問題は、東京都や首都圏がそのような都市設計になっているのか、という点もさることながら、社会的、産業的、経済的にそのような状況に陥って持続可能なのかという根源的な問いがある。単純に確率の問題として、家庭のある認知症高齢者が行方不明になるような徘徊や路上での事故に遭ったり引き起こす割合は年間約45人に1人だが[15]、母数が2030年に認知症219万人となったとき年間4万7,000人ほどの高齢者が何らかの問題を起こしたり行方不明になったりする。毎日130人以上の高齢者が首都圏のどこかで何かを引き起こす計算になり、これを防ごうとするならば社会制度やインフラに抜本的な対策を打たなければ大変なことになるのは容易に想像がつくだろう。

 単純に高齢社会だから交通機関や歩道をバリアフリーにすればよいだろうというだけの問題ではない。都市に住む認知症高齢者問題に悩む家庭に対して、監視や保護を適切にできる社会制度やインフラ、仕組みを提供できるようになって初めて「都市計画における高齢化対策」が可能になるといっても過言ではないのだ。

難易度高い「独居老人」対策、求められる集住化

 しかも、これは配偶者や子供夫婦など何らかの家庭内での手助けや監視がきちんとあっての数字である。帰るところがあってケアを家族にされてもなお、進んだ認知症患者は問題を起こすのであって、一人暮らしの認知症高齢者が目の行き届かないところで何をしてしまってもおかしくはない。2030年ごろの高齢者問題は家族から切り離された独居老人の認知症対策というさらに難易度の高い問題に直面することになる。

 現在、東京オリンピックにおけるレガシーについて議論が重ねられているが、実際の東京の未来を想像したときにこれらの高齢者のケアと、それを支える労働力の効果的運用が可能になるような都市設計を行わない限り、点在する空き家に住む独居老人の認知症対策が後手に回ると悪夢を引き起こす危険性は早くから考えておかなければならない。

 また、高齢者対策を行うための社会制度・ソフトウェアとして、しっかりと意志表示できる状況から行政ときちんと確認を行う事項を把握しておく必要は出てくるだろう。今後、予算的な事情もあり過疎地域における福祉系の公共サービスは切り下げざるを得ない状況も起き得る。その際に、点在する空き家対策のために公共サービスを行える施設への転居を余儀なくされる高齢者も少なくない数出よう。警察庁の発表通り、免許更新のたびに3%以上の自動車運転に適格でない高齢者が出たときの免許返納と、住む地域によっては自動車なしには買い物にもいけない生活の不便を強いるときの支援策など、自治体レベルでの政策では到底追いつかない、あるいは国、都県、自治体の連携で対処するべき事例が発生する際に、どのように持続可能な公共サービスを設計するかは、まさに首都圏が2030年に向けて大きく問われる政策分野なのだ。

 実際には、政策面での結論としてはひとつしかない。持続可能な公共サービスが展開できるエリアと、公共サービスが行われない居住をお薦めしないエリアとに分けていくことだ。人の住まない生産性のない地域を切り捨てるのかという批判は承知の上で、人が活動し機能的にやっていける地域にのみ公共サービスを展開できるような、人口減少時代の社会制度を実現し、採算に合い持続可能なところまで生活圏を限定しない限り、いつまでも大切な財源を捨てる政策ばかりが温存されることになるだろう。

 また、認知症患者については医療ケアの効率化のためにも集住可能な仕組みを行政が主体となって行える環境づくりがさらに重要になっていく。認知症患者の尊厳と、彼らが最後まで豊かに暮らせる仕組みを並立させるには、結局は限られた財政と労働人口をより効率的に使い、適切なケアが充分に行き渡らせられる仕組みが必要だ。生活の自立が難しくなった高齢者を医療施設に近い集住拠点へ引っ越しする制度作りは不可欠である。

 そして、この問題を厄介にするのは社会的な独身傾向が独居老人の割合を高からしめ、医療、地域、家庭の鼎状の仕組みのひとつが欠けてしまうことにある。次回本稿では日本人男性の3人に1人までになる「生涯未婚」のインパクトと未来の首都圏について論じる。