さらに、「誰か近くに話をする相手はいますか」の設問に対しては高齢者のみの世帯がさいたま市平均で5.0%であるのに対し、単身高齢者は11.8%。「誰か近くに困ったとき頼れる方がいますか」では高齢者のみの世帯では9.3%に対し単身高齢者は15.0%である[8]。

 日常的なコミュニケーションから困ったときのちょっとした頼み事まで、孤立している高齢者のケアが必要だと再犯防止の観点から必要であると理解される。しかしながら、地域の見守りや声掛けがそこまではスムーズにいっていない現状が見て取れる。同様の状況は、千葉、神奈川でも散見される一方、その受け皿となるべき地域包括ケアの事業上の稼働状況は限界に近い。例えば、単純に活動している民生委員を地域で暮らす高齢者で除しても、もっとも低い行政区分でも150名近い生活者が活動・保護対象となる。民生委員法上、これら対象となる高齢者が介護保険の要介護認定されていれば、保護対象からは外れる。とはいえ、地域児童の安全やドメスティックバイオレンス対策など幅広い市民生活の護持を目的としているボランティア同然の民生委員にこれ以上多くを期待するのも困難と言えよう。

 この傾向は日本全体で普遍的に存在する高齢化社会の現象の一断面と相似形であって、東京都や各都市部の行政に問題があって独居老人が増えたと結論付けられるものではない。むしろ、高齢者の生活の実態を詳らかにしていく過程で、高齢者による犯罪を防ぐという必要な目的ひとつとっても、その犯罪動機の重要な一部である困窮や社会的孤立に対して適切な手段が充分には講じられていない、というのは特に重視されるべき点である。暮らしている高齢者に対して地域が適切に孤立対策をするというテーマは誰にも否定されるものではない。一方、その解決の道筋を政策的に実現するとなると、最終的な政策予算の裏付けもない善意のボランティアシップによらなければならないというのでは改善をすぐに期待できるものではない。

2030年、善意とやりがいでは乗り切れない

 また、認知症を患う日本人の破壊的な増加については次回に詳しく論述するが、高齢者犯罪による社会秩序の混乱を防ぐという意味合いを超える。つまり、日本全体がこれから空前の規模の認知症患者の出現とそれへの対応を迫られることになる。平成24年(2012年)時点での認知症を患う人の数は推定で462万人と見られるのに対し、その13年後の平成34年(2025年)には700万人を超えると予測されている(認知症施策推進プラン)[9]。その意味では、高齢者犯罪に対する再犯防止の考察は、来たる大量認知症時代を克服するための先導研究として社会的に切り離されている高齢者に対してどのようなアウトカムを目指す政策を打ち出していくのかを考える上で、極めて重要な知見を与えてくれるものと言えよう。

 極めて強いマイナスの要因は、経済的な低成長の常態化と国家の税収・財源不足、これに伴う予算の硬直化である。日本には、青天井の社会保障費を担い得るだけの財政的、人口的余力はもはやない。予算が維持できたとしても、これから激増する高齢者、とりわけ団塊の世代が2030年には後期高齢者入りをしたとき、一人当たりにかけられる社会保障費は一層減る。受け持つべき老人は増えるのに、受け止める福祉・介護の現場に落ちる予算が変わらなければ、現場の仕事量は増えるばかりだ。貧困や繋がりをカバーできるだけの民生委員、ケアマネージャー以下福祉や介護に携わる人たちの低待遇が公共サービスの質的低下を強く惹起し、一定の社会的な善意ややりがい、温かさを前提としてきた地域の受け入れ態勢が崩壊する懸念がある。

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