プライバシーは「守られるべき」というスジ論

 これまでの連載で、中国人は自分の周囲に発生した状況を認識する際、まずその「量=現実的影響」の側面に注目して頭の中を整理する傾向が強い、と説明してきた。一方、日本人はというと「現実=今の状況がどうなっているのか」よりは、まず「どうあるべきなのか」「どんな状態を目指すべきなのか」という「スジ論」を優先するように小さい頃から習慣づけられている。そんな話をした。

 では、プライバシーや個人情報に関する議論を、この考え方に沿って考えてみると、どうなるだろうか。

 まず日本人がイメージしやすい「スジ」のほうから見てみる。

 スジ論で考えれば、プライバシーとは人間にとっての基本的な「権利」であって、守られる「べき」ものである。そこでは、サービスの向上や商売の利益よりも、プライバシーを保障することが絶対的な優先事項となる。

 これが「スジ」であり、人々は個人情報の公開には否定的な姿勢が強くなる。

 もちろん、個人情報をある程度は公開しなければ社会的なサービスを受けることは不可能だから、本人同意のうえで必要な情報は公開することになる。しかし、それはあくまで必要最小限に留めるべきであり、場合によっては、便利さや効率はある程度犠牲にしても、この「権利」は守られなければならない――と考える。それがスジである。やや極端に言えば、こういう考え方を日本の社会はする。

現実を「いかに自分に有利に変えるか」と考える中国社会

 一方、中国社会の底流にある発想は、もっと実利的であり、融通無碍である。

 個人の「権利」という、もともと存在はするが目には見えない話よりも、事実として目の前に存在している状況からものごとを判断する習慣がついている。「本来、どうあるべきか」を考えるよりも、まずどうやったら目の前の現実が自分に有利になるか、効率を高められるか――という観点から考える。それがこの社会ではごく自然な思考の順序である。

 だから、中国では有力なインターネット企業が提供するサービス、例えば、上述のアリペイなどのモバイル決済システムはあっと言う間に普及し、定着した。それ以外にも、日常の足としてすっかり定着したタクシーの配車サービス、シェア自転車、食事の宅配サービスなど、非常に便利で生活上のメリットもある仕組みが登場した際、ほとんどの人は、そのサービスを使うためにむしろ喜んで個人情報を提供した。冒頭の2人の企業家の発言は、中国におけるそういう状況を背景に出てきたものである。

 一方、日本国内では、個人情報保護はいいが、その「スジ論」があまりに強すぎて、IT化、デジタル化の世界的な流れに乗り遅れがちだ。時代に合った個人情報のあり方に発想を改めるべきだ――といった意見を耳にすることも多い。

 では、中国人、中国社会にプライバシーを守りたいという意識がないのか、といえばそんなことはない。誰だって他人に知られたくないことはある。

 しかし、そこでどう考えるのかといえば、中国の人々の関心は「プライバシーが守られるべきだ」という原則論よりは、プライバシーの問題が「どれだけ自分の実生活に不利益をもたらすのか」という点にある。つまり、たとえば個人情報漏洩の問題は「自分の住所や連絡先が勝手に他人の手に渡って、うっとうしいセールス電話やスパムメールがじゃんじゃんやってくるのは嫌だ」という「実害の有無」にある。