前述のように、イチ押し研究だけで50くらいのテーマがある。これを最初に見せると、いろいろな研究をしているのですねという感想は持たれても、産総研がどのような分野に注力し、何をしようとしているのかを理解してはもらえない。ところが、一般的には「具体的」に説明する方が「抽象的」な言葉よりわかり易いと思われることが多い。特に会社や組織全体を説明するときなどは、具体的に詳細まで説明をすると、誠実で透明性が高いと思われるのも事実である。

 しかし、読者の皆さんも経験があると思うが、講演などで、おびただしい数のスライド資料が用意され、やたら個別具体的な話を聞かされることがある。正直そのような講演では、結局何も頭に残らなかったということも度々である。具体的な説明が悪いわけではない。説明する内容によっては、具体的な説明に入る前に、聞いている人に大括りの話としてコンセプトを理解してもらう必要がある。聞く側が具体的な内容を理解できる状態にリードするのである。

 かつて、日本の数学者として名高い先生が、同様の思いをされたのか、ある時、発表している研究者に対し「説明が具体的で私には分かりません。もう少し抽象的に話していただけませんか?」と問い質したという話が伝わっている。現役の数学者から聞いた。これは私の推測なのだが、先生は、いつまで聞いていても一体何について話しているのか皆目見当がつかず、とうとうこらえきれずに、要点を簡潔に話して下さい、と言いたかったのではないか。「抽象的」とは、「現実から離れて具体性を欠いているさま」ととらえられている一方、この数学者のように「抽象して事物の一般性をとらえるさま」をも意味しているのである。

「抽象化する」は、「言い切る」こと

 高松市に産総研の四国センターがある関係で、香川県によく出かける。香川県といえば讃岐うどんの本場として知られており、香川県の認知度を高めるために、いつからか「うどん県」としてアピールするようになった。「うどん」が香川県の看板になったというわけである。

 当たり前のことだが、香川に行ってみると、地元の人たちの自慢は「うどん」だけではない。オリーブもある、金毘羅さんもある、漆器もあれば工業製品のものづくりもある。これらのものは、うどんとは全く関係がなく、うどんという看板の下で売り出すには少々無理がある。当の香川の人たちも「うどん県」だと言ってはみたものの、どこか言い足りない感じをしているらしく、今では「それだけじゃない香川県」という看板もあるそうだ。

 「うどん県」の名称が香川県にとって「抽象して事物の一般性」を捉えていないとしたら、どう表現すればよいのか? オリーブ、金毘羅さん……と羅列しても香川の良さは伝わらない。改めて、香川の「良さ」を一言で言ってくださいと尋ねられたらどう答えればよいのだろうか。これは難問だ。

 人を表す場合も似ている。よく人物を評するときに「あの人はいい人だ」という言い方をするが、これも一般性をとられているとは言えず、むしろ曖昧な言い方に聞こえる。この場合、更にあの人の『良さ』を言ってくださいと聞いたらどうだろう。聞かれた方はグッと返答に詰まるかも知れない。

 「抽象化する」は、「曖昧化する」ことではなく、物事の本質でズバリ言い切ることなのである。このことは説明する対象が多様性を持っていればいるほど難しい。米国ぐらい巨大で、多くの人種や文化を抱えていると「多様性」自体が、米国を表現する看板の一つになるように思うのだが、県のレベルだとそうはいかない。熊本県は言葉で説明する代わりに、キャラクターであるクマモンに県への案内役を託しているように見える。

 ビジネスの現場で、ここまで多様性を持つ内容を抽象化するという難題に出くわすことはまずない。それでも、ビジネスの場において物事の本質を言い切ろうとすれば、常日頃、それをとらえる訓練をしていないといけない。場合によっては「余計な具体」を捨てることも必要である。いわゆる「捨象」である。ビジネス案件のように目的や目標などが明確な場合、捨象は抽象化の有効な手段となる。捨象がストレスなくできるようになると本質に迫ることができるように思う。何気ない会話の中で「その良さは何だい?」と聞かれて、瞬時にして、簡潔かつ的確に答えられるような人は事物の本質をとらえる練度の高い人である。

 前職でも、今の職場でもそうなのだが、重要な会議があると事務方が分厚い資料を用意してくれる。皆仕事に対して誠実なため、私に細大漏らさず伝えようと、時に難解な専門用語も入れながら、実に丁寧に説明してくれている。正直なところ、それらを隅々まで読む物理的時間の確保もできず、内容を理解するのも難しい。辛抱して読み切ったとしても、最終的に脈絡のあるコンセプトにまで再構成できたかというと甚だ自信がないことも多い。乱暴な言い方をすれば、どのような料理があるのか知らないレストランに入って、いきなり100種類のメニューを見せられたような感覚である。どの料理がその店の売りなのか、何がお勧めなのか、全く分からない。資料を用意してくれるスタッフには申し訳ないのだが、私もかの数学者の先生のように「もう少し抽象的にまとめていただけませんか?」とお願いしたくなることもある。