強くても弱く見せるのが得策

 中国は言わずと知れた、戦争、内戦を繰り返してきた国家です。ご存知の通り、戦争後はそれまでの社会通念が大きく変わります。社会通念のみならず、身分や職業、すべてが逆さまになることもよくあります。という背景もあり、彼らは親族や一部の親しい友人にしか本音を言わない、いわゆる駆け引きに長けるように小さい頃から訓練されます。中国古典にもそのような記述がたくさん出てきます。

 一番危険な行為とされるのが「自ら敵を作る」ということです。戦争を繰り返すわけですから、意図せず敵になってしまう人も大勢いる。ですから、敢えて自分から敵を作るような行為や言動は慎むのが前提になるのです。平和が続けば、人間の動物的本能で戦いたくなり、敵を作る行為をする人もいるかもしれませんが、いつ平和が崩れるかわからない歴史をたどってきた中華系の人たちの危機管理能力は優れているといっても遠からずでしょう。

 では敵を作らない、相手に戦闘意欲を持たせない方法の中で一番有益なのは何になるのでしょうか? そうです、相手に勝ったと思わせればいいのです。人は勝つか負けるかわからない時に、一番戦闘意欲が湧いてきます。ですが、最初から自分が勝っているとわかっていることに時間を割きたい人などいません。

 稀代の兵法書として有名な『孫子』にも次のように記されています。「兵とは詭道なり。故に、能なるも之に不能を示し、用いて之に用いざるを示す(計篇)」。華僑的超訳をするなら「戦争などの争いごとはそもそもが騙し合い。というのを前提に考えると、できることもできないように見せかけ、強くても弱く見せるのがよい」となります。

 日本語の似たような意味で使われる諺の「逃げるが勝ち」は、勝ち目のない戦いや、勝っても何の利益も生まない戦いなら、しないほうが自分に有利な結果をもたらすという戒めで使われますが、それとは少し違います。「逃げるが勝ち」は戦いそのものにフォーカスしていますが、孫子の「兵は詭道なり」は最初から騙し合いという前提がありますので、戦いそのものよりも、他者との関係性に注目しているところに俗にいうズル賢さを感じます。そもそもの前提が騙すことにフォーカスしているのです。

 自分が強いと誇示したくなるうちは強くない、大人が子供と喧嘩しない、大人が子供を本気で論破しない――といえばわかりやすいでしょうか?

 ビジネスは武器を使わない戦争だと例える偉人賢人も多くいます。であれば、机上の難しい理論理屈を学ぶのも大切ですが、兵法書からその戦い方を学ぶのも有益に違いありません。中国古典に馴染んでいる華僑たちが兵法書から学びそれを日常的に使っているとしたら、多少の言葉の不自由さがあってもビジネスで勝利していくのに合点がいくのではないでしょうか?

華僑が言う「いい人」=「お人好し」

 欧米流の自己アピール術なるものがたくさん見受けられますが、ひとまず落ち着いて自分の姿を鏡に映してみると面白いかもしれません。多くの方は目が黒く、髪も眉毛も黒い、ご自身の姿を見ることができるでしょう。欧米人の特徴は、そうです、目が青くて、髪や眉毛が金色に近い色をしています。少なくとも見た目は真似たくても真似できない違いがあることに気づかれるはずです。

 おそらくほとんどの読者の方がご存知の言葉「歴史は繰り返す」を考えるなら、同じ黒目、黒髪の東洋の歴史書からその処世術を学んだ方がより実践しやすいはずです。戦争などの戦い方を説いた兵法書のみならず、倫理的側面や道徳的なことがたくさん書かれている『論語』も、華僑に言わせれば「相手の目をくらませる記述が少なくない」ということになります。

 例えば「己立たんと欲して人を立て、己達せんと欲して人を達す」。本来は孔子が「仁」について語った言葉の一部で、日本語的意訳解釈の多くは「自分が立身しようと思ったらまずは人を立身させ、自分がいいポジションに就きたいと思ったらまずは今現在それに適した人を推薦しなさい」となりますが、華僑的解釈は違います。「自分が立身しようと思ったら、将来のライバルにならないであろう人を推し、自分がいいポジションに就きたいと思ったら、自分よりもレベルの低い人を推薦する」となります。そんな解釈は聞いたことがない、という読者の方も多くいらっしゃると思いますが、これは生き馬の目を抜く勝負に勝ち、ビジネスで成功を収めずに帰国することは許されない華僑たちの実践的ノウハウであり、彼らの解釈なのです。