華僑にとってお金儲け=成功ではない

 私が知る華僑は、老いも若きも同じことを言います。

 「人生で確実に決まっていることがある。生まれたら死ぬということ。死ぬときに自分が自分の人生に納得できなかったら、それはどんなにお金儲けをしても成功とは言えない」

 華僑といえばユダヤと並び、世界のお金儲けの代名詞にもなっていますので、経済的な成功を第一にしているようなイメージがありますが、実は彼らにとっての成功は、故郷に錦を飾るのも一つ、最終的に自分が納得いったと言える人生を送ることなのです。

 華僑の師曰く「お金は自分の能力の証」。

 「家族や友たちと楽しい人生を送りたい。親兄弟にも豊かな暮らしをさせてあげたい。自分の望みを叶えるために必要なお金を稼ぐ能力があるかどうか。人よりもたくさん稼げるかどうかは関係ない。一番大事なのは、自分がそのお金を使ってどのように生きたかです」

 お金の多い少ないというのは関係ないのです。各個人が送りたい人生にツールとしてどれだけのお金が必要なのか、どのようなプランを設計するのかは、本人にしかわからないのです。

 自分に向き合うといっても「なぜ生まれてきたのか?」を考えると、人がどう思っているのか、どう評価されているのか、という全体のパーツとしての自分の存在意義など哲学的な方向に思考がいってしまいます。哲学的思索が悪いことではありませんが、それよりも、「自分はどのように生きたいか」を考えて日々研鑽に励む方が心の衛生上いいですね。

人生に行き詰まったら、それはチャンスの予兆

 どのように生きたいか、を考え出すと、何かに行き詰まる可能性があります。もしそのような状態になったら、今、人生の棚卸しのチャンスが訪れたのだと考えるといいでしょう。

 人が最も無駄にしている時間は探し物をしている時間だと言われています。定期的に棚卸しをしなければ停滞している時間が増え、さらに本当に大切なものがどこにあるのかもわからなくなってしまいます。

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