野中先生の教え「共通善」

 個人的には、経済学者の宇沢弘文先生が提唱された「社会的共通資本」の概念が一つの手がかりになるように思う。

 宇沢先生は社会的共通資本を「社会全体にとって共通の財産」として、次の三つの類型に整理された。

(1)自然環境:山、森林、川、海洋そして土壌や大気も含まれる
(2)社会的インフラストラクチャ―:道路、橋、鉄道、電力、ガスなど
(3)制度資本:教育、医療、金融、司法、文化

 私は、「社会のため=社会的効用」とは、これら社会的共通資本の質的な向上と量的な最適化に、直接、間接に貢献するものであると考えている。以前、このコラムでモノづくりの「What」を考えることが重要だと述べた。「What」を別の言い方で言えば、社会的共通資本の価値向上に貢献するものといえる。そして冒頭から論じている個別最適と全体最適の問題についても、個別最適が社会的共通資本の価値増大に結びつけば、その行動は全体最適の観点からも評価されるということができるだろう。

 先日、経営学者の野中郁次郎先生に久しぶりにお会いする機会があったので、それとなく個別最適と全体最適のジレンマのことをお聞きしてみた。先生は、リーダーは「共通善」に基づいた「善い目標」を掲げる必要がある、それが組織の中で共有されれば、個別最適と全体最適に矛盾は生じず、社会にも適合する、そのようなお話をされた。浅学菲才の身ながら、宇沢先生の「社会的共通資本」と野中先生の「共通善」が頭の中で合致した。

 1970年代にかけて、私たち日本人は、高度成長とともに公害問題も経験した。経済成長を優先するあまり、自然環境という社会共通資本を破壊してしまい、社会全体が苦しむことになった。個別最適と全体最適の問題を考えるとき、確実に言えることは、全体最適の課題は、一定のタイムラグを持って、顕在化するということである。日本は公害問題でこのことを学んだにもかかわらず、2000年代になっても、残念ながら、問題が顕在化しないと動かないという傾向は続いている。

 リーダーは「共通善」に基づく「善い目標」を示さなければならない。それには、個別最適の向こうに全体最適があるのではなく、全体最適を前提に個別最適が成立するのだ、ということを今一度認識すべきである。「三方よし」は「世間よし」を大前提とした上で、次に「買い手よし」「売り手よし」とつながっていく。