書籍や雑誌、新聞、ウェブサイトにおいて、「マネジメント」という文字を見ない日はありません。それくらい日本中がマネジメントについて困っている証しでもあります。
日本の高度成長時代は、「私の後についてこい」「私たちの時代はこのようにやったものだよ」と武勇伝や昔話をしておけば、それを聞いた部下たちもそれなりに結果が伴ういい時代でした。
ですが、今は先進国と言っても好況感を実感している人は一部の企業、業種の人だけで、多くの人は時代が変わったことに戸惑いながらこの10年を過ごしてきたのではないでしょうか?
部下育成、後輩指導。マネジメントと切り離せないこれらに頭を悩ませている人は少なくないのではないでしょうか? 特に昭和生まれと平成生まれの混在した職場では、退勤後のお酒を有効活用したコミュニケーションの場もどんどんなくなりつつあります。
お金儲けがうまい華僑は人間関係の達人
そのように、多くの人がマネジメントについて頭を悩ませている日本において、「そんなに人との関係性が難しいことかい?」と首をかしげる人たちがいます。日本全国各地で活躍する華僑たちです。
華僑はユダヤと並んでお金儲けの代名詞になっていますが、華僑の定義は曖昧です。本コラムでは、在日中国人、来日中国人の中でも、日本人相手にビジネスをしている華人を華僑と呼ぶことにします。
一部の富裕層師弟を除いて、多くの華僑は、激しすぎる中国国内の競争から逃れ、一旗揚げるために来日しています。その多くは、裕福な家とは程遠い家庭環境ゆえに親類縁者や近所の人から借金などをして勝負をかけに来ています。
「お金は人が運んでくる」というのは世界各国で言われていますので、読者の方もどこかで聞いたことがあるでしょう。お金儲けの代名詞と言われる華僑たちは、人が運んでくるお金をキャッチするのがうまい、と考えると非常にコミュニケーション能力が高いとも言えます。
母国語ではない言葉でやり取りするのですから、予め人心の掌握を学んでいます。何から学んでいるのか? それが日本でも人気の中国古典です。教養のために中国古典を学んでいる人は日本人にも多く見受けられますが、華僑たちは「中国古典は使ってなんぼ」という感覚でいます。
たとえまともに学校を出ていなくとも、成功華僑たちは異口同音に「中国古典を読めば、人の心の動きが書いてある」と言い、人間関係を制する普遍的な法則を抽出してリアルに活用しています。アメリカなどのマネジメント理論もよく読んでみると2000年以上前に書かれた中国古典の言い回しを変えたものだけ、もしくはそれのエビデンスをしっかりと取っているだけ、ということも多くあります。最新理論と言われていながらもオリジナルは中国古典ということはよくある話なのです。
上司の頭の中が見えると、部下は自分を隠す
ジェネレーションギャップを埋めるのは簡単です。部下たち・後輩たちに、上司・先輩が何を考え、何を求めているのかをわからないようにすればいいだけです。
そう言われても、管理職、先輩として部下の指導をしないわけにはいかない。そういった声が聞こえてきそうです。会社として取り組むべきことの業務指示・命令は違わず伝えなければなりませんが、一人のビジネスパーソンとして、何を考え、何を求めているかを明らかにする必要はありません。ただ、淡々と飄々と業務を遂行していくのです。
それがなぜ、いいコミュニケーションに繋がるのかは、韓非子が教えてくれます。「好を去り悪を去れば、群臣素を見(あら)わす」。意味としては「君主が好き嫌いを表に出さなければ、臣下は君主の好き嫌いに合わせて自分を飾ろうとせず、ありのままに振る舞うようになる」でいいでしょう。
上司・先輩が好き嫌いを表さず、仕事のやり方についても細かな指示を出さなければ、部下・後輩は素の自分を出すため、対策が練りやすくなる。そういう解釈ですので、とにかく何を考え、何を求めているのかをわかりにくくしておくのは、部下や年下の人とのコミュニケーションのイニシアチブをとる基本と心がけることは、得をしても損はしない行動と言えます。
逆を考えれば納得いただけるはずです。もし、あなたの上司が暴君タイプで、好き嫌いがハッキリとした人なら、きっとその対策を前もってするのではないでしょうか? 好きなものを揃え、嫌いな物事については発言せず、目につかないように隠す、などの行動に出るでしょう。
好き嫌いがバレたが最後、アンデルセンの代表作の「裸の王様」よろしく、知らないのは自分だけ、という状態でコミュニケーションなどとれるはずもありません。
韓非子は、斉の垣公のエピソードで伝えています。垣公が紫色の衣服を好んで着ていたところ、国中のみんなが紫の衣服を身に纏うようになり、紫の布の値段が跳ね上がりました。そこで垣公は紫の衣を着るのをやめ、紫の衣を着ている臣下が近づいてくるたびに「私は紫の衣の匂いが嫌いだ」と言って遠ざけるようにしました。結果、国中の誰も紫の衣を着なくなった、という話です。
華僑たちはこの話を読んで「へえ、面白い逸話を聞いた」では終わりません。「決して自分の好みを表に出してはいけない」と読み解き、実践します。
有能さを誇示する上司は部下に使われる
自分の好みを出してはいけないのだから、実績や経歴で部下や後輩にいうことを聞かせよう、と考えた人は、少し読みが浅いかもしれません。人は利で動きます。上司・先輩であるあなたの利益があるように、部下・後輩にも自分個人としての利益があります。
上司が有能だとわかれば、上司をうまく使って後で逆転しようと考える器用な若者も少なくありません。年功序列制が崩れつつある現代において、若い人が抜擢される場合の多くはこのパターンです。上司が力や実績を誇示して気分良くなっている間にそのノウハウを盗み、場合によっては実績までも奪っていきます。
だからといって無能や無邪気を装う必要はありませんが、部下や後輩にしっかりと働いてもらい、彼らをまとめていくことを考えた場合、上司・先輩の力量をむやみに見せつけてはいけません。若かりし頃、プレーヤーとして個人の能力で頑張ってきた人はこのパターンに陥りがちになりますので、注意してください。
韓非子は次のように述べて、上司や先輩が力を見せつけるのを戒めています。「智を去りて明有り、賢を去りて功有り、勇を去りて強有り」。意味としては「賢い君主は自分の智恵・才能・勇気をひけらかさず、部下にそれらを発揮させることによって良い結果を手に入れる」でいいでしょう。
上司・先輩が智恵や才能や勇気を見せることによって、ずるい部下はそれに甘えるようになり、最後の責任は上司・先輩にある、と心のどこかで思い、行動を制御するようになってしまうことを戒めている含蓄のある言葉です。
この辺りを華僑は非常によく心得ていて、「私はできないけれど、君がもしできないとしたら、チームとしての評価が悪くなる、先が長い君への影響は計り知れないよ」と、それとはバレないように恫喝まがいのことをして相手を意のままに繰るのを得意としています。
商談にしても、企画書作成にしても、上司の上にはまたその上司がいる、というのは誰もが知っている既知の事実です。あまり有能さを下の人に見せると最終的な責任は上司、先輩がとってくれるだろうという、部下後輩たちのずるさを出させる結果になることをくれぐれも注意したいものです。
華僑たちがよく口にする言葉に「ずるい=賢い」「賢い=ずるい」というものがあります。部下や後輩にずるさを出せないのも愛情あるコミュニケーションの一つです。なので、本コラムはずるさをゆるく使っていきましょうということで「ずるゆる」なのですね。
知らず知らず、部下をずるくしてしまっていた!
それでは“ずるゆるマスター”の事例を見てみましょう。
中間管理職のWさんは悩んでいます。連日報道される「働き方改革」の影響もあり、会社としても残業を減らしつつ、業績はアップせよ、居心地のいい職場を作れ、のお達しがありました。
Wさんはこれまで額に汗し、時には寝不足になりながらも真面目に会社のためと思って頑張ってきました。その頑張りが認められたのかはわかりませんが、早くもなく遅くもなくではあるものの、それなりに順調に社内等級は上がってきました。
しかし、自分の年齢が高くなったからなのか、デジタルネイティブ世代が職場に増えたからなのか、理由はわかりませんが、近頃は管理職としてどのように振る舞っていいのかがわからなくなっています。
Wさんが20代の頃の上司たちは「私たちの世代はこうだった。君たちも私たちの背中を見て学びたまえ」と言い、Wさんはそれを愚直に実践してきました。会社の外での、いわゆる飲みニケーションを大切にすることも、その一つです。ですが、最近の部下・後輩たちは退勤後の一杯のお酒に誘っても「それには残業代はつくのですか?」と言う始末。
管理職としてしっかりとマネジメントせよ、マネジメントできないものは出向が待っている、という暗黙のプレッシャーもあります。今、出向を命じられたら、住宅ローンから子供の塾代から何から何までライフプランが狂ってしまいます。
焦れば焦るほど、もうどうしていいかわからず、叫び出したい気持ちになることさえあります。
「一人で悩んでいてもしょうがない、P部長に相談しよう」
いつも飄々としていて何を考えているかわからない“ずるゆるマスター”のPさんは、最年少で部長となり、役員の呼び声も高い業務部の部長です。
「というわけで悩んでおります。情けない話ですが、どうしていいかわかりません」
「正直に話してくれてありがとう。ところでW君の直属の部下は何人だい?」
「そうですね、スタッフと呼ばれるアルバイトの子たちも含めて20人です」
「なるほど、20人くらいになるとマネジメント能力が必要になってくるね。一つずつ紐解いていきたいのだけれど、一番困っているのは何?」
「一番ですか? 私は強く言ったり、大声を出したりしない方だと自覚しているのですが、イエスマンばかりで全てを私が決めないと物事が進まないのです。もうみんないい年のビジネスパーソンなのですから、もっと自主性を持ってもらわないと、私自身、全部に目が行き届きません」
「部下の前で好き嫌いを言ったりするのかな?」
「最近は減ってきましたが、タバコが苦手です。あと、日報が出ているかどうかはキッチリとしてもらっています。好きと言えば、私が実践してきた30分前出勤は徹底されていると思います」
「W君の前でタバコを吸わず、日報を出し、30分前出勤をしていれば、W君はそれなりに気分がいいということで間違いないかい?」
「はい、それはみんなやってくれていると思います。そこには不満は一切ございません」
「ははは、面白いことを言うね。W君の好き嫌いをしっかりと部下たちはわかってそのようにやってくれている。それなのにW君はモヤモヤ感で悩んでいる」
「……」
「W君はすでに、部下に対策を練られている状態なんだよ。韓非子が面白いことを言っている。『好を去り悪を去れば、群臣素を見わす』。意味としては、君主が好き嫌いを表に出さなければ、臣下は君主の好き嫌いに合わせて自分を飾ろうとせず、ありのままに振る舞うようになる、でいいだろう。これをW君に当てはめてみると、W君は好き嫌いを部下たちに伝えてしまっているので、部下たちはW君が嫌いなことは陰で隠れてする。例えば、W君にわからないようにタバコを吸っている。日報さえ出せば、機嫌が良くなるのを知っているから、仕事の中身ではなく、日報を書くことが目的化しているんだよ。30分前に出勤なんて誰でもできるから、30分前に出勤して既に今日の日報を書いているかもしれないよ」
「部長の仰る通りだとしたら、生産性が上がらないのは当たり前ですね」
「怖いね。だから、今からタバコのことは一切言わない。日報に関しては今後自主性に任せる旨をみんなに伝えるんだ、もちろん、30分前出勤もしなくていいんじゃないかな、と少しずつ変えていこう」
「はい、かしこまりました」
「得」より「損」を使えば、部下は力を発揮する
「次に困っているのはなんだろう?」
「そうですね、私たちの世代と比べて無責任に感じることが多いです。部下にお願いした案件でもいつも私が最終チェックをし、ミスや漏れがあれば、私が訂正しております。ですが、時短命令が出たので、それができなくなりました」
「なるほど。ではもう一つ韓非子の言葉を覚えておいてほしい。『智を去りて明有り、賢を去りて功有り、勇を去りて強有り』。意味としては、賢い上司は自分の智恵・才能・勇気をひけらかさず、部下にそれらを発揮させることによって良い結果を手に入れる、でいいだろう。W君が責任を取ってくれる、W君は実績がある、W君は力がある、と部下が認識すればするほど、彼ら彼女らはその君に甘える」
「では、今後この流れを変えるために私はどうしたらいいのでしょうか?」
「簡単だよ。時短で私が責任を持ってチェックできなくなった。ミスや漏れがあれば、チームの責任になる。部下の君たちに責任を押し付けることはしないけど、私よりも君たちの方が先が長いのだから、人事に若いうちから悪いように評価されると損だよ、と伝えるだけでいい。人は快楽を得るよりも、苦痛から逃れる時の方が脳が力を発揮するようにできている。このままだと苦痛が待っていると暗にほのめかせばいい」
「部長、ありがとうございます。なんだか、とてもスッキリしました。」
1カ月後、Wさんのチームは驚くほど雰囲気が変わりました。活気があるという表現がぴったりの職場です。時短も達成し、誰から見ても活気のある職場の管理職のWさんも当然イキイキとしています。“ずるゆるマスター”のP部長はそれを見て、Wさんの更なる昇進を確信しました。
いつも飄々として何を考えているのかわかならないのに、うまくチームをまとめて実績を積むあの人は“ずるゆるマスター”かもしれません。
筆者の最新刊『華僑の大富豪に学ぶずるゆる最強の仕事術』では、中国古典の教えをずるく、ゆるく活用している華僑の仕事術を「生産性」「やり抜く力」「出世」「マネジメント」「交渉術」の5章立てで詳しく解説しています。当コラムとあわせてぜひお読みください。
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