ネット通販の進化は、宅配便の発達と相まって、昔では考えられないほど便利な購買手段となった。都内に住んでいれば、朝注文してその日に商品が届くことは、特別なことではなくなった。その上、留守にしていても、連絡すればすぐに再配達に来てくれる。通販業者は売り上げが伸び、消費者は利便性を享受する。

 そう考える一方で、多くの人がこのサービスを利用するとなると、大変な回数の輸送が必要であろうし、宅配会社の手間も相当に増えるのではないか、使用する燃料も増加し、排気ガスも…と思うのは、私だけではないであろう。このように会社という組織の中で全体最適を取りながら事業を進めたとしても、今度は社会の中での全体最適に適合するかどうかという問題にぶつかってしまうことがある。

「世間よし」は実践されているのか?

 日本には、「三方よし」という精神が江戸時代からあった。これは近江商人が信用を得るために大切にしていた考え方で、「売り手よし」「買い手よし」「世間よし」と伝えられている。売り手と買い手の単なる商取引においても、最終的には「世間よし」につながらなければならないというビジネス哲学である。

 この精神は、明治以降になっても、多くの日本企業が、経済活動と社会貢献の両立を創業理念とすることにつながった。パナソニックの創業者である松下幸之助氏は「企業は社会の公器である」として、社会に役立てば、そのご褒美として利益が与えられるのだと考えた。

 ところが近年、経済のグローバル化に伴う企業間競争の激化や経済環境の悪化と相まって、企業は「売り手」と「買い手」の利益や便益を優先し、「世間よし」を後回しにしているのではないかと見えることがある。利益が出たら、その一部を社会貢献に回そうという考え方で、社会貢献を予め企業のコストとして計上してはいない。

 買い手には、顧客第一、カスタマー・ファーストというコンセプトが以前にも増して強調されるようになったし、株主との利害についても、より重要視されるようになってきた。しかし、三方よしで言う「世間(社会)よし」が、これらと同列に位置付けられているかというと疑問である。

 企業の考え方の背景に、企業の役割は競争に勝ち抜くことで利益を出し、そして社会に貢献できる、社会的効用は政府や公共機関などが専ら考えることだという認識があるのかもしれない。最近改めて大学や公的研究機関の役割が、公共財として再評価されていることにはこのような背景があるのではなかろうか。

 失われた20年を経て、日本企業は以前にも増して、収益性を高めることが要求され、新事業につながるイノベーションが求められている。この結果、経済的価値のみを主張するステークホルダーの声が過度に大きくなり、専らその視点から、技術的可能性に期待する風潮が強まっている。環境問題について述べた時にも触れたが、企業ではまだ、社会的効用を生み出すかもしれない技術を「今期待する技術」とみなすことは少ない。繰り返しになるが、関連する費用も必要コストとしては認識されず、利潤の中から拠出するという考え方が根強い。

 企業経営者にとって「社会のため=社会的効用」をどう考え、企業経営の中でどう実行していくかは決して容易な問題ではない。