、まず自分たちの個性をきちんとつかんで発信し、法政大学はこういう大学ですときちんと表現することが大事なんです。総長になって最初にやったのは、そのことです。本学の原点と方向性を見失わないように「法政大学憲章」を作りました。

 企業はシェアを拡大しなければならないのかもしれませんが、大学は定員が決まっているのでシェアを拡大できません。だから一番のライバルといわれた明治大学とも連携を強化する協力協定を結びました。学生がそれぞれの大学で単位を取れるようにするなど、様々な方法で大学の質を高めるしかないのです。

 私は総長ですが、何か困ったなとか、自分の能力が追い付きそうにないなと思ったら、すぐに周りの人に相談します。周りから能力のない人だなと評価されても構いません。それより大事なのは、総長の仕事を遂行することであって、偉く思われることではないです。

 女性は男性に比べて競争に執着しないところがあるのではないでしょうか。出世しなくていいという気持ちがあるんですよ。男性は出世競争に勝ち抜き、地位を得ることに一生懸命ですよね。私からすると、別に気にしなくてもいいのにと思うことが、プライドに引っかかってしまうようです。

自己表現だけでは通用しない

 海外は徹底した競争社会で、自己表現が不可欠といわれますが、必ずしもそうでもない側面もあります。

 本学の卒業生で、ブルッキングス研究所という米国有数の研究所でシニア・ファイナンシャルマネージャーを務める根本亜紀さんという女性がいます。根本さんが競争に関してこのように話していました。