この連載は、村上春樹さんの『騎士団長殺し』に刺激を受けた筆者が、まじめにイノベーションについて語ろうという企画である。村上春樹さんの意図はともかくとして、この小説には創造的な経営やイノベーションにとって大切なことがたくさん書かれている。『騎士団長殺し』に出てくるキーワードや暗示が、筆者がつい最近出版した『模倣の経営学 実践プログラム版』と似ているのである。今回は連載2回目。
(連載
第1回 から読む)
村上春樹さんの7年ぶりの本格長編小説『騎士団長殺し』 (写真:Rodrigo Reyes Marin/アフロ)
前回は、遠い世界からインスピレーションを得て、ビジネスにおけるイノベーションを実現するためのステップを紹介した。それは簡略化すると3つにまとめられる。今回は、その3つのポイントを解説しよう。
1.しっかり観察する
2.本質を顕在化させる
3.自らの世界に落とし込む
1.しっかり観察する
まず第1に、しっかりと観察することが大切だ。ここで思い込みや偏見にとらわれてはならない。判断は後回しにして、ありのままを記録し、描写する。最初は、多面的にものごとを観察して理解を深める必要がある。やがて「これだ」という視角が定まってくるので、ことの本質を浮き彫りにする。
『騎士団長殺し』でも、観察について、判断を保留して「ありのままに見る」という姿勢が推奨されている。騎士団長が主人公に、「しっかりと目を開けてそれを見ておればいいのだ。判断はあとですればよろしい」といって諭す。実に興味深い。
学術の世界では、これをブラケティングという。『模倣の経営学 実践プログラム版』でも述べているが、ブラケティングとは日本語に直訳するとカッコでくくるという意味である。フィールド調査では、異なる文化世界で、自らの価値観では理解できないような物事と遭遇したとき、拙速に判断をするのではなく、ひとまずカッコにくくって判断を保留しようという態度が奨励されている。顧客の行動観察をしたり、インタビューを行ったりするときに役立つ考え方だ。
イノベーション教育の授業では、その演習も行われる。あらかじめ、その事柄に関して“知っている”と思っていること(すなわち先入観となりうるもの)を書き出す。そして、それをメモ書きして箱の中に入れて、ひとまず横に置いておく。こうすることで、意識的に先入観にとらわれないようにする。
イタリア料理店サイゼリヤを創業した正垣泰彦さんもその自著で、ありのままに見ることの大切さを説く。「『物事をありのままに見る』ことで、私の言葉で言うところの『原理原則』を知り、正しい経営判断ができる可能性を高めることはできる」という(正垣泰彦 著『おいしいから売れるのではない 売れているのがおいしい料理だ』日経BP社、2011年、29ページ)。
2.本質を顕在化させる
第2に、その観察から対象の本質を顕在化させる必要がある。経営の原理原則として抽出する場合もあれば、ビジネスモデルの「型」として抽出する場合もある。ビジネスにかかわるイデア(ものごとの原型)として描き出せるようにする。
観察が多面的であれば、この作業も幾分か容易になるようだ。異国や異業種の店舗について徹底した観察を推奨するニトリの創業者、似鳥昭雄さんは次のように語っている。
「物事はすべて立体で、四次元で表さないと『本質』というのはわからない。一枚の絵を見たときに、その絵の奥行きはもちろん、その世界の空気や温度や時代背景までも観察する」(筆者によるインタビューで、2012年)
『騎士団長殺し』でも、主人公は、ある少女の肖像画を描くとき、彼女を全体として理解するために、3つの異なる角度から3枚のデッサンを描いている。これは何も肖像画の下書きにするためのものではない。モデルの本質を浮き彫りにするためのものだ。多面的に描くことで段階的な理解が進む。
主人公によれば、「生きた肖像画を描くために必要とされるのは、相手の顔立ちの核心にあるものを見て取る能力だ」。地道で段階的なステップを踏むことで「彼女という存在をいったん私の内側に取り込んでしまうこと」が可能になる。とても印象的なコメントに思えた。
3.自らの世界に落とし込む
第3は、本質を自らの世界に適用してみるというものだ。「ものにする」「形にする」「具現化する」わけだ。具現化の対象は、経営の場合、製品・サービスやビジネスモデル、あるいはテクノロジーや組織の制度、ときには経営戦略であったりする。
観察している対象の内在する「本質」を自分のイメージの中に投影できていれば、構造を描きだすことは容易である。その世界に固有の脈絡を、枝葉を切り落とし、観念としての純度を高めて他の世界に転用できるようにすればよい。
この3年間、私は、海外のイノベーションのワークショップを学ぶ機会に恵まれた(WASEDA-EDGE 人材育成プログラム)。そこで気づいたことが1つある。他の国や地域のビジネスや異業種の業界に移転するのに大切なのは、骨格の部分と筋肉の部分だということだ。その外にある肉付きや容姿の部分に目が行きがちであるが、遠い世界からの模倣イノベーションにとって肝心なのは、そこではない。
『騎士団長殺し』でも、主人公は、近隣に住む謎めいた免色渉という人物について自らのキャンバスに骨格と筋肉にあたる部分を描き出した。そして、次のように内省している。
「その形象は免色渉という人物の存在感を生み出す、内的な動きのようなものを掬い取り、捉えていた。しかしそれは人体図でいえば、骨格と筋肉だけの状態だ。内部だけが大胆に剥き出しになっている。そこに具体的な肉と皮膚をかぶせていかなくてはならない。」(第1部、196ページ)
本質を見抜けるか
今、何かと話題になっているヤマト運輸の宅急便。小倉昌男さんは、その宅急便を立ち上げるとき「サービスが先、利益は後」というスローガンを掲げたそうだ。何十年経っても歴史に残る名言だ。このスローガンを自らの実践に生かそうという経営者も少なくない。これには納得がゆく。
みなさんは、この言葉の本質をどのように捉えるだろうか。世の中には「サービス残業をして会社の利益を生み出せ」と解釈して社員を叱咤している経営者もいるという。これには驚かされる。
小倉さんが意図したのは、全国の拠点を結ぶサービスのインフラを十全に整えなければ、誰も利用してくれないということだ。だから、先に運送のネットワークの整備をし、十分な数のトラックを配備し、十分な人手を配置する必要がある。
宅急便が始まる前といえば、配送に3〜4日かかる郵便小包しかなかった時代だった。翌日に荷物を届けられるサービスがあれば、人々は喜ぶはずだ。たくさんの人が使ってくれれば荷物の単位コストも下がる。サービスネットワークに流れる荷物の密度が高まれば、自ずと利益もついてくる。だから、短期的な採算を度外視してでもインフラへの投資を怠るべきではないと伝えたのだ。
要するに「損して得とれ」ということである。経営戦略としてはインフラの整備に資源を集中せよ、ということになる。よい連鎖を引き起こすポイントを見極め、そこに社運をかける。当たり前のことではあるが、当事者である小倉昌男さん自身は、宅配便の本質を見抜いていた。
一方、競合他社は必ずしもこの本質がわかっていなかった。サービスを開始して間も無く、宅急便を模倣しようとする業者が35社も出てきたという。いずれの業者も、本質の顕在化を怠り、表に見える部分ばかりをスケッチしたそうだ。「ヤマトの宅急便が成功したのは、母猫が子猫を優しく確実に運ぶように荷物を運ぶというシンボルマークがあるからだ」と早合点して、イヌやゾウなどのネコよりも強そうな動物をシンボルにした。
しかし、そういったシンボルさえあれば成功するというものではない。小倉氏は疑問に感じたという。
骨格や筋肉の部分こそが大切だ。厚い表皮に覆われたところに隠されている本質を見抜き、それを顕在化させてほしい。遠い世界で見つけたビジネスの型や原理を、自らの世界に結びつけてみてはどうだろうか。
イノベーションを殺さないためには、ゼロイチという幻想に囚われないでほしい。既にあるものでいい。結びつけて面白いものを探してみてはどうだろうか。できるだけ遠い世界、自分とは無関係に思える世界にも足を踏み入れてほしい。ヒントやインスピレーションが得られるかもしれない。
このときに役に立つのがメタファーである。なぜなら、メタファーはものとものとを結びつける力を持っているからだ。これについては、次回紹介する。
模倣の経営学 実践プログラム版
井上達彦著、日経BP社
NEW COMBINATIONS 模倣を創造に変えるイノベーションの王道
企業の競争力と進化に関するパラドクスを解明したベストセラー『模倣の経営学』が、実践的な解説を大幅に増補して新登場!ビジネスモデルとテクノロジーを革新する、「模倣による新結合」の手法を体系化。
●AKB、ジャニーズ、吉本、宝塚、劇団四季で「分類」を学ぶ
●ヤマト運輸、スターバックス、トヨタに「創造的模倣」を学ぶ
●ニトリ、メルセデス・ベンツ日本に「知の探索」「観察」を学ぶ
●中国テンセントの爆発的成長に「模倣の順序」を学ぶ
Powered by リゾーム?