みなさん、お久しぶりです。出口治明です。
僕が大の本好き、旅好き、歴史好きであることは、恐らく一部の読者の皆さんにはすっかりおなじみであることでしょう。2年間続けて、書籍にもなった読書コラムの番外編として今回、僕が大好きな「本と旅と歴史」を全部組み合わせて、美しい都市イスタンブールを「誌上訪問」してみようと思います。この町は、歴史好きが絶対にはずしてはいけない都市です。
イスタンブールは、(東)ローマ帝国(ビザンチン帝国)、そしてオスマン帝国と合わせて1500年以上続いた2つの世界帝国の首都だった町。今でこそ首都の冠はアンカラに譲っていますが、歴史の名残とイスラム最先端の食や文化を同時に楽しめる「比類なき都」としての存在感は、今も健在です。
イスタンブールは、5千平方キロメートルの地域に約1400万人(2015年)が住んでいます。うち20歳以下の人口が約3分の1を占めており、日本よりもはるかに若くて活気のある町と言えるでしょう。
ヨーロッパとアジアをミックスした独特の都市文化は、訪れる人をうっとりとさせる魔力を秘め、(東)ローマ帝国一の格式を誇った教会アヤ・ソフィア、オスマン帝国君主の居住地トプカプ宮殿、さらにはその美しさからブルーモスクとも呼ばれるスルタンアフメト・モスクといった名所が、5分も歩けばすべてたどり着くところにあります。
町のところどころにある何の変哲もないカフェからもゆったりとしたオスマン朝盛期の16世紀の面影が感じとれ、その一方で急速に発展しつつある交通インフラや交通渋滞からは、今日の大都市特有の気忙しさが伝わってくる――そんな、ある種の二面性が魅力です。
イスタンブールが見つめた人類の「転機」
この地では今年の1月12日に自爆テロが起こり、大勢の方が犠牲になったばかりです。イスタンブールは人類史上の大きな転回点を見届けてきた町です。ボスポラス海峡を挟んで、アジアとヨーロッパの双方にまたがって存在する世界唯一の町であり、まさに文明の交差点です。
こうした地政学的な偶然が、この都市とそこに生きる人々に、多くの試練を与えてきました。さて、イスタンブールという地で、人類はどのような「転機」を迎えてきたのでしょうか。
注目すべき時代は、3つあります。まずは、多神教から一神教へと移行する時代の混乱がきわまった古代ローマ帝国の4世紀、ユリアヌス帝の時代が最初の転機だと僕は思います。そして次は、オスマン朝の盛期で、イスラム文化とキリスト教文化がぶつかりあった16世紀。そして最後が第一次、第二次世界大戦の時代でしょう。
そこで最初に、古代ローマ帝国のコンスタンティヌス帝~ユリアヌス帝の時代、為政者が多神教と一神教の間をさまよった迷いと「ゆらぎ」をドラマチックに描いた、辻邦生著
『背教者ユリアヌス』を読んでみましょう。
イスタンブールは古代、ビュザンティオンと呼ばれていました。伝承では紀元前7世紀頃、古代ギリシア人が建設したとされています。4世紀にコンスタンティヌス帝がローマ帝国の首都をローマからこの地に移して以来、「コンスタンティヌスの都市」を意味するコンスタンティノープルと呼ばれるようになりました。ちなみに現代のギリシア語では、ラテン語由来の「コンスタンティノポリス」から派生した「コンスタンディヌーポリ」と呼ばれているようです。
本書の主人公であるユリアヌスは、324年にローマ帝国皇帝に即位したコンスタンティヌス帝の甥です。金角湾を擁する好立地にあるコンスタンティノープルで、ユリアヌスはコンスタンティヌス帝の弟・ユリウスの末子として生まれます。幼少期に母を失い、父も暗殺されて苦難の中で育ち、キリスト教優遇が続いた先代の方針を撤回、「異教」とされた多神教の復興を掲げ、後にキリスト教徒から「背教者」と呼ばれた異色のリーダーです。
「異端」と「正統」のはざまで
本書の序章「若いパシリナ」では、18歳でユリウスのもとに嫁ぎ、ユリアヌスを生んで早逝したパシリナの様子を軸に、コンスタンティノープルの活気ある美しい光景が描かれています。
外を見ると、巨大な宮殿を照り付ける灼熱の太陽と、抜けるような青空。ユリアヌスを身ごもり、期待と不安の中、宮殿で安寧な生活を送るパシリナの不安と、迫り来る死。現地を訪れたことがなくとも、これから世界帝国の首都として、見違えるような都市に生まれ変わろうとしている都の活気や熱気と、続く激動の運命の鼓動が伝わってくる、熱のこもった序章になっています。最後はユリアヌスのペルシャ遠征と灼熱の砂漠でのユリアヌスの死。格調の高い文章が一気に読ませます。
さて次は、多神教からキリスト教へと宗旨替えをしたローマ帝国を征服し、イスラム教を国教として隆盛したオスマン朝時代を味わえる一冊をご紹介しましょう。ノーベル文学賞を受賞したオルハン・パムクの傑作『わたしの名は赤』(早川書房)です。
ストーリーですが、冒頭、「殺された細密画師」の死体の独白からスタートします。そして各章に「私の名は…」というタイトルが付けられ、人物や、描かれた木など登場する「モノ」までが独白し、それぞれ異なるアングルから、ミステリアスな物語を編んでいきます。
細密画師はなぜ殺されたのでしょう。そのヒントは、イスタンブールの宿命ともいえる、西洋文化とイスラム文化の衝突にあります。当時のオスマン朝の国教、イスラム教では、偶像崇拝は禁じられていました。肖像画を描くことも「偶像崇拝」につながるのでご法度。細密画師も、物語の挿絵として様式的な絵を描くことしか許されていない時代でした。
しかし、あるとき、絵の中に人物を描いた西洋の肖像画の素晴らしさを耳にした皇帝の命を受け、4人の細密画師が「肖像画」を描きます。これが、いかに禁じられた「異端」な行為であるかについて、読み進めているうちに異文化にいる僕たちにも理解が進み、行間から犯罪の「気配」が立ちのぼってきます。
そうした物語の中に、当時のイスタンブールの風景がさりげなく描かれているのです。以下は、12年ぶりにイスタンブールに帰ってきた登場人物、カラの心のつぶやきです。
「確かなのは人が一つの街を愛し、逍遥を重ねるうちに、その辻々、津々浦々に至るまでに通暁し、心のみならず、やがて身体までがそれを覚えこむということだ。きっと、あなたの足だって、暗澹とした雪がちらつく憂鬱なときには、ひとりでに大好きだったどこかの丘へ向かうに違いない。」
「だからわたしも、スレイマニイェ・モスクのかたわらに立って、金角湾に降りそそぐ雪を見下ろした。湾に面した北側の屋根には北東からの風が吹きつけ、ドームの片側には早くも雪が積もっている。湾に入港した船が帆――帆は霧のかかった水面と同じ鈍色をしていた――を畳むときのぱたぱたという音が、まるでこちらに挨拶を寄こしているかのようだ。」(31~32ページ)
スレイマニイェ・モスク。オスマン建築の最高傑作の1つといわれる (撮影者:Johann H. Addicks / addicks@gmx.net)、 画像の出所は
こちら
さて、冒頭に登場する細密画師を殺したのは、誰なのか…
オルハン・パムクは『Istanbul: Memories and the City(翻訳書は『イスタンブール:思い出とこの町』、藤原書店)』という作品も書いていますが、そこで幼い頃に感じたイスタンブールについて、こう回想しています。
“Like most Istanbul Turks, I had little interest in Byzantium as a child.
I associated the word with spooky, bearded, black-robed Greek Orthodox priests, with the aqueducts that still ran through the city, with Haghia Sophia and the red brick walls of old churches. To me, these were remnants of an age so distant that there was little need to know about it. Even the Ottomans who conquered Byzantium seemed very far away.”(155ページ、以下翻訳は編集部)
(幼少の頃の私は、ほかのイスタンブールに住むトルコ人同様、「ビザンチウム」――つまり、東ローマ帝国にほとんど関心がなかった。「ビザンチウム」と聞くと、アヤ・ソフィアと古い教会の煉瓦の壁、そして気味が悪くて髭の濃い黒装束を来たギリシア正教の司祭、そしてまだ町を流れている古臭いローマ水道――を連想したものだ。それらはあまりに遠い過去の遺物であって、知る必要がないように私には思えた。ビザンチウムを征服したオスマン帝国ですら、かなり遠い存在に思えたほどである。)
このような、幼少期の歴史感覚は、ある意味ほんの少しだけ世界史をかじった僕のような日本人と大差がないような感じがします。オルハン・パムクが、『私の名は赤』で衝撃的に描いたオスマン朝の「大事件」。ぜひ、堪能してください。
トルコ版「ユリシーズ」
『わたしの名は赤』で、一流の語り部が紡いだ、異国の情景があふれる美しい物語をじっくり味わった後は、アフメト・ハムディ・タンプナル著『心の平安』を手に取ってみましょう。本書はトルコの「ユリシーズ」とも言われています。
時は第二次世界大戦勃発前夜。古い伝統を愛するトルコの知識層の青年が、1923年に新生トルコとして再出発したばかりの新しい国の中で古いものと新しいものとの間で悩みながら、ボスポラス海峡を舞台に織りなすラブストーリーです。
主人公ミュムタズは、歴史家である年の離れた従兄のイヒサンに育てられ、オスマン朝時代の伝統文化を愛するようになります。研究者となったミュムタズは、夫と別れたばかりで、イスタンブールの伝統を身にまとい、教養と気品を備えた女性ヌーランと出会い、イスタンブールで愛を深めていくのです。
「世界は自分がいなくても存在する。それだけで存在する。自分はそこに繋がっている、か細い線にすぎないのだ…。それでも自分は存在する、存在する力をこの継続の意識に乱す…。この継続を通して、自分は始源から行動し、そして永遠に歩むのかもしれない…。」(531ページ)
本書は一貫して主人公ミュムタズの、しかもユリシーズ同様1日の視点で書かれています。そして、古きものの何を捨て、新しきものの何を受け入れるか。人類が長い間繰り返してきた深い悩みを子細に描いています。古きものと新しいものの衝突に常に翻弄され続けた都市・イスタンブールを舞台に、古きものへの深い愛と別れ、その決断が描かれている美しい名作です。
さて、今回は番外編として、趣向を変えた紹介をしてみました。
また、お会いしましょう。
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