最近のトレンドワードに個人情報保護法の改正にともない可能となった情報銀行というものがあります。GAFA(Google、Amazon、Facebook、Apple)の躍進は個人情報の取得によるものというのは周知の事実です。行動履歴や購買履歴をお金のように預託することができるのが情報銀行です。
スマホとの連動によるAI(人工知能)、IoT(モノのインターネット)機器からどんどん商品化に繋げていくというニュースが毎日のように報道されています。IT(情報技術)分野でも特定の技術者しかわからないような仕組みが多く、情報についていくのに必死と感じているビジネスパーソンも多いのではないでしょうか。
単なる一消費者の視点で見れば、「へー、そんなことまでできるんだ」と楽しむことができるでしょうが、35歳以上の人は社会人になってからインターネットに触れ始めた人も多く、今後の仕事の行方の不安材料にもなっているかもしれません。
不利な条件を嘆いていても仕方ありません。「麒驥(きき)も一躍にしては十歩なること能わず、駑馬(どば)も十駕すれば則ちこれに及ぶべし」(荀子)を知っておけば心が折れずに済むでしょう。意味としては、どんな名馬でも一足飛びに10歩進むことはできないし、駄馬だからといっても10日かければ名馬よりも先に進む、となります。
華僑の教え「条件が不利な方がお金持ちになる」
自分はアナログ時代に生まれたから不利だと思うのは間違いだということに気づきましょう。アナログ世代がデジタル世代よりも能力が劣っているということではありません。この荀子の言葉からアナログ世代だからといって諦めずに一歩一歩進んでいく大切さを感じ取っていただけると思います。
まず捨て去るべきは「〇〇だからできない」という思い込みです。名馬は現代でいうところのデジタルネイティブの中でも特殊な技術を持った人たちです。彼らは、デジタル普及期に育ち、その中でデジタル世界に興味を持ち、学校のみならず、仕事でもその分野のことをやっていますので、条件としては最高ですが、条件が揃っているからといって何だってできるということになるのでしょうか?
そんなことはありません。条件が揃っている人はその条件が活かせる環境が整っているところでは有利だというだけです。サラブレッドの活躍の場は競馬場と限定されているのと同じです。決まったコースを速く走れるように訓練され、メンテナンスされているのがサラブレッドです。そのようなサラブレッドにデコボコの山道を走らせたらどうなるでしょうか? 速く走れないばかりか脚が折れてしまい、大変なことになってしまいます。そんなことはデジタルネイティブもわかっているので、アナログビジネスの分野には進出してきません。
じゃあ、アナログとデジタルの乖離が大きくなるのか? そんなこともありません。デジタルネイティブではない人が優位に立つためには「条件を問題にしない」ことです。
日本にも来日在日中国人が増えてきましたが、彼らは中国語をよく使い、日本にいても閉鎖的です。そんな彼らの中に筆者が入り込めたのは中国語がわかるからではなく、「条件を問題にしない」という考え方だったからなのです。
華僑の師は言います。「この仕事はやったことがない、この業界は知り合いがいない、これをするには予算が足りない。日本人は、経験があれば、コネクションがあれば、お金があれば、と条件ばかり言います。私たちを見てみなさい。お金はない、言葉はわからない、友達はいない、仕事がない。最初は何もないのは当たり前なんです。条件が揃っていない方がお金持ちになるのです」
何もないからこそハングリーになれる。工夫から知恵が生まれる。よく観察するから人と違うことを思いつく。条件が揃っていないのは喜ぶべきことであって、嘆くものではないということですね。
いくら環境を悔やんだり、過去を後悔したりしても意味はありません。過去が変えられないのであればと反対の未来を考える人もいることでしょう。
では未来を見てみましょう。「明日はゴルフだ、楽しみだなあ」。明日が楽しみでなかなか寝付けなかったという経験は誰にでもあるでしょう。ですが、明日を楽しんだという人はいません。なぜなら、寝て起きてみたら今日になっているからです。
未来は想像できても、未来を体験することはできないのです。それに対して過去は体験の集大成ですが、遡って体験し直すことはできません。過去の学びを踏まえて今を生き、今から先の未来に思いを巡らせます。私たちが生きることができるのは現在のみなのです。
「今」にとらわれなければ明日は良くなる
異国の地でゼロから何事にもチャレンジしている華僑たちのバイブルである中国古典に、次のようなものがあります。
「将(おく)らず迎えず、応じて而して蔵(おさ)めず」(荘子)
意味としては、過去を悔やまず、未来を案ぜす、今この時に応じた行いをして、それも心にとどめない、となります。「蔵めず(とどめない)」は深いと感じます。今が大事だといっても、今この瞬間もどんどん過去になっていきます。時間の流れは止められないのですから、刹那的に今にこだわることもないということですね。
例えば今晩からウォーキングをしようと決意して、3キロ歩くことにしたとします。ですが、仕事の疲れで1キロしか歩くことができなかったとしてもそれでいいのです。もっと言えば、今晩は歩かず、「明日から歩こう」でもいいのです。
そんなことを言い出したら何もできないし、自己嫌悪に陥ってしまいそうと心配する人もいるでしょう。そのような人は次の論語の言葉を覚えておけばいいでしょう。
「仁、遠からんや。我仁を欲すれば斯(ここ)に仁至る」
自分が仁を望めば仁に近づく。つまり自分がこうありたいと願った時にそうなりうるということです。やろうと思った時にエンジンがかかるのです。今エンジンをかけたことが大事なのであって、歩き出すのは明日でも問題ありません。
華僑いわく「過去は変えられる」。その真意は?
華僑たちも「今」を起点にしながら、「今」にこだわっていません。今うまくいかなくても修正すればいいだけのことと考えているので、落ち込むことはありません。このやり方ではダメだとわかった時に、今のやり方にこだわらずにサッと軌道修正する。それができるのは、過去の学びから未来のいろいろな可能性を想定しているからです。「現在」を見るときでも、同時に過去も未来も俯瞰しているのです。
華僑と日本人の違いで大きいのが過去の捉え方です。日本人的には過去は変えられないというのがノーマルな発想ですが、華僑は変えられると言います。
もちろん、お金儲けが得意な華僑といえども過去に起こった事実を変えることはできません。変えられるのは「過去の評価」です。
過去の評価とはどんなものでしょうか? 恐縮ですが筆者の例でお伝えします。私の噂を聞いてある華僑が会いたいと訪ねてきました。「よかったら失敗した話を具体的に教えて欲しいです。少し前に4000万を瞬く間に損したと聞きました。そこから挽回してそれよりも多くの儲けを出したと噂ですよ」。
そうです、失敗した時点で私の評価は「失敗したバカなやつ」「気の毒な人」となっています。ですが、そこから立て直せば、「失敗を糧にして、成功した凄い人」に変わるのです。失敗がなければ今の利益はなかっただろう、くらいの言われようですから、今ではその損失が私の鉄板ネタになっています。
今の時点でのマイナスの過去も、今からどうするかでプラスに変えることができます。ですので、失敗を恐れる必要はないですし、過去の失敗を悔やむ必要もありません。
「陰陽」の法則。アナログ人間はある意味安全
また失敗はアピール材料にも最適です。成功のアピールは妬みの対象になったり、あらぬ誤解のタネになったりしがちですが、失敗談であれば、喜ばれます。なぜなら失敗経験があるというのは、このようにしたら失敗しますよという忠告を嫌味なく伝えることができ、最高の情報共有となるからです。
成功しか知らない人よりも失敗を知っている人の方が頼もしく感じるのではないでしょうか。本コラムをお読みの方はご存知の華僑の思考の根本の「陰陽」。成功してスポットライトが当たっている状態は「陽」です。一方、失敗して人知れず悔し涙を流すのが「陰」です。陰も陽も知っている状態は強い状態と言えます。
何事にも光と影があります。左があるから右がある。上があるから下がある。成功があるから失敗がある。逆も然りで右があるから左があり、下があるから上があり、失敗があるから成功があるのです。
そう考えると、冒頭のことも憂うことではないというのがお分かりいただけると思います。デジタルがあるからアナログがある。デジタルネイティブがいるから非デジタルネイティブが存在するのです。これが簡単な「陽」の側面から見た話です。「陰」から見るとアナログの存在があるからデジタルの便利さがわかるのです。アナログ世代の人が使うからデジタルの進歩が実感できるのです。
「陰」のポジション取りが安全を招きます。「陽」の状態は注目されて得をしているように見えますが、それは順調な時や上り坂の時です。順調でなくなった時や停滞が始まれば、真っ先に「陽」のポジションの人が犯人扱いをされるのは古今東西の歴史が物語っています。
ビジネスパーソンとしてできる範囲や生産性アップに貢献するレベルのデジタル化への対応は必要かもしれませんが、アナログ世代は悪いポジションではありません。
例えば、最近の車は様々な電子機器が搭載されるようになってきました。従来の自動車エンジニアがわからないような不具合も出てきますが、そんな時に矢面に立たされるのは、エンジニアでもないデジタルネイティブの営業だったりします。「陰陽」を理解していれば、先端でないことや脚光を浴びていないことを感謝できるようになるでしょう。
デジタルネイティブというヒーローを応援しよう
それでは“ずるゆるマスター”の事例を見てみましょう。
中間管理職のEさんは今朝の新聞の朝刊を読んで嫌な気分になりました。最近、新聞や雑誌、スマホでニュースを見るたびに、自分の近未来が心配になり、気分が萎えてしまいます。都内の天丼店では完全キャッシュレスの店まで登場しました。どこもかしこもデジタルデジタルで嫌になってきます。
悩んでいても仕方ないのでU部長に相談することにしました。U部長は役員間違いなしと噂されているやり手の“ずるゆるマスター”です。
「という訳で私の世代というよりか、私のようにデジタル分野の仕事をできない人間は仕事がなくなるのではないかと心配でテンションが下がります」
「正直に話してくれてありがとう。確かに我が社もIT企業との提携が開始されるだろう。でも君が今話題にした情報銀行というのは、私たちにとっても追い風の話なんだよ」
「はい、それはわかります。会社にとっては追い風とはなると思いますが、私個人としては、デジタルに飲み込まれて仕事がなくなるような気がしてなりません。だからといって、今から帰宅後にプログラミングなどを勉強する時間も取れませんし…」
「荘子に次のような言葉がある。『将(おく)らず迎えず、応じて而して蔵(おさ)めず』。意味としては、過去を悔やまず、未来を案ぜす、今この時に応じた行いをして、それも心にとどめない、でいいだろう。今E君が準備しておくことは、デジタル化が進んだ暁に自分と同じような立場にある人たちの応援団になることだよ」
「応援団ですか?」
「そうだ、応援団。デジタルがどんどん社内でも社外でも提供されてくるけれども、それらは便利に使ってもらうために登場してくる。それを便利に使ってみて、デジタルに詳しくない人間がどのようにしたら使いこなせるかをフィードバックする役目があるよね」
「確かにそうですね。ただ、私のようなデジタルのスキルに劣る人間は、常に待ちの状態にあるような気がします。今まで張り切ってやってきたつもりでいるものですから、待っていて後方支援のような役割は張り合いが出ません」
「なるほどね。スポーツは大舞台ほどファインプレーが出ることを知っているかい? 例えば、プロ野球を考えてみよう。観客が誰一人いない球場で野球の試合をしても、おそらくいいプレーは出ないと思うよ。観客が一つひとつのプレーに良い悪いの反応をしてくれるから、選手も頑張り続けられる」
「言われてみればそうですね」
「選手たちは皆それをわかっている。ヒーローインタビューのお決まりに『応援してくれているファンのみんなのおかげです』があるけれども、あれはスタンドプレーじゃなしに本心なんだよ。デジタルの最前線にいるビジネスパーソンもアナログ中心のビジネスパーソンに役立っているという実感があるから頑張れるんだよ」
「そういうことなのですね。では、意地悪でアナログ集団が決起して何も反応しないようにすれば、デジタルの進歩は止められますね」
「ははは、E君らしくないね。意地悪してもデジタル化の波は止められない。資本主義社会ではビジネスのトレンドの波というものがある。波に逆らえば、それこそ、波に飲み込まれて終わりだよ」
「では指を咥えて応援に徹するしか方法はないのでしょうか?」
「そうだよ、悪くないと思うよ。『陰陽』の話はよくしているよね。応援は『陰』で目立たないのに喜ばれる。『陽』のデジタル陣は期待されている分、開発が遅れたり、不具合があったりした時に、真っ先に矢面に立たされる上、対処を完結できるのは限られた人しかできない。今流行りのブラックだ、なんていってられないよ。お互い、どちらが良いとは限らないよ」
「とてもスッキリしました。ありがとうございます。元気が出てきました、応援します」
翌日スッキリとした顔でデスクで仕事をしているEさんの姿がありました。決意表明など派手なことはしないのに、常にエンジンがかかった状態で気がつけばチャンスをものにするあの人は「仁、遠からんや。我仁を欲すれば斯(ここ)に仁至る」を日々実践している“ずるゆるマスター”かもしれません。
拙著『華僑の大富豪に学ぶ ずるゆる最強の仕事術』では、中国古典の教えをずるく、ゆるく活用している華僑の仕事術を「生産性」「やり抜く力」「出世」「マネジメント」「交渉術」の5章立てで詳しく解説しています。当コラムとあわせてぜひお読みください。
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