(前回から読む)
清野:前回は1962年のキューバ危機についてうかがいましたが、もう一つ、私たちの記憶に残っている危機が、1994年の北朝鮮核ミサイル危機です。核の時代を生きる我々にとって、この危機はどういうものだったのか、あらためて教えていただけますでしょうか。
手嶋:金日成時代の晩年に持ち上がったのが、「第一次北朝鮮核危機」と呼ばれるものです。
北朝鮮は93年に核拡散防止条約(NPT)と、国際原子力機関(IAEA)を脱退し、核実験とミサイル発射実験に突き進んでいきました。板門店で開かれた南北特使の会談では、北朝鮮の代表が「戦争が起こればソウルは火の海になる」と発言して、緊張が一気に高まりました。
清野:当時から、「火の海」が、あの国の決めゼリフだったんですね。
手嶋:もう時効なので申し上げていいと思いますが、当時、内閣官房長官からの強い求めもあって、北朝鮮の核ミサイル危機をめぐる「クライシス・マネジメント」の検討委員会の一員を、私は務めていました。
清野:今、明かされる秘話。当時はまだNHK政治部の記者でいらっしゃいますよね。
手嶋:最初のワシントン特派員の勤務から帰国した後のことで、外交を担当しておりました。米国政府の安全保障関係者に多くの知己がいましたので、助言を求められたのでしょう。でも、一介の現場の記者でしたから、今から考えると、頼むほうもかなり大胆でしたね(笑)。
「在日米軍出動の理論的根拠を」
清野:手嶋さんのインテリジェンス網の一端がまた少し見えましたが、この時のミッションは何だったのですか。
手嶋:朝鮮半島で有事が持ち上がった時には、在日米軍の部隊が出動することが想定されます。
しかし、そうした大がかりな部隊の出動は、日米安保条約に定められた「事前協議」の対象になります。米国側が事前協議を提起してきた時、「在日米軍を朝鮮半島に出動させてよろしい」と「イエス」の回答をするためには、どうすればよいか。その理論的な構築について考えてほしいといわれました。
手嶋 龍一(てしま・りゅういち)NHKの政治部記者として首相官邸、外務省、自民党を担当。ワシントン特派員となり、冷戦の終焉、湾岸戦争を取材。ハーバード大学CFIA・国際問題研究所に招聘された後、ドイツのボン支局長を経て、ワシントン支局長を8年間務める。2001年9.11の同時多発テロ事件では11日間の昼夜連続の中継放送を担った。2005年NHKから独立し、日本で初めてのインテリジェンス小説『
ウルトラ・ダラー』(新潮社)を発表。姉妹篇『
スギハラ・ダラー』と合わせ50万部のベストセラーに。近著に『
汝の名はスパイ、裏切り者、あるいは詐欺師-インテリジェンス畸人伝』(マガジンハウス)。最新刊は、主要国が少数の政治指導者に強大な決定権を委ねる危うさを警告した『
独裁の宴-世界の歪みを読み解く』(中公新書ラクレ・佐藤優氏と共著)。現在は、大学や外交研究機関で外交・安全保障を中心に後進の指導に取り組む。
清野:朝鮮半島有事の際、日本政府はいかに振る舞うべきか。当時、手嶋さんが参加された検討委員会のロジックは、今も受け継がれているのですか。
手嶋:94年からすでに四半世紀近い年月が経ちました。当時は、日本が「イエス」ということには、官民の間でずいぶん抵抗感があったのですが、今では「戦争に巻き込まれるので拒否すべきだ」といった意見は、少なくなっています。
清野:そのような危機に際し、自衛隊は集団的自衛権によって、朝鮮半島に出動し得るのかどうか。そういう問いを突き付けられたわけですよね。
手嶋:「個別的自衛権」か、「集団的自衛権」か、これはすぐれて日本的な防衛論議ですし、紙の上ではそのような議論も可能です。しかし、現実の戦争は、紙の上の憲法論議をはるかに乗り越えたところで生起します。
いざ朝鮮半島で戦争が起こり、その惨禍が日本に及ぶ恐れが大きくなった時に、日本の総理大臣は果たしてどんな決断を下すのか。それこそが大きなことなのです。
清野:行かざるを得ない……と思うのですが。
手嶋:94年当時の米国は、実際に北朝鮮への武力行使の一歩手前まで行っていました。当時のビル・クリントン政権は、米軍の先制攻撃に向けて詳細な検討を重ねていました。
清野:今さらですが、生々しい過去です。ただ、クリントン政権は結局、それを断念したわけですよね。
手嶋:なぜ断念したのか。38度線のすぐ間近にいた在韓米軍の兵士と、家族の生命の保証がまったくなかったからです。それに加えて、ソウルが火の海になったら、あまりにも被害が大き過ぎると考えたのでしょう。
清野:この時は米国から、ちょっとなつかしい人が出てきましたね。
手嶋:はい。カーター元大統領が平壌を訪問して、「米朝枠組み合意」を結ぶことで一時の手打ちをしました。プルトニウムを簡単に取り出せる重水炉に代わるものとして軽水炉を提供し、経済制裁を解き、と、北朝鮮に散々お土産をやり、北から「核ミサイルの開発をやめる」という約束を取り付けました。
清野:それって、効力があったんでしたっけ。
手嶋:いえ、結局、全部反故にされてしまいます。
清野:ですよね。
手嶋:そう、騙されたのです。
高すぎる武力行使へのハードル
清野:前回うかがったテロ国家指定解除もそうですが、米国を手玉にとって約束を反故にするやり方は、北朝鮮のお家芸。しかも、米国のアタマのいい人たちは、それと知りながら、中東が気になりすぎて、東アジアに戦略の重心を移せない。
手嶋:その過程を私は外交取材の最前線で経験しました。複眼的な視点からと言えばいいのでしょうか、東京、ワシントン、ボストン、ボン、ロンドンと、異なる場所から、朝鮮半島情勢をウォッチすることができました。
1994年の危機の際には、ハーバード大学の国際問題研究所にシニア・フェローとして在籍していました。すでに93年には危機は顕在化しており、私は日本の内閣官房の検討委員会にも関わっておりました。
ハーバードの研究所は、ジョセフ・ナイ教授とエズラ・ヴォーゲル教授が、政権のインテリジェンスの分析部門に出向していて、ナイ教授はその後、国防総省の次官補となっていました。そのため、米国が「先制攻撃は無理」と武力行使を断念していくプロセスは、日米の双方から正確にフォローすることができました。
清野:米国の一流大学は、政府の意志決定に、それほど大きな影響力を持つのですか。
手嶋:ハーバードというところは、米政府の影の戦略指導部のような役割を果たしています。そのことを身をもって知りました。
清野:米国軍が北朝鮮で武力発動に踏み切れば、米韓の側におびただしい犠牲者を出してしまう――この見解は、トランプ政権でも引き継がれているのですか。
手嶋:ケリー首席補佐官、マクマスター国家安全保障担当大統領補佐官、マティス国防長官の3首脳が共有しているはずでした。
清野:4半世紀前の見解が、今も米国政府の安全保障関係者の土台になっていたんですね。
手嶋:ただ、「米軍は先制攻撃に打って出ない」と強調しすぎてしまえば、北朝鮮への抑止力が効かなくなってしまいます。ですからトランプ大統領には「あらゆる選択肢を用意している」と言わせてきたのでしょう。
ところが、トランプ大統領は、例によって、マクマスター補佐官を「ツィッター電撃解任」し、この軍人トライアングルの一角が崩れてしまいました。マクマスター補佐官は、谷内正太郎国家安全保障局長のカウンターパートだった要人で、日本にとってもかけがえのない人物でしたから、今後の北朝鮮情勢に少なからず影響を与えるでしょう。実に心配です。
清野:安全保障関係者の⼟台を支えていた人材が、またトランプ政権を去ってしまう。それでもなお、軍人出身の政権幹部と、あのトランプ大統領の間で、戦略的思考は共有されている……と考えるのは楽観的にすぎますか。
手嶋:それについては、当初から「否」と言わざるを得ません。
清野:うーん。
手嶋:米朝トップ会談という前代未聞の動きに、トランプ大統領はあっさりと乗りましたが、これは米政権全体の意思ではありません。ここに今の政権の不安定要因があり、現在の北朝鮮情勢を占う上で難しいところなのです。
「核抑止論」は物理法則ではない
清野:これもよく分からないのですが、米国のいう先制攻撃、もしくは核抑止力は、結局はブラフ(はったり)なんでしょうか。
手嶋:核心を衝く質問ですね。決して単なるブラフではありません。北朝鮮の核ミサイルの脅威が極めて大きなものになり、米国の安全が脅かされるという事態になれば、「やられる前にやれ」と、先制攻撃に踏み切る事態は排除できないでしょう。
清野:ただし、ひとたび核のボタンを押せば、地球は滅びてしまう可能性すら生じるのですから、合理的な判断ができる政治指導者なら、やらないですよね。
手嶋:それが核抑止論の核心です。キューバ危機の「歴史の教訓」は、「核兵器は実際に使えない兵器になったことだ」と説明することができます。
しかし、核は本当に使えない兵器なのか。現実の社会で、それを実証した人などいません。とりわけ北の将軍様は、冷戦期の東西の首脳と同列に置いて考えることができない人物でしょう。歴史をかんがみると、戦争が偶発的に始まった例はいくらでも存在します。
清野:……。
手嶋:核の時代は、人類が絶滅する危険を孕んだ時代です。我々は、「核の相互確証破壊」「核抑止体制」などといいますが、それは核兵器がかろうじて使われていない現状を、一応、理屈で説明したものにすぎません。「核抑止論」などという言葉は、理論の上に成り立っているもので、堅牢な現実ではない。我々は、核の時代の深きジレンマの中に生きているのです。
清野:これまでの人類判断の合理性でいえば、人類を滅亡の危機にさらす核兵器の使用はあり得ない、という話になるのだけど、その可能性を100%否定していいのかといったら、むしろすべきじゃない。そういうことでしょうか。
手嶋:おっしゃる通りですね。ひとたび核のボタンを押してしまえば、人類は滅びてしまう。双方がそれを自覚して、ボタンを押すことをためらう。それが核抑止理論の中心なのですが、あくまで「論」にすぎません。とりあえずの想定を「セオリー」と呼んでいるだけで、それは物理学のセオリーとは別物です。
清野:ということは。
手嶋:権力者にとって、核の先制攻撃への誘惑は、否定しきれない、ということです。
清野:人間の持つ欲望は、いい方にも悪い方にもころぶ。人間に対する洞察が求められますね。
手嶋:北朝鮮問題の難しさは、トランプと金正恩は、果たして合理的な判断を下すのか、という究極の問いに行き着く点にあります。
清野:もう一つうかがいたいのですが、日本にとっての原子力=原発は、核抑止論につながる話なのですか。いち市民の感情としては、できれば原発はやめてもらいたいのですが。
手嶋:日本は非核保有国です。ところが、北朝鮮はそれを信じているかどうか、疑問があります。
北朝鮮へのカードとしての意味はある
清野:ええっ。
手嶋:日本は多くの原発を持ち、核兵器の原料となる大量のプルト二ウムを保有しています。国際条約に基づいて日本のプルトニウムは核兵器に転用できないように厳格に管理されてはいます。しかし、北朝鮮は日本を潜在的な核保有国として疑い、警戒しているはずです。
その点で日本の原発群は、間接的に抑止力を形成しているといえないこともありません。その一方で、原発は北朝鮮の攻撃のターゲットにもなり得ます。
清野:えー、難しい。小泉純一郎氏が「原発ゼロ」と言いだしていることにも、そういうことが含まれているんですか。
手嶋:ご本人に聞いてみてください(笑)。
清野:ということは、日本に原発がなくなったら、原子力の技術継承がなくなり、抑止力も低下するだろう……という。
手嶋:日本は核兵器を製造する能力は十分に持っているが、戦後日本の政治的意思として、あえて核を持たないとした。このメッセージは、かなりの力を秘めているはずです。
しかし、原子力発電をすべてやめてしまい、プルトニウムを取り出す技術を放棄してしまえば、「持つことはできるが、あえてそうしない」という前提は失われます。
清野:ということは、核燃料サイクルは、一種の核抑止につながっているわけですね。複雑……。
手嶋:先ほども説明したように、日本は潜在的には核保有国に近い。ただし、ぜひ誤解のないように言っておきますが、だから、今後とも原発を維持すべきだと私は唱えているのではありません。合理的な判断をするためには、そうした視点も踏まえておくべきだ、ということです。
清野:東日本大震災のトラウマも含めて、原発にはどうしても感情的な反発がぬぐえません。とても複雑な気持ちです。
手嶋:核の時代に、「これですべて解決する」などという際立った解など存在しません。
米国は、すでに核実験をやりつくし、あとはコンピューター上での計算や検証で十分、という国です。一方、日本は、核実験をやったことがない。それでも核兵器に対する若干の抑止力を備えておきたい。そういう国は、「米国の核の傘に入る」か、「間接的な抑止力を持つ」か、「非核保有国を束ねて、核保有国の大幅な核軍縮を迫る」か、の選択肢しかありません。私のおすすめは三番目。そのためにも、非核保有国の代表として、国連の常任安保理のポストを持たなければならないと、強く思います。
清野:もうひとつ選択肢がありませんか。前回にうかがったキューバ危機の教訓を、ざっくりと乱暴にまとめると、核戦争の危機回避は、相手側をたたきのめす意思と、それを実行する覚悟にあった、ということになりますよね。
日本核武装、という選択肢はないのか?
手嶋:はい。
清野:ということは、隣に核ミサイルで武装している国があるなら、我々も核武装する――という流れは避けられない、ということにはなりませんでしょうか。このことは、今まで、なるべく見ないよう、考えないようにしてきたのですが。
手嶋:それは確かに一つの「解」ではあるのですが、現実的に言いますと、日本の核武装は、同盟国である米国の激しい反発を招くことになるでしょう。戦後米国の外交・安全保障政策の本音は、欧州ではドイツに、東アジアでは日本に独自の核兵器を持たせないことにあるのですから。
清野:日本の世論よりも前に、米国が許さない?
手嶋:今の「核の傘」で何の不満があるのか、と、米国は猛烈に反発するでしょう。日米同盟が機能していれば、日本は米国の核の傘の下に入り、核武装をしなくてもいい、という論理です。
しかし、核のボタンを押すという意思決定は米国側のみにあって、日本にはないのですから、これは主権国家としては重大な制約を課されている状態です。
清野:でも、これまで手嶋さんに教えていただいた話では、日米同盟は盤石とはいい難いですよね。クリントン、ブッシュ(子)、オバマと、過去米国の歴代政権は、その軍事的興味の第一を中東に向けていた。裏を返せば、彼らは東アジアの危機管理をないがしろにしてきた。
手嶋:米国は核のボタンを押す決意を北に知らしめる努力を怠ってきた側面があり、そうなると、日米同盟のテコが十分に効いているかどうか、ということになります。
手嶋:戦後の日本は「非核三原則」――核を持たず、作らず、持ち込ませずという三つの原則を堅持してきました。その一方で、米国は核の存在を一切明らかにしない原則を堅持しています。
清野:日米同盟には、そのような非対称もあるのですね。
手嶋:重大な非対称です。したがって、日本に本当に核を持ち込んでいないのか、米国は明らかにしていません。「持ち込ませず」という部分は実にあいまいなのです。
清野:石破茂さんは、そのあたりの修正を提議されていますよね。日本は核武装できないのだから、米国の核持ち込みを容認する議論をしたらどうか、と。いってみればこれは「非核二原則」でしょうか。
手嶋:仮に「二原則」にしても、核の使用について、日本は意思決定には参画できません。そこで、佐藤優さんは、「一・五原則」という問題提起をしています。核の使用という意思決定に参画すべしという議論です。
清野:原則って割り算できるのですか?
手嶋:「作らず」はいいとして、「持たず」という部分を米国と共同使用、共同決定とする。つまり「一・五原則」にという提案です。
まあ、理論的にはあり得ることですが、米国は「うん」とは言わないでしょう。先ほどお話したように、戦後米国の外交と安全保障政策の大原則は、欧州ではドイツに、東アジアでは日本には、断じて核を持たせない、ということでしたからね。「一・五原則」は、それに大胆な変更を迫るものです。
姑息なことだけは、やめたほうがいい
清野:第二次大戦が終わって70年以上がたち、中国の超大国化など、国際情勢が大きく変化しました。北朝鮮が核を持つようになった今、ドイツや日本には核を持たせないぞ、なんていっている場合じゃないのでは……。
手嶋:ですから、根底からすべてを見直して議論を尽くすことが必要な時代になっているのです。それも含めて、新たな核の時代の在り方を皆で議論してみてはどうでしょうか。核の時代には、絶対的、最終的な回答などありません。
だからこそ、我々は、すべてを再検討しなければいけない。日本の核武装の是非についても、正面から堂々と開かれた議論を尽くしてみてはいかがでしょうか。
清野:これは憲法改正論議にもつながっているわけですか。
手嶋:武力行使をどう考えるか、ということでは、確かにその通りです。我々は憲法で、「戦力は、これを保持しない」といいながら、自衛隊を持っている。確かに根源的な矛盾を抱えています。
ただし、だからといって、自衛隊の存在を書き加えればいいということにはなりません。自衛隊の位置付けを明確にしたいなら、姑息なことだけはやめた方がいい。憲法は国家の礎ですから。
清野:姑息とは、「解釈でやりましょう」みたいなことですか。
手嶋:それから、「ちょっとくっつけてみました」というのも姑息です。
米国に事態を委ねるのみ、でいいわけはない
清野:安全保障の本質は、冷厳な「直近・現代史」と現実の中に存在している、ということを一連の教えから学ぶことができましたが、国連決議なり、ノーベル平和賞なりで、国際社会が総意を形成していけば、世界は何とか平和に向かっていく、と考えるのは甘いでしょうか。
手嶋:「理想」と「現実」、その両方が必要だと思います。ただし、理想とは口先だけの夢ではないし、現実とはあきらめて追随するものではない。いずれも険しい障害が立ちはだかる道ですが、それを穿つ努力をあきらめるべきではありません。
キューバ危機の時、私は父親から、「核戦争になるかもしれない」と言われ、子供心にも恐怖を覚えた記憶があります。その時の日本は傍観者だったのですが、いまは堂々たるプレーヤーです。核時代のジレンマの中で、日本は少なからず影響力を持っています。
清野:現在、その自覚が日本にあるやなしや。
手嶋:昨年来の北朝鮮危機がクローズアップされたことで、ようやく自覚は芽生えつつあります。ただ、安全保障の現実は、錯綜しており、お手軽な「解」などどこにも転がっていません。一方で、必要ならば伝家の宝刀を抜く、という米国の決意のみに、事態を委ねていいわけがありません。
しかも、超大国米国の指導者はトランプ、北の独裁者は金正恩です。日本は今こそ、この危機を我が事として主体的に取り組むべきだと思います。
清野:素人質問ばかりで申し訳ありませんでしたが、今回は日米関係というコンテクストから、自国の立ち位置を知ることができました。また、物事にはすべて裏表があり、コンテクストによって、それがくるくると変わる世界の不安定さも再認識。私にとっては重い「学び」になりました。
Powered by リゾーム?