「ということで、K部長もご存知の通り、このところあまり納得のいかない人事異動に少し動揺しております。もしかして、会社は私を不要な人材と思っているのでしょうか?」

 「T君。そんなことはないと思うよ。君が自覚している通りしっかりと実績を出してきたし、そのうち課長への昇進もあると思う。ちょっと聞きたいのだけれど、『知りて知らずとするは、尚なり』という言葉を知っているかい? 老子の言葉なんだけど」

 「いえ、知りません」

 「では、何かだれか社内で、そうだなあ、人事部のだれかの業務について何か知っていることとかあるかな?」

 「はい、あります。実は採用に関してなのですが、これは公にはなっていませんが、大得意先のご子息を採用し、その人たちが業務部と財務部に配属されるというのを知っています。私は営業4課時代に大得意先さんを担当していたのでP社の専務から聞きました」

 「それをだれかに話したかい?」

 しばらく上を仰ぎ見ながらTさんは思い出すそぶりをした後、「はい、そういえば、数カ月前の同期会で懐かしい気持ちで嬉しくなってしまい、そのことを数人に話しました。みんなそれぞれの部署で自分たちなりの経験を積んでいたのですが、私は営業自慢にならないように、そのネタを話したのです」

「聞いた話の重さ」を勝手に量ってはいけない

 「そうか、正直に話してくれてありがとう。それはとてもよくないことだね、会社の機密情報だよ。そんな噂がもし、社外に出たらどうなる? そして入社してきている彼ら彼女らの気持ちはどうかな? 考えるまでもないよね。それを口にしてしまっては、人事部としても面子丸潰れになってしまう。

 秘密を知ってしまったら、それを周りに話すのではなく、自分の心の中にしまっておくことも大切なんだ。君は優秀な営業パーソンだから、P社の専務も信用して君に話したと思う。その専務の立場も悪くする可能性があるよね?」

 Tさんは顔面蒼白となり泣き出しそうな顔をしています。

 「優秀なインタビュアーは、相手が話したことをそこらじゅうに吹聴するようなことはしないよね。T君は優秀なんだから、そんなことで自分のキャリアを台無しにしたらもったいないよ、今後、そのようなことは絶対にしない、と約束してくれるかい?」

 「はい、もちろんです、あの数カ月前の同期会に時間を戻したいくらいです」

 「わかった、じゃあ、僕の方から人事担当のR常務に話しておく。もちろん、採用の件と同じように、僕と君の話したことも心の中にしまっておけるね」

 「はい、もちろんでございます。」

 3日後、Tさんの元に先日のシンガポールへの転勤辞令は中止になったと人事担当から連絡が入りました。

 実はK部長の耳には、Tさんが社内の機密情報を軽々しく話しているという知らせが入っていました。恐らくどこかで尾ひれがついたのだろうと“ずるゆるマスター” Kさんは思っていましたが、身から出た錆、ということで今回はお灸をすえる意味でRさんが相談にくるまで黙っていました。

 Kさんの素晴らしいところは、Tさんに実地で指導したところです。知っていることでも話してはいけないこともある。たとえ相手を見て話したとしても、その相手に変な猜疑心が生まれてしまう可能性があるんだと。

 「知不知、尚矣」。たくさんの人から好かれ、えっそんなことができてしまうの? という驚きのファインプレーを1、2度ではなく定期的にやってしまうあの人は、口の固いインタビューの達人の“ずるゆるマスター”かもしれません。