スタートアップ企業への投資・育成を手がけるMistletoe(ミスルトウ)の孫泰蔵社長兼CEO(最高経営責任者)は日本と米シリコンバレー、アジアを行き来しながら、イノベーションのタネを持つベンチャー企業を「掘り出し」「育て」さらに「世界に拡大」することに取り組んでいる。
泰蔵氏は起業家に絶対不可欠な要素は「自分の頭で考えること」だと語る。何もない「0」から「1」を生み出すには、不可能を可能にする一種の“ミラクル”が必要。定石や王道と呼ばれるものに頼ることなく、自分で全く新しいアイデアをひねり出すしかない。
幼い頃から父・三憲氏に自分で考えることの重要性をたたき込まれた泰蔵氏は、その教えが起業家としての自身の核になっていると振り返る。
起業家にとって、またイノベーションを起こしたいと考える人にとって、絶対に欠かせない要素があります。
それは「自分の頭で考える」こと。人に習ったり、教えてもらったりするのではなく、まっさらな状態から自分の頭で新しいアイデアをひねり出す。
シリコンバレーの起業家であり投資家でもあるピーター・ティールが書いた『ゼロ・トゥ・ワン―君はゼロから何を生み出せるか』(NHK出版)という本があります。「0から1」、つまり全く新しい何かを創造する企業をどう立ち上げるかを語った講義録です。
企業の成長過程には「0から1」、「1から10」、「10から100」「100から1000」といった段階があります。それぞれ異なる難しさがある。ティールもあえてテーマに取り上げている通り、一番重要で一番大変なのはやはり「0から1」をつくることだと私は思います。
よく言われることですが、新しい事業を手掛ける会社を立ち上げるフェーズと、その会社を大きくしていくフェーズとでは全く別の能力が求められます。「1から10」「10から100」「100から1000」に拡大するために必要なのはロジック。戦略を立て、組織や仕組みをつくっていきます。一方、「0から1」をつくるのはロジックではない。むしろアーティスティックな工夫が必要です。
「1」は10倍すれば10に、100倍すれば100になりますが、「0」は何をかけても「0」。世間で定石とか王道と言われるやり方では「1」を生むことはできません。特別なこと、言ってみれば一種の“ミラクル”を起こさなくてはならないのです。
たとえば、新しい製品やサービスを提供し始める時を考えてみましょう。原材料費、人件費、光熱費、オフィスの賃借費など、事業にかかる費用を積み上げ、そこに利益を載せて販売価格を決定するプロセスをたどりがちです。しかし、このやり方ではほとんどの場合、ふつうの人が手を出せないぐらい高い価格になってしまいます。その高い価格のままで売り出せば、どんなに画期的な製品・サービスでも思うようには売れず失敗に終わってしまう。私はこれまでにスタートアップ企業のそういう失敗ケースを山ほど見聞きしてきました。
誰もが素晴らしいと感じる画期的な新製品・サービスでありながら驚くほど安い――。そんな「ふつうではあり得ない」ことを実現しなくては、新たなビジネスはうまくいきません。
「驚くほど安い」を実現する秘伝
では「驚くほど安い」を実現するにはどうすればいいでしょうか。
1~2割程度、費用を下げるというレベルならば、納入業者に頭を下げ、交渉すればなんとかなるかもしれません。しかし費用を4分の1、5分の1に圧縮するには全く違う取り組みが必要です。
私が実践してきたのは、費用の構成比の中で一番大きな割合を占めるものを割り出し、それを劇的に下げる策を編み出すという方法です。これは私にとって新ビジネスを手掛ける時の秘伝。実はあまりオープンにしたくない虎の巻です。
でもせっかくの機会なので、もう少し詳しく説明しましょう。大学在学中に起業したベンチャーで実現した「驚くほど安い」サービスについて紹介します。
2000年代初頭のことです。新たにASP(アプリケーションサービスプロバイダ)サービスを手掛けることを決めました。ASPサービスはアプリケーションソフトが稼働するサーバー(データセンターにある)に、ユーザーが遠隔地からアクセスし利用するもの。ですから、サービスを提供するにはデータセンターを運営する業者と手を組む必要があります。
当時のデータセンターはサーバーを置くスペースやラックだけを用意し、サーバー本体は利用企業が買って納める仕組みになっていました。つまり、新たにASPサービスを始めるに当たり、我々は多くのサーバーを購入しなくてはならなかったのです。しかし、当時のサーバーはとても値の張るもので、お金のない私たちには購入できません。
ではどうしたか。データセンターを運営する業者にサーバーを買ってもらい、私たちが使用した分だけ料金を払うという、全く新しい取引をしてもらおうと考えました。データセンター運営業者に対し、今でいう「クラウドサービス」の形でサーバーを利用したいと申し出たのです。
条件はそれだけではありません。私たちは顧客を囲い込むために当初はASPサービスを無料で提供する計画を立てていました。無料で提供している間は一銭の収入もないからサーバーの使用料も払えません。
つまりデータセンター運営業者に対し、高額なサーバーを購入してもらう上に、当分は収入ゼロという条件で取引に応じてもらいたいと持ちかけたのです。データセンター運営業者からすれば無理難題です。何十社も回りましたが、「そんな都合のいい話があるか」「とても受け入れられない」とはねつけられました。
しかし、1社だけ、米国の会社が立ち上げたばかりの日本法人が興味を示してくれました。彼らもデータセンター事業に参入したばかり。利用企業の獲得に困り、何か画期的なサービスで局面を打開しなくてはならないと思っていたようです。
不可能に思えることを可能にする
「これはチャンス!」とばかりに私たちは猛然と提案を続けました。既に一部スタートさせていたASPサービスのユーザーが日増しに増えていること、いずれは大きな収益が見込めることをデータで示し、いかに将来性があるビジネスかを訴えました。
さらに、「ASPサービスを有料化した後は、通常よりも高い料金を支払う」「データセンター運営業者の営業に全面協力し、いかに素晴らしいサービスかをユーザーとして訴える」「万一、私たちのビジネスがうまくいかなかった時も、データセンター運営業者が購入したサーバーを使う企業を私たち自身の手で最後の1台まで探し出す」といったことを約束しました。
データセンター運営業者が負うリスクを最小化し、得られるメリットを最大化する私たちの提案は、彼らにとっても魅力的なものに映ったようです。最終的には「絶対やりたい」という私たちの熱が伝わったのでしょう。「面白い。やってみよう」と受け入れてくれました。
果たして結果はどうだったか。大成功です。無料サービスを1年半ほど続けたのでユーザー数は増え続け、有料化後も3割ほどが顧客として定着しました。約束通り、有料化後にはデータセンターの利用料金を通常の5割増しで支払いましたからデータセンター運営業者にとっても大きな儲けになりました。以後、この業者は私たちが提案した方法を他のユーザー企業にも広げて収益を拡大していきました。
いかがでしょうか。「0から1」を生み出すには、不可能に思えることを可能にする、ちょっとしたミラクルが必要だということがわかっていただけたのではないかと思います。ここで見た通り、ミラクルを起こすアイデアは、常識を覆すもの、セオリーに反するものです。そもそも今の世の中には存在しないのですから、自分の頭で考えに考え、知恵を絞り出すしかありません。
私はミラクルを起こすアイデアを思いついた時にはいろんな人にそれを話しまくることにしています。新しいアイデアが浮かんだ時、「他の人に真似されたくない」と秘密にしようとする人もいますが、私たちはふつうでは到底、できないことをやろうとしていますから、真似される心配など無用でした。
実際、アイデアを聞いた人のほとんどは「それは難しいなぁ」「ちょっと無理じゃないの?」という反応を返してきました。そんな中で、時に「そういう仕組みがあってもいいよね。でもちょっと技術的な問題があるかな」という具合に、ちょっと引っかかる反応を示してくれる人が現れます。これはチャンス!と「どんな問題ですか。そこ、詳しく教えてください」と突っ込んで話を聞きます。
多くの人に話をして、その反応を受け止め、今ある問題解決のヒントを探る。こうやってアイデアをさらに練り上げ、実現可能なものとしていきます。
「先生の言葉を信用するな」と教えた父の真意
この連載で何度かご紹介したように、私の事業家としての考え方や姿勢は父・三憲の教えが大きく影響しています。「自分の頭で考える」「知恵を絞る」ことの重要性も父からたたき込まれた教えの1つです。
今も覚えている、父のやや過激な言葉があります。
私が小学生だった頃のことです。学校から帰ると、父がこんなことを聞いてきました。
「おぉ、泰蔵。お前、今日、学校で何習った?」
私は得意満面。「分数の割り算ば習ったばい。分母と分子を引っ繰り返してかけるとよ」。習いたての知識を披露してみせます。
しかし、その時、父は想像もしない一言を投げかけてきました。
「そうか。それは良かったな。だけどな泰蔵、学校の先生の言葉を信用しちゃいかんぞ。先生もウソを教えよることがあるぞ」
幼い私はびっくりして、「いや、先生は結構いいこと教えてくれるとよ」と一生懸命フォローしたものでした。
今になって考えると、父は明らかに確信犯。深い意味を込めて、この言葉を言ったのだと思います。
伝えたかったのはまさに「人に習うな」ということでしょう。「安易に盲従せず、自分の知恵をしぼって考えよ」「試行錯誤して自ら編み出せ」「自分で工夫してこそイノベーションは生まれる」ということを教えたかったのです。ただ、そう言っても小学生の私の頭には残りません。だから、わざとインパクトが残るように「先生の言葉を信用するな」と表現したのだと思います。
今思えば、父の教えは「クリティカルシンキング」に通じます。ふだんからすべてのことに疑問を持ち、「世間ではこれが当たり前になっているけど、本当にこのままでいいのか」「今のあり方は正しいのか」と問いかける。その延長線上でこそ、新しいビジネスの発想が生まれるし、費用削減の方法も思いつきます。
今、変化の激しい21世紀に必要なスキルとして「4つのC」が注目されています。それが「Creativity」「Communication」「Collaboration」、そして「Critical thinking」。私はまさに父からこの4Cを徹底して教え込まれたのだと感謝しています。
4つのスキルの中でも特に重要だと思うのがクリティカルシンキング。「本当にそうなの?」と疑問を持ち、自分で考えてみる。これは今すぐ、この瞬間から、誰にでもできることです。その行動こそが、「0から1」を生み出す起業家への第1歩、イノベーション創出への第1歩であることをぜひ多くの人に知ってほしいと思います。
(取材協力:小林佳代)
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