母国語ではない言葉でやり取りするのですから、予め人心の掌握を学んでいます。何から学んでいるのか? それが日本でも人気の中国古典です。教養のために中国古典を学んでいる人は日本人にも多く見受けられますが、華僑たちは「中国古典は使ってなんぼ」という感覚でいます。

 たとえまともに学校を出ていなくとも、成功華僑たちは異口同音に「中国古典を読めば、人の心の動きが書いてある」と言い、人間関係を制する普遍的な法則を抽出してリアルに活用しています。アメリカなどのマネジメント理論もよく読んでみると2000年以上前に書かれた中国古典の言い回しを変えたものだけ、もしくはそれのエビデンスをしっかりと取っているだけ、ということも多くあります。最新理論と言われていながらもオリジナルは中国古典ということはよくある話なのです。

上司の頭の中が見えると、部下は自分を隠す

 ジェネレーションギャップを埋めるのは簡単です。部下たち・後輩たちに、上司・先輩が何を考え、何を求めているのかをわからないようにすればいいだけです。

 そう言われても、管理職、先輩として部下の指導をしないわけにはいかない。そういった声が聞こえてきそうです。会社として取り組むべきことの業務指示・命令は違わず伝えなければなりませんが、一人のビジネスパーソンとして、何を考え、何を求めているかを明らかにする必要はありません。ただ、淡々と飄々と業務を遂行していくのです。

 それがなぜ、いいコミュニケーションに繋がるのかは、韓非子が教えてくれます。「好を去り悪を去れば、群臣素を見(あら)わす」。意味としては「君主が好き嫌いを表に出さなければ、臣下は君主の好き嫌いに合わせて自分を飾ろうとせず、ありのままに振る舞うようになる」でいいでしょう。

 上司・先輩が好き嫌いを表さず、仕事のやり方についても細かな指示を出さなければ、部下・後輩は素の自分を出すため、対策が練りやすくなる。そういう解釈ですので、とにかく何を考え、何を求めているのかをわかりにくくしておくのは、部下や年下の人とのコミュニケーションのイニシアチブをとる基本と心がけることは、得をしても損はしない行動と言えます。

 逆を考えれば納得いただけるはずです。もし、あなたの上司が暴君タイプで、好き嫌いがハッキリとした人なら、きっとその対策を前もってするのではないでしょうか? 好きなものを揃え、嫌いな物事については発言せず、目につかないように隠す、などの行動に出るでしょう。

 好き嫌いがバレたが最後、アンデルセンの代表作の「裸の王様」よろしく、知らないのは自分だけ、という状態でコミュニケーションなどとれるはずもありません。

 韓非子は、斉の垣公のエピソードで伝えています。垣公が紫色の衣服を好んで着ていたところ、国中のみんなが紫の衣服を身に纏うようになり、紫の布の値段が跳ね上がりました。そこで垣公は紫の衣を着るのをやめ、紫の衣を着ている臣下が近づいてくるたびに「私は紫の衣の匂いが嫌いだ」と言って遠ざけるようにしました。結果、国中の誰も紫の衣を着なくなった、という話です。

 華僑たちはこの話を読んで「へえ、面白い逸話を聞いた」では終わりません。「決して自分の好みを表に出してはいけない」と読み解き、実践します。