お気づきでしょうか? 村人も自分のメリットをうまく伝えたのです。「お互いのメリットを大切にしよう」という子罕に対して、村人は「この玉を手放すことが私のメリットです」と伝えたのです。

 村人の本当のメリットは「子罕に自分の忠誠心を認めてもらうこと」であろうと思われますが、押し付けにならないように工夫をしたのです。それを察した子罕は、村人の心として玉を受け取り、宝としての価値を受け取らないために即座に売り、お金を渡すことによって、双方のメリットを合致させたのです。

 相手のメリットは言えても、自分のメリットは言いづらい。多くの人はそう思っていますが、それは実のところ自分のメリットしか見ていないからかもしれませんね。子罕や村人のように相手のメリットを尊重すれば、自分のメリットも上手に言えるのですね。そこに着目すれば、駆け引きなしで目的を達することが可能になるのです。

裏切られたと嘆く前に「信用のスタンス」の改革を

 自己啓発するにあたって、誰から習うかはとても重要な要素になってきます。また、色々と外野の声も混ざってきます。これはビジネスの現場においてもそうですね。

 その時に、人を信じるか、それとも信じないか。華僑たちと常日頃付き合っている筆者の答えは、自分が信じたい人については、「その人は信じるが、その人がやることは信じない」となります。これが複数社を経営する筆者の基本的なスタンスです。

 私事ですが、人を丸ごと信用して痛い目にあったことは一度や二度ではありません。公私共に仲良くしていたビジネスパートナーに突然裏切られ、大金を失い、路頭に迷う寸前まで追い込まれたこともあります。

 そんな私の愚を改めさせてくれたのが、韓非子であり、華僑の師です。韓非子と華僑には共通点があります。韓非子は祖国の韓では評価されず、秦での活躍に希望を見出そうとしました。中国での熾烈な競争を避け、他国に活路を求めて出ていく華僑。いずれもアウェイでの挑戦ですから立場は当然不利です。理想論など言っている余裕はありません。韓非子も華僑も極めて現実的なのです。

 ですが、「人間の本性は悪である」という性悪説にたった韓非子の言葉をそのまま受け取ると、誰も信用しない日本人としては寂しい人生を送ることになります。

「善悪」は人それぞれ。状況によっても変わる

 そこで華僑の師に教わったのが、「100%の善も100%の悪もない」です。一般的に他人を騙すことは悪ですが、それによって「利」を得る本人およびその周りの利害関係者にとっては完全なる悪ではありません。

 人それぞれ、利になることが善、害になることが悪となり得ます。善悪も状況によって変わります。ということは、どんな場合でも100%というものはないので、100%信用するというのはリスク以外のなにものでもありません。

 人の性格が突然変わることがなくても、その人なりの善なる行動が変わる可能性は大いにあるのです。悪気があるなしに関わらず、人はそういうものだと思っておけば、「裏切られた」と騒ぐ前に手を打つことができ、悲劇になる前に対策が打てるようになります。