研修で使われた野中先生の共著「3Mの挑戦」

 今思うと昔日の感があるのだが、1980年代の中ごろは、日本式経営がもてはやされていた。そのころ、あるコンサルティング会社が主催する研修セミナーに参加することがあった。急速にグローバル化が進みつつある中で、世界に通用するビジネスパーソンを10年間に1000人養成しようと始められたプログラムであった。

 当時はまだ、社員研修にお金をかける余裕が日本企業にも十分にあったのだろう。セミナーは1期3カ月の合宿研修で、日本で1カ月、アメリカで1カ月、ヨーロッパで1カ月、各都市を転々と回るという豪華なスケジュールであったにも関わらず、メーカー、金融、サービス業など日本の代表的企業30数社がこのプログラムに賛同し、幹部候補社員を研修生として派遣した。日本での研修は主として日本語だったが、ほかは英語であった。ちなみにこの研修は当初の計画通り10年間行われたのだが、後半は参加企業が減り、修了生は目標の1000人に届かなかったが、約700人の企業人が受講した。

野中先生に気付かされた3Mとの共通点

 研修では事前に参考図書が与えられ、その中に一橋大学の野中郁次郎先生が共著で書かれた『3Mの挑戦』があった。3Mという会社名はミネソタ・マイニング・マニュファクチャリングの頭文字からとったもので、元々は鉱山会社だった。鉱山業が衰退してくると、鉱物を紙に塗布したサンドペーパーを開発し、それをコア事業とした。またサンドペーパーで培った技術をベースに磁気テープメーカーとなり、「スコッチ」という名ブランドを育て上げた。そして近年、事務用品の「Post-it」など文具の領域にまで進出したかと思うと、その後は液晶テレビ用の基幹部品である機能性フィルムまで手がけている。

 このように次々とイノベーションを創出し続けることによって生き残っている企業なのである。野中先生はこうした3Mの企業戦略を分析してくれたのだが、学んでいるうちに、この会社の歴史は、私の技術者としてのキャリアそのものであることに気付かされた。

 私は大学では鉱山学を学び、メーカーに入って磁気テープの開発に携わっていた。3Mの事業展開と自らのキャリアを重ね合わせてみると、自分と3Mとの間に偶然以上のものがあることを感じていた。そしてこの予感が的中するかのように、その後、3Mがフロッピーディスクや液晶テレビ用の機能性部材の事業を展開していったのに対し、私の仕事もまた同じ道をたどることになっていった。既に衰退しつつあった産業の学問を修めた私ではあったが、この本との出会いによって、これからの自分に新たな希望を抱くことができたような気がした。

 野中先生の戦略論講義は、他の先生方のそれとは少し趣が異なった。どこかに人間は矛盾した存在であること、非合理的な思考に陥ることもあることなどが前提となっていて、私のように迷うことが多い者にとっては、味方のように思われた。そして何よりも製造業から参加した自分にとって、大いに親しみ易い講義のように感じられた。それは先生ご自身が私同様に製造業で勤務をされたご経験をお持ちだったからかもしれない。グローバル企業戦略の研修が続いた中で、ひときわ印象に残る日本と日本人を感じさせる戦略論だった。