このことは以前、この連載で「割り込み」の話をした時(「列に割り込む中国人は、怒られたらどうするか?」)、中国の人たちは、自分の目の前で割り込まれた時、「割り込みという行為の是非」というスジ的な話よりは、「その割り込みによって自分がどれだけの時間のロスを被るのか」という「損害の大小」にまず意識が行く傾向がある――と説明したのと同じ理屈である。

 つまり、頭の中で常にメリットとデメリットを天秤にかける。すべては「程度の問題」であって、「どっちが得か」という「メリットの量」が基準になりやすい。そしてこれは通常、そのまま金銭に置き換えることができる。要するに、身も蓋もない言い方をしてしまえば、プライバシーを取るか、経済的利益(お金)を取るか、取るのだったら、どちらを「どの程度」取るのか、常に天秤にかけて、自分に最も有利なバランスを考える――ということができる。

「監視されているから安心」という心理

 2017年夏、北海道を旅行中の中国福建省出身の女性が行方不明になり、その後、釧路市内の海岸で遺体となって発見されるという痛ましい出来事があった。各種状況から最終的には自殺と判断されたが、この女性の行方不明中、中国国内の関心は高く、さまざまな憶測が飛び交った。この時の中国国内の反応を見ていると、「日本は街角の監視カメラが少ないから危ない。街を歩くのが恐い」「日本は犯罪があっても犯人を捕まえる方法がない」といった声が少なくなかった。

 確かに中国では、全土の道路という道路、事実上すべての公共空間には、ほぼ隙間なく監視カメラが設置されており、その数は一説には億の単位に達するという。自宅やオフィスの中にいるのでない限り、どこを歩いても、車で通っても、その行動はすべてモニターされている。人々は自分がスマホに付属したGPS(衛星測位システム)で常に位置を捕捉され、決済システムで金銭の支払い、受取り状況を「監視」され、街角にくまなく設置された監視カメラ+顔認識システムで行動をモニターされている。

 そしてこのような状況を政府は「天網プロジェクト(「天網恢恢疎にして漏らさず」の「天網」である)と名付け、こうした政策を進めていることを隠そうとしていない。むしろ積極的に公言し、治安の向上を目指すと高らかに宣言している。

 プライバシーどころの話ではないが、中国の人々はこうした状況をむしろ当然と思っていて、不快感を唱える人は少ない。むしろ「別に何も悪いことはしていないから構わない。生活が安全になったほうがいい」と「守られている感」を持って安心する人が多い。日本に来るとそれがないから不安になるのである。自分に相応のメリットがあれば、第三者に自分の情報を引き渡すことに対する抵抗感は、むろん個人差はあるものの、全般に薄い。

 こうした「監視慣れ」「安全はプライバシーに優先する」という感覚は「個人情報保護、プライバシー至上」というスジ論が強い日本社会では理解されにくい。一方、中国社会では、このような国民の「プライバシーに対する鷹揚さ」は権力者による思想、行動の管理に極めて都合がいいばかりでなく、政府や民間企業による個人情報の収集と活用を容易にし、特にIT化、デジタル化の世の中になって、社会の効率を高めていることは否定できない。

「量」で考える中国社会はデジタル化と相性がいい

 これまで日本国内での中国社会、中国人に対する評価は「チーム内の情報共有が苦手」「個人では強いが、団結力に欠け、チームプレーに弱い」といった評価が多かった。そのことが日本人の「中国には負けない」という自信の根源にもなってきた。その見方に根拠がないとは思わないが、中国社会はいま、高度に進化したデジタルなコミュニケーションの仕組みが社会に深く浸透し、社会的な個人情報の共有が急速に進みつつある。

 その根底に、ここで述べてきたような「プライバシーを“メリットの『量』”で判断する」という中国社会の習性が深く影響している。ものごとを、スジ=「そもそも論」「べき論」で整理するより、現実的な効率を追求したほうが結局は得だと考える、「量=現実的影響」を重視する中国社会の発想がそこにはある。そして昨今の「中国すごい論」の根拠となっている中国の斬新なサービスの飛躍的な成長は、その条件の上に実現したものである。