意識が戻ったその晩、私は不思議な夢を見た。陸上競技場のようなところで、私は第4コーナーのところに立っていた。するとバックストレートから第3コーナーを回ってくる一団が目に入ってきた。一団はチョンマゲをした人や、クワなどをかついだお百姓やらで、みんな手振りをしながら愉快そうに踊っている。音は聞こえないのだが、どうやら一団の人たちは音楽のようなものを聞いているようだった。第4コーナーにさしかかると、一団の人たちは、お前もこっちに来て踊れと私に手招きをしてきた。私の目の先には、生け垣のようなものがあって一応仕切られている。どうしようかと考えているうちに、一団は第4コーナーを回り切りホームストレートの方に消えていった。

 夢うつつの中で、これが三途の川のそばにあるお花畑で手招きをするという例の「あれか?」と思ったのだが、ここは科学者らしく冷静に夢か現実かを確認すべく時計を覗き込んだ。時計が午前2時位を指していた。時計を見たことは、現実に私の目で確認したことで、夢ではなかったと信じている。

 話は変わるが先日偶然見たNHKの番組「モーガン・フリーマン 時空を超えて」で、「死後の世界はあるのか?」というテーマを取り上げた回があり、ハーバード大学の脳神経外科医が登場していた。彼は数年前、細菌性髄膜炎にかかり7日間意識を失っていた。彼はこの病気を、人間が最も死の状態に近づくことができる病気と述べている。脳細胞のエネルギーであるブドウ糖が細菌に奪われ、思考を司る大脳皮質が完全にマヒし脳死状態になってしまうからだ。

 この状態で、彼が真っ先に見たものは、「ミミズから見た世界」と表現していたが、すべてがくすんでいて、色は茶色か赤、そして薄暗い世界だ。長い間そこにいて言葉もすっかり失っていたという。多くの科学者は、ニューロン(神経細胞)に酸素が行き届かず、脳に強いストレスがかかっていたために起きた幻想だと見なしていると語っている。私の経験は「ミミズから見た世界」とは言い難いが、音がなく、色は白黒で全体的に薄暗かったところは共通している。

ベッドの上で考えた「これまで」と「これから」

 緊急入院してから数日後、集中治療室から2人部屋に移された。同室となった患者さんも私と同じ病気だった。この方は発症後2~3週間になるのだが、体に若干のマヒが残り、時折言葉がもつれることがあった。しかし、日常生活には支障がなさそうだった。私は脳に炎症を起こしているから、時折脳圧が上がり、頭を締めつけるような痛みがあったが、それ以外は特に体調に異常はなかったので、ひたすらベッドの上で安静にしていた。

 痛みが次第にやわらぐようになって、改めてこれまでの人生や、これからのことを考えるようになった。この年齢でこのような「死」の体験をするとはまさに想定外であったし、私の「これから」は「これまで」とは大幅に違うものになろうと考えざるを得なかった。毎日ベッドの上で考えた。どうもこれまでは、他人に認められる善き生き方を想定して(空気を読んで)生きてきたのではないかと思うようになった。自分の意に反して「死」に直面することもあるのに、自らの人生をどう考えてきたのか? 本当の自分はどこにあったのか? 将来はおろか一寸先も見ようとせずにただ走ってきただけだったのではないか? 企業戦士然と仕事に打ち込んできたのは、実は自分の将来を真剣に考えなかったからではないか?

 入院はしていても事業部長としての仕事は続いていたから、部下が交代で書類のコピーなどを病室に届けてくれた。体力的にも精神的にも会社に戻る自信がなく、折角届けてくれた書類にも目を通す気にはなれなかった。日中はもっぱら読書にふけっていた。読みたい本を家族に頼んで購入してもらったが、主に「人生」や「死」に関するものだった。1日に1冊位のペースだったろうか、読み終えた本がうず高く積まれていった。看護婦さんが、「死」に関わるタイトルの本が何冊か積まれているのを見つけ、「まだ早いんじゃないですか」とあらぬご心配までおかけした。