この連載は、村上春樹さんの『騎士団長殺し』に刺激を受けた筆者が、まじめにイノベーションについて語ろうという企画である。村上春樹さんの意図はともかくとして、この小説には創造的な経営やイノベーションにとって大切なことがたくさん書かれている。『騎士団長殺し』に出てくるキーワードや暗示が、筆者がつい最近出版した『模倣の経営学 実践プログラム版』と似ているのである。今回は連載4回目の最終回。
(連載
第1回
第2回
第3回 から読む)
村上春樹さんの小説『騎士団長殺し』には創造的な経営やイノベーションにとって大切なことがたくさん書かれていて、筆者がほぼ同時期に出版した『
模倣の経営学 実践プログラム版』と内容で共通する部分がある。
前回は、『騎士団長殺し』の第2部「遷ろうメタファー編」に対応して「創造のための隠喩」や「なぞかけ」について考えてみた。メタファーをイノベーションにつなげるには、「意図的な偶然」があることを述べた。
意図的な偶然というのは、いかにも矛盾した表現に思われるかもしれない。それでも、このようにしか言い表せない。成り立たないようで成り立つという意味では、これは矛盾ではなく逆説、すなわちパラドクスなのだろう。「意図した偶然のパラドクス」とでも呼んでおこう。
セレンディピティ
それでは具体的にどうすればよいのか。ヒントは『騎士団長殺し』の主人公の姿勢にある。異次元の世界で主人公は困難に直面しながらも、感覚を研ぎ澄まして立ち向かう。
「ここは事象と表現の関連性によって成り立っている土地なのだ。私はそこで示されるあらゆる仄めかしを、あらゆるたまたまを正面から真剣に扱わなくてはならないはずだ」(第2部、350ページ)
たまたまの偶然をバカにしてはいけない。「たまたま」を前向きに捉え、それをきっかけに次々と成功を収めるということがある。学術的にはこれを「セレンディピティ」(偶有性)という。幸運をつかみ取れる人というのは、いつでもその準備ができている人で、幸運の女神の後ろ髪を決して離さない人のことである。だから、真剣に扱わなければ想定外の創造性はもたらされない。
ただし、自由な発想に基づく新結合を促すためには、脳みそを萎縮させてはならない。真剣であってもいいが、どこかに「遊び心」も必要なのだ。なぜ遊び心が必要かというと、視野を広げる必要があるからだ。たとえば新結合の対象を探索しに行く時に、ピンポイントで探しに行ってはいけない。ピンポイントに探しに行くということは、そこに明確な意図や目的があるということを意味する。しかし、明確な意図や目的があるということは視野が特定の領域に狭められているということだ。これでは意図せざる出会いなど望めない。
そう考えると、探索というのは、生真面目な人や効率性を重んじる人にとっては難しいことなのかもしれない。なぜなら、探索においては、ありきたりの範囲の枠外にある何かを探さなければならず、好奇心が不可欠だからだ。
経営学の理論でもこのことは検証されていて、企業というのは成熟してくると、「知の探索」を怠るようになる。日々の利益を生み出すためには、手元にある知を使いまわした方が手っ取り早いからだ。このような使い回しから新しい結びつきは生まれないが、当面の利益は得ることができる。
「知の探索」はよほど意識しなければ行われない。だから『模倣の経営学 実践プログラム版』で私は遠い世界とのNEW COMBINATIONSの大切さを強調している。使い回しに終始しないためにも、意外な結びつきを探す努力を惜しんではならない。そのためにも優れたメタファーを味方につける必要がある。
優れたメタファー
それでは、優れたメタファーとは一体どのようなものなのか。再び、『騎士団長殺し』の世界に入ってみよう、文学的な表現ではあるが、この小説に優れたメタファーについての記述がある。
「あの川は無と有の狭間を流れています。そして優れたメタファーはすべてのものごとの中に、隠された可能性の川筋を浮かび上がらせることができます。優れた詩人がひとつの光景の中に、もうひとつの別の新たな光景を鮮やかに浮かび上がらせるのと同じように。言うまでもないことですが、最良のメタファーは最良の詩になります。あなたはその別の新たな光景から目を逸らさないようにしなくてはなりません」(第2部、373ページ)
私が経営学者だからであろうか、この記述を読んだ時にいくつかの企業の名前が浮かんだ。いずれもお手本として崇められている企業なのだが、それだけに、特定のことだけでなく、いろいろな面でお手本になりうる。
見るべきポイントは何か?
その典型がトヨタである。トヨタを模倣するといっても、何をどのように倣うのか。見るべきポイントは人によって異なる。生産システムだけを取り上げても、カンバン、自働化、あんどん、などいろいろな仕組みがある。人の育て方や、サプライヤーネットワークも卓越している。優れた経営を実践しているトヨタから、学べることはあまりにもたくさんある。
これは、トヨタに限った話ではない。同じ会社を模倣しても、頭に思い描く青写真は同じものになるとは限らない。また、いろいろな試行錯誤を重ねれば、その結果、生み出される仕組みも違うものとなるだろう。倣う主体が異なれば、違うものが生まれるのが当然である。
とくに、独自の視点で咀嚼(そしゃく)しながら自分のものにできる人は、自らがおかれた状況に合わせて創造的に模写することができる。その人の経験と相まって、自然に、独自性が生み出されるのである。
たとえば、星野リゾートでは、宿泊客への接客で、嗜好を踏まえたきめ細やかなサービスを提供している。アメリカのホテルでは、分業が進んでいるのだが、星野リゾートでは1人の従業員が複数の職能をこなしている。アメリカのホテルと比べると、部屋数が少ないこともあり、この方が効率的なのである。
星野リゾートにおいて、一人の従業員が複数の職能をこなすというアイデアがどこから生まれたかというと、トヨタ自動車にあるという。トヨタでは生産現場において多能工を育成し、柔軟な分業による需給調整を実現している。これをサービス業に結びつけてイノベーションを引き起こしたのだ。
締めくくろう。イノベーションを殺さないために心がけなければならない点は何か。連載第1回では、何もないところからアイデアを創り出そうとすべきではないと述べた。第2回では、本質を捉えるために「あるのままに見る」ことの重要性を説いた。第3回と第4回では、イノベーションに命を宿すために、メタファーの力を借りるべきだと説明してきた。そのために自分とは無関係に思える世界にも足を踏み入れ、インスピレーションを得てほしい。
模倣の経営学 実践プログラム版
井上達彦著、日経BP社
NEW COMBINATIONS 模倣を創造に変えるイノベーションの王道
企業の競争力と進化に関するパラドクスを解明したベストセラー『模倣の経営学』が、実践的な解説を大幅に増補して新登場!ビジネスモデルとテクノロジーを革新する、「模倣による新結合」の手法を体系化。
●AKB、ジャニーズ、吉本、宝塚、劇団四季で「分類」を学ぶ
●ヤマト運輸、スターバックス、トヨタに「創造的模倣」を学ぶ
●ニトリ、メルセデス・ベンツ日本に「知の探索」「観察」を学ぶ
●中国テンセントの爆発的成長に「模倣の順序」を学ぶ
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