華僑の歴史も「窮」から始まった

華僑といえば本国は中国です。本国で大活躍していれば、当たり前の話ですが、言葉も不自由な海外に出るようなことはしません。祖国で生活に窮し、生きる場所を変えざるを得なかった。生きる場所を変えることによって成功への道が開かれ、世界中で影響力を持つようになったのが華僑たちです。
すなわち、華僑の人生も、華僑の歴史も「窮→変→通」そのものなのです。
窮する→変化する→道が通ずる。
筆者の例でもお伝えしましたが、「窮→通」ではありません。ポイントは「変」です。それも「変わりたいから」ではなく、「変わらざるを得ないから」「変えざるを得ないから」こそ、変わることを受け入れたということに注目して欲しいのです。人為的でない、自然の摂理による変化を経て道が開かれるのです。
変わりたいのに変われないと悩む人は多くいますが、それは変わるタイミングではないのかもしれません。
「変わりたい」より「変わらざるを得ない」が吉

一個人は大きな流れの中に浮かぶ船です。翻弄されるのは良くありませんが、その都度対策を立てていくのが、自然の流れに逆らわないうまくいく要諦です。流れに逆らえないからといって、自分のことをちっぽけに感じる必要は微塵もありません。
元来、日本人は大自然に対して頭を垂れるという、西洋のようなキリスト教などを主体とした神様に跪いて生きるという宗教観ではありませんので、自然に任せるのが王道なのです。
人手不足、機械化、自動化は産業界の自然の流れです。その流れに逆らわず、自分がそれらに通用するスキルを持っていないならば、変わらずを得ない状況ということですので、それに対応するために変われば、道は通ずるでしょう。
逆に、飽きたから、刺激が欲しいから、もっと楽しい生活をしたいからなどの理由によって変える必要のない物事を変えると、その変化によって窮することになるかもしれませんので、注意が必要です。
そのことをわかっている華僑は、うまくいっている物事を変えようと絶対にせず、自然のままに任せます。必要に迫られての変化は「恐れず、受け入れ」、不自然な変化は「恐れて、遠ざける」ことによって納得のいく人生を進めていくことができるのです。「恐れず、受け入れ」「恐れて、遠ざける」を使いこなすことができたら、自然の理通りなので、うまくやっていけるでしょう。
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