浮かび上がるのは、窃盗など軽微な犯罪を繰り返しては摘発され続ける貧しい老人の姿だ。10~20代のころから犯罪行為に手を染め検挙され続けそのまま歳を重ねて老人になるケースも一定の割合で存在する。一方、65歳以上になってから軽度の窃盗で検挙され、起訴されなかったものの二度目の窃盗で有罪判決を受けて以降、常習犯になっていくケースも少なくない。高齢者になってからの初犯が、累犯に進行する事例は目につく。いずれも犯罪を行ったことが周辺に知れ渡って社会から孤立し、さらに貧しくなって窃盗に走らざるをえなかったり、自力で生活する経済力がないため人生を諦めて刑務所のほうが快適だとまで述懐してしまう状態に陥ったりもする。

粗暴犯、認知症、マイナスのスパイラル

 また、2000年以降目立って増加しているのは高齢者の粗暴犯である。高齢者の刑法犯検挙人員に占める粗暴犯の比率や人数を見ると、1989年(平成元年)の高齢者の一般刑法犯6,625件のうち、殺人48件、強盗8件、傷害141件、暴行48件だったのに対し、2014年(平成26年)はまず高齢者の一般刑法犯自体が約8倍の47,252件となった。その73%にあたる24,518件は比較的軽微なものも含む窃盗犯である。しかしながら、高齢者の殺人は192件、強盗117件、傷害1,649件、暴行3,478件である。確かに高齢者自体が増えているとはいえ、人口比で見ても類型で見てもはるかに速いペースで増えてきており、粗暴犯が高齢者の刑法犯検挙人員の11.9%を占めているという状況は見逃せない。とりわけ、粗暴犯の代表格である暴行事案が高齢者において激増していることは、この四半世紀の間に高齢者における犯罪の類型や捉え方が激変していることの証左と言えよう。

 おそらく、都市型高齢化問題を考える上で現象として出てくるのは目に見える高齢者犯罪の数値だけではない。水面下の高齢者に対する虐待と、高齢者同士の対立による傷害事件など、検挙に至らないため数字に出にくい粗暴犯であろう。高齢者絡みの生活相談件数の増加でとりわけ目立つのは長い企業勤めを終えて引退した団塊の世代前後が自宅で暮らすようになって、家庭内やマンション管理組合、電車・バスなどの公共交通機関で自分の思い通りにならずキレて暴力行為に及ぶ場合である。軽微なものであれば犯罪にはいきなりならず、家庭内であれば配偶者が我慢するなどしてなかなか表面化しない。地域に居場所を作ろうにも、それまで企業勤めに励む一方、地域行事に積極的に参加した経験が乏しい年代でもあり、住んでいる地元に接点が少ないのも特徴だ。1947~1949年の3年間に生まれた団塊の世代だけで、現在806万人いる。1947年生まれであれば2017年現在70歳だ。これらの予備軍が、生物である人間が運命的に避け得ない認知症に一定の割合で陥ったとき、認知症による犯罪と社会はどう向き合うべきか考える必要がある。

 この問題で特筆すべきは、2015年に法務省が調査を実施した内容だ。高齢受刑者のうち、その刑期が短期か長期かを問わず認知症傾向があるとされる者は約17.2%、1,100人にのぼると見られる[4]。逮捕された時点で責任能力の有無を確認して起訴するかを判断しているはずが、起訴して有罪判決を受けて刑務所に入ったら中程度以上の認知症だった、という事例は事欠かないことを意味する。あるいは、軽度認知症レベルで責任能力ありとして起訴され有罪になって収監後に、それまでの生活が一変して一気に痴呆が進む場合もある。高齢者犯罪に対しては、「地域社会とつながった指導・支援を刑事司法の各段階において実施」とマイルドな表現に徹しているが、裏側に隠された意味は重い。それは、ふたつの意味で破壊的な作用を日本社会にもたらす。ひとつは、冒頭のNHKの番組でも問われている「帰るところのない、失うもののない老人」が起こす強いマイナスのスパイラル。もうひとつは、本人が健常ならば犯罪などするはずもない善良だった人が、加齢による判断能力の低下で「うっかり犯罪者になってしまう」ケースだ。

次ページ 疎外と貧困問題、地域定着支援に光明も…