趣味は仕事に生きるもの

 少し話はそれるが、時に「仕事が趣味だ」という人に出会うことがある。こういう人が、自分とは直接関係のない部署にいるときは、傍観していられるが、直属の上司になったすると迷惑を蒙ることもある。私の分析では、仕事が趣味だと言っている人は、要は趣味が見つけられない人である。だから、人の趣味には無関心で、それだけならよいのだが、個人の時間の使い方にも関心を払おうとしないことが多い。そんな人を上司に持つと、自分の仕事が終わって「お先に失礼します」などと言おうものなら、「なんだ。もう帰るのか」と不機嫌になり、時には「では、これもやっておいて」と急に追加の仕事を命じたりする。今、問題になっている「帰りにくい職場」とは、このような人達が醸し出す雰囲気によって作られているのかもしれない。「職業と嗜好の完全なる一致」と「仕事が趣味」とは似て非なるものだ。

 漱石は俳句や書では玄人はだしで、落語や歌舞伎にも造詣が深い粋人だった。科学者の寺田寅彦や俳人正岡子規とは深い交流があった。噺家三代目柳家小さんなど、漱石にとっては「異業種」(?)の第一人者との付き合いもあった。趣味の領域が彼の本業に大きな影響を与えたことは、作品からも読み取れる。漱石の選んだ職業作家の道は、自分の趣味の領域を仕事に直接的に生かすことができる特殊な職業だったと言える。

 別の分野ではどうだろう。物理学者で日本人初のノーベル賞を受賞された湯川秀樹先生に面白い逸話がある。ある時、一人の新聞記者が「先生のご趣味は何ですか?」と聞いたところ、先生は「趣味といって特別なものはございません」と答えられた。更に記者が「それではお休みの時は何をされているのですか?」と尋ねたところ、「時間のある時は本を読んでおります」。記者がしつこく「どんな本ですか?」と聞くと先生は「落語の本です」とおっしゃったという。落語本の読書が先生の研究に直接的な影響を与えた訳ではないだろうが、研究という仕事を進められる上で、何らかの役割を持っていたのだろう。

 同じくノーベル賞を受賞された根岸英一先生と話したとき、先生は人生で最も大切なものとして、「一に健康、二に家庭、三に職業、四に趣味」とおっしゃっていたことを覚えている。根岸先生にとっても研究を続ける上で、趣味の持つ意味は大きいということだ。

 お二人の話とは比べるべくもないが、私も趣味を持つことは自分にとって大切だったと思っている。自分の場合も趣味が直接仕事に反映されるわけではないが、趣味を持つことが、自分の心のバランスを整え、仕事を支えてくれたと感じたことが幾度となくあった。特に前職で会社の経営に携わっていたころ、時間に追われ、ともすると自分を見失いがちになった。そんな時、少しの合間に聞いた落語や移動の時間で読んだ本は、私にとっては心の安定剤になったと思う。仕事で自分に大きな負荷がかかった時代を経て、趣味は仕事を支えるものだということを今は実感している。

 現職になってから、少し時間のゆとりも出てきた。落語は若いころから好きで、今も月一度の寄席通いをしている。音楽を聴くのも、絵画を鑑賞することも好きで、コンサートや美術館にもよく行く。趣味といえるかはわからないが、人と会って飲んだり話したりすることも好きだ。

 一人でいるときは、あれやこれやと想像して、いろいろなことを妄想する時間が楽しい。このコラムで書く機会を与えていただき、自分の考えをまとめることが自分に活力を与えてくれることに気づいた。隔週締切りがあって大変ではあるが、自分の来し方を振り返り、考えを整理する時間はとても楽しい。それで十分なはずなのに、時として職場の人たちに「読んでるか?」などと聞いてしまって、後で少し反省している。