手嶋:その点で、自国の安全保障の現実を知ることは、やはりとても大事なのです。1950年代から70年代にかけては、日本が「冷戦の温室」に身を置いていたのをいいことに、日米同盟に反対し、非武装中立を唱える知識人が、論壇の中心にいました。メディアに登場する知識人も「反米的なスタイル」をとれば知的に思われますからね。

清野:なるほど。

手嶋:ただし、そんな状況は、あくまで日本の側からの話です。

清野:米国側からいうと、どうなるのですか。

「平和主義の楽園」を出られるか

手嶋:西側の盟主である米国は、日本の知識人の言説などにはかかわりなく、極東の要石たる日本の防衛を担っていました。こと安全保障の分野では、日本は決定権がないのですから、「日本は軍事的能力も、情報能力も、持たなくて結構です」というのが、米国の本音でした。

 さらには、「国際政局を動かす志? 持たなくて結構です。戦後の日本は、どうぞパシフィズム(平和主義)の楽園に安住していてください。だから、CIAのような対外情報機関もいりません。すべては、日米同盟のシニアなパートナーである米国にお任せください」……と、これが米国の変わらぬ姿勢だったのです。

清野:自分が生まれてから当たり前に享受していた平和というものは、その基礎の部分に、「米国の核の傘」があり、その上で日米間にある種の「ウィン‐ウィン」関係が成立していたから、ということなんですね。

手嶋:戦後の日本が平和を享受したという点では「ウィン‐ウィン」でしたが、国際政局に主体的に取り組むという志をどんどん摩滅させていったのですから、戦後の日本が失ったものも、また大きかったと思います。その果てに、今、朝鮮半島での核・ミサイル危機に直面して、うろたえているのです。

清野:どうしたらいいのでしょうか。

手嶋:僕に聞かれても困ります(笑)。これは、日本人一人ひとりの問題なのです。

 でも、この対談を機に、私の見聞から少しずつヒントをお出しできればと思います。そうでないと、清野さんのような人は引き下がってくれないでしょうから。

(第2回に続きます。)