時間の感じ方は年齢だけでなく、その時の心の有り様でも変わってくる。楽しい時はすぐに過ぎてしまうが、辛く苦しい時は永遠に続くように思ってしまう。正月は「もういくつ寝ると…」とまだかまだかと待つが、学校の試験では「明日は試験だ、どうしよう」と焦ってしまう。2020年に行われる東京オリンピックも、私たち一般人は、「まだ」3年以上あると感じるが、オリンピックへの出場を目指す選手や、施設整備・イベント準備に携わる関係者は、「もう」4年を切ってしまったと感じているに違いない。

過ぎた時間を残す手帳

 時間は特定のモノと結びついて、残ることもある。写真は過ぎた時間を固定化する代表的なモノである。記念碑などもそうである。それらのモノには、それぞれの人が過ごした「時間」が固定されている。

 私の場合は手帳だ。前職の会社で配布していた「白い手帳」は、社員の間のみならず、社外の人からも人気があった。表紙は、白地に会社のロゴと年号が銀色にプリントされているだけのシンプルなデザインなのだが、手帳には珍しいA6サイズが、白い表紙とよくマッチしていた。開くと多数年のカレンダーがあるのと、見開き2ページで1カ月分の予定書き込み欄が1年分あるだけで、残りは単なるフリーノートである。人気の秘密は大きさが手頃で書き込みのできるページが多いことと、紙質がよかったことだ。社員の中には年代別にきちんと保存している人もいた。手帳がずらり並んでいる先輩の机は入社後の社歴そのものであり、後輩達の尊敬の対象でもあった。そこには、彼らの過ごした1年が1冊の手帳となって「等間隔」に並べられていたのである。

 仕事が変わった今でも、白い手帳は、かつての秘書さんが毎年年末に送ってくれるので「等間隔」な1年はいまだに続いている。手帳を受け取るとパリッとめくって、先ずは予め決まっているイベントのスケジュールを書き入れる。こうして新しい手帳との1年間のつき合いが始まり、せわしい師走まであっという間に過ぎていく。そして新年を迎える。現金なもので、新年になった途端に、それまで分身のごとくに感じていた古い手帳がたちまち色あせて見えてしまう。元日は新しい手帳の空白の365日を眺めながら、これから始まる1年を思案するのである。

 1年が365日、1日が24時間であることは、誰にとっても同じである。しかしそれをどのような感覚で過ごすかは、一人ひとりの時間の使い方にもかかってくる。学生時代など若い頃は、時間はいくらでもあるような気がした。今考えると、もったいない時間の使い方をしたと思うことがたくさんある。その頃、「タイム・イズ・もうねェ」と意識していたら、ノーベル賞級の研究も出来たのでは? と考えることもある。「Time is money.」は人生のどのステージにおいても妥当性のある格言だ。時間のように平等に与えられているものほど、使い方によって差が生じる。

 前述したように、私の人生は森先生の「人生忠臣蔵説」に従えば既に8段目である。2段目や3段目付近では、時間を無駄使いしたこともあった。病気で、自分の思うように時間を使えないこともあった。残りの時間を「まだ」と思えるか、「もう」と考えるべきかは結構重要なポイントであり、人生をどう考えるかに関わることである。

 今年はうるう秒の年である。今回のうるう秒は、世界共通の標準時である「協定世界時」で12月31日の最後に付け足される。時差9時間の日本時間では、来年元日の午前8時59分59秒の後に1秒が挿入されることになっている。こんな話題も「一秒の定義」が正確になったおかげである。

皆様よいお年をお迎えください。