北朝鮮の暴走を止めるカギを握っていると言われる中国ですが、同じアジア人の私たち日本人から見ると何とも歯がゆい動きしか見せません。中国は古来より内戦を繰り返してきた歴史的経緯もあり、あらゆる出来事に対して「駆け引きをよし」とする文化的背景があります。「潔しとして尊し」の文化の日本人には、正義か悪か、正しいか正しくないかをハッキリさせる風潮がありますが、それは何も政治の世界に限ったことではありません。
ビジネスの世界においても中国人は非常に厄介な、扱いにくい、何を考えているのかわかりづらい人種でもあります。そのわかりづらさをうまく使い、世界各地で活躍しているのがいわゆる華僑と呼ばれる人たちです。
知っておいて損はない「厚黒学」の論考
華人たちは、そもそも「腹黒い」ことや「面の皮が厚い」ことを悪いことと思っていません。もちろん、そのような教育を受けて育っています。華僑がよく口にする言葉に、「ずるい=賢い」「賢い=ずるい」というものがあります。
中国の歴史書は日本でも人気のあるジャンルですが、中国でもそれは同じです。ですが、好きな人としてあげる人物が違います。日本人は、聡明なイメージのある諸葛孔明や、清廉潔白なイメージのある孔子などを読んだり、学んだりする人が多いのではないでしょうか?
一方で近頃の華僑たちに圧倒的人気を誇るのは、「腹黒い男、曹操」と「厚顔無恥な男、劉備」です。腹黒い、面の皮が厚い、この二つを掛け合わせた「厚黒学」という書籍が一時非常に好んで読まれていたほどです。
腹黒いのは、器が大きい証。自分の感じたことなどは一切表には出さず、計画通りに物事を遂行するために泥水も平気で飲む、目先の損得では一切に行動に影響を与えない、最終的には自分が得をするよう仕組むのが利口な態度、そのような解釈です。
面の皮が厚いのは、朝令暮改よろしく何を言われようが、目的遂行のためには平気で前言を覆すのは、ブレない心の強さを持ち合わせている証。目的と手段は絶対に混同せずに、目的の達成のためには手段は選ばない、そのような解釈です。
目的達成のために、目先の損得は一切関係ない、これが「腹黒い」と「面の皮が厚い」を合わせた「厚黒学」です。「厚黒学」は中国国内でも物議を醸し、一旦はお蔵入りとなったものですが、近代になり、一般書籍として発売されるようになったという経緯があります。
「厚黒学」によると、腹黒く、面の皮が厚いのは、後から身につけるものではなく、人間本来に備わっているもの、と記されています。人にはスポーツの才能、勉学の才能、文学の才能、音楽の才能など様々な才能がありますが、元々生まれ持ったものを才能というならば、腹黒く、面の皮が厚いのは、誰しもが生まれ持った才能の1つと華僑たちは考えています。
これはサムライ魂を大切にしたい日本人には、なんて性格の悪い、意地汚い、と罵りたくなるような考え方ですが、そのように腹立たしさをあらわにすることが彼らの狙いでもあるのです。
彼らは、怒る=弱点と考えています。「潔くないじゃないか」と怒れば怒るほど、彼らは喜びながら、それをすぐに訂正し、いざという時の駆け引き材料のためにとっておくということをします。まさに相手が怒るのを見て「しめしめ」と思う腹黒さ、それをすぐに引っ込めてこちらが困った時にそれを出してくる面の皮の厚さ、この2つを使い、ビジネスにおいても有利に物事を進めているということになります。
古来論争の的。人間の本性は善か? 悪か?
日本において道徳の見本の1つとして孟子の教え「性善説」を学んでいる人も少なくないでしょう。この「性善説」をあっさりとバッサリと切り捨てるのが「厚黒学」です。
孟子の言葉の「仁義礼智は、外より我を飾るものにあらず、我これをもとよりもてるなり」。意味としては、仁義礼智という4つの徳は後から飾り付けたものではなく、人間本来もって生まれたものである、という言葉です。
仁義礼智は、孟子の四端説で取り上げられるもので、儒教が説く徳とされます(儒教では4徳に「信」を加えた5徳)。「仁」とは思いやりの心を説いたものです。「義」は利の反対で私欲にとらわれないことを説いています。「礼」は仁をわかってそれをいかに具体的な行動に落とし込むかを説いています。ちなみにこの「礼」は性悪説の荀子が最も重要視した概念の1つです。「智」とは知識、智恵の大切さを説いています。
「厚黒学」では次のように孟子の四端説を例にあげ、真っ向から否定しています。
幼い子供と母親を思い浮かべればいいでしょう。幼い子供は、母親の愛情など気づかずに、本能の赴くままに、母親の茶碗に手を突っ込んで母親の分まで食事を奪おうとします。兄弟姉妹がいれば、彼ら彼女らの意思とは無関係にその欲するままに、兄弟姉妹のお菓子に手を出し、場合によっては攻撃をしたりする。この幼い子供を見て、「仁義礼智は、外より我を飾るものにあらず、我これをもとよりもてるなり」など、後からの教育のものとわかるはず、と綴っています。本能の赴くままに、兄弟を殺し、我が子を殺し、父親を脅し、天下を取った唐の太宗を例にして、本能を解放することによって大事業を成し遂げられることを肯定しています。
腹黒く、面の皮が厚い、という意味では、日本で人気の兵法家の孫子も負けてはいません。日本の四字熟語にもなっている「呉越同舟」。この言葉は元々孫子が言った言葉で「呉人と越人、あい憎む。まさにそれ同舟して共に済らんとするに風に逢う。そのあい助くるや、左右の手の如し」。意味としては、呉人と越人は普段は憎しみ合っているが、同じ船に乗っていて嵐にあえば、皆お互いが協力しあうようになる、でいいでしょう。これは船を守る、という目的達成のためには、敵とも平気で手を組む、という解釈ができます。
腹黒く、面の皮が厚い華僑は、性善説の揚げ足を取るために孟子との論争が残されている告子の言葉も引用します。「性に善なく、不善なし」。生まれつき、善いということもないのだから、本能の赴くまま思考しても悪くない、という論です。告子はこうも言っています。「色、食は、性なり」と。意味としては、幼い子が親を愛するのは食のためであり、青年が妻や彼女を慕うのは色の故である、となります。食と色は動物の生存に必要なものであり、それは本能である、と。
このように腹黒く、面の皮が厚い人は、昔からたくさんいて、そのような本能に基づく野心、野望を達成してきた人はたくさんいるじゃないか、だから自分もそのようにしてもうまくやればよい、と考えている華人華僑は多くいます。
「腹黒い」「面の皮が厚い」を“ゆるく”する方法
ですが、それをそのまま日本人が日本で実践するには無理があるでしょう。受けてきた教育を考えても心が痛む人が多いのではないでしょうか? 「ずるい=賢い」「賢い=ずるい」は華人的発想です。グローバル化した現在、私たち日本人が世界で生き残るのみならず、競争に打ち勝っていくためには、少しだけこの「ずるい」を使いましょう、ということで本コラムは「ずるゆる」なのですね。
「腹黒い」をゆるくする方法です。これはまず、発言や発信に注意する、というところからスタートすればいいでしょう。現代社会はスピードが必要とされていますが、それはITの有効利用によって補えますので、何でもかんでもすぐに反応するのを控えるのです。
ビジネスは武器を使わない戦争と例えられます。どこに地雷が仕込まれているのかを十分に気をつけることです。良かれと思って取った行動が「軽はずみ」と捉えられるリスクもあります。
特にインターネットを使ったメールやSNS、掲示板などは注意が必要です。ハガキや手紙などのアナログのものは紛失、破棄すれば、なかったことにできますが、デジタルデータはいくらでも複製、復元が可能です。
まずは、1つひとつのパーツを全体的に見た場合、どこのパーツになるのかをしっかりと把握する習慣を身につけるのが、ゆるい腹黒さを持つポイントになります。
「面の皮が厚い」をゆるく実践する方法です。これはプロに徹するということに他なりません。プロ野球のオフシーズンなどに必ずテレビ番組で登場する珍プレー好プレーがありますが、珍プレーさえも話題にするプロ魂が必須となります。プロスポーツ選手がシーズン中に例外を除いて泣くことはありません。どんな負け方をしても平気でいます。プロは1試合勝負ではないからです。
一方、アマチュア選手は1試合勝負です。これはビジネスマンでも同じです。プロの仕事人は引退するまで仕事が延々と続きます。1つの仕事を終えて、それでおしまいということはありません。ミスをしても失敗をしても淡々と飄々と仕事に打ち込むことによって、ゆるく面の皮が厚い状態に持っていくことが可能になります。
直球勝負には限界がある
それでは“ずるゆるマスター”の事例を見てみましょう。
入社20年、中間管理職と呼ばれる立場になっているFさんは最近、浮かない顔をいつもしています。
日曜日の夕方になると、翌日の月曜日が憂鬱です。典型的なサザエさん症候群です。仕事で何かミスをしたり、トラブルを抱えていたりするわけではありません。同期や少し下の後輩が辞令で次々に栄転していくのが、辛いのです。
振り返ってみると、中学生になった時は親に言われるまま1年生から塾に通い、いい成績を取り、先生に目をつけられないよう地味に生活し、地元のトップ校に進学。高校入学後も周りの同級生と同じようにまた塾に通い、都内の名の知れた大学に入りました。就職も親親戚が喜んでくれるであろう会社に入社しました。
入社後も、特に希望を出すわけでもなく、人事辞令を受け入れ、一生懸命に働いてきました。20代後半、当時の部長の親戚にあたる現在の妻とも結婚しました。子宝にも恵まれました。
普通に考えたらなんの不満もない生活が流れていく、自分はある程度のラインに乗っていると思っていたのですが、ここ1、2年の人事を見ていると自分は実はラインから外れたのかもしれない、という一種の焦燥感が襲ってきます。
「ダメだ、頭が変になりそうだ。ここは“ずるゆるマスター”のD部長に思い切って相談してみよう」
“ずるゆるマスター” D部長は役員間違いなしを噂されている最年少部長です。
「という感じで、辛くて辛くてたまりません」
「正直に話してくれてありがとう。F君は真っ直ぐな性格でとても好感が持てると個人的には思っているし、仕事も真面目に頑張って成果も出ている」
「なのに、なぜ、後輩たちに抜かされていくのでしょうか? 人事評価で」
「ストレートだね(苦笑)。F君が正直に話してくれたから、私も正直に伝えるよ。F君は野球のピッチャーで例えるとストレートの球しか持っていない。伸びのある豪速球で期待を集めるのは新人時代だけだ。自分自身でも気づいていると思うけど、20代の頃と比べると体力も落ち、無理も効かなくなっているのじゃないかな?」
「はい、体力面の衰えは実感しております。ですが、それと何が関係あるのでしょうか?」
「おおありだよ。速球の球威が落ちてきたら、カーブ、シュート、スライダー、シンカー、色々な球種を覚え、さらにそれらの組み合わせを計算できるようにならないといけない」
目的を達するための「わかりにくさ」も必要
「会社は真面目人間は要らない、という理解でいいでしょうか?」
「そこだよ。極端すぎる。会社は個人プレーをするための場所ではない。一人でできないことを複数の人間が集まってレバレッジを効かせて勝負するためのプロ集団、その器が会社だよ。また、正義を語る場所でもない。正義というものは人によって違うんだ。大人社会という言葉があるよね。大人になるということは腹黒く、面の皮が厚いかもしれない、と心配しながらでちょうどいい塩梅なんだよ」
「腹黒く、面の皮が厚く、ですか? 誰かを踏み台にして、ということでしょうか?」
「F君のためだよ、ハッキリと言うね。そういうことを口にしないで欲しい。そういうことを口に出すなら面談は終了させてもらうよ」
Fさんは、ハッとした表情を浮かべました。
「はい、黙って聞きます」
「わかってくれたみたいだね。四字熟語にもなっている『呉越同舟』。この言葉は元々孫子が言った言葉で『呉人と越人、あい憎む。まさにそれ同舟して共に済らんとするに風に逢う。そのあい助くるや、左右の手の如し』が語源だ。普段ライバルでも、目的達成のためには時には手を組むのも手、という解釈でいいだろう。F君の言動はセクショナリズムが強すぎる。同期や後輩たちに先を越されたくない気持ちもわからないでもないが、それは誰しも同じ。態度や言動にそれが出たら、外でもF君は非常にわかりやすい態度をとってしまう、と評価せざるを得ないのはわかってもらえるよね? 目的と手段を混同してはいけない。F君の希望は? F君の目的は?」
「希望は同期や後輩に負けたくないです。目的は今の仕事にやりがいを感じているので、さらに上席になり権限を増やしたいです」
「わかった。まだ遅くない。等級が上がるのも、上席になるのも、会社への貢献度で決まる。会社への貢献度というのは自分の業績だけじゃない。会社内部の人間とうまくやっているかどうかも十分、会社への貢献だ。みんなが気持ちよく働ければ、それだけたくさんの人間のパワーが有効活用されるからね。人事部や役員の方も、そのあたり、しっかりと見てくれている。あと20年ある。F君の目的達成のために、一時の感情でモノを言ったり、自分の功績をアピールしたりすることを今日限りやめる。そして、羨ましいという心を捨てる。F君は真面目に取り組むのが得意だから、正論を撒き散らすのをやめたら、何を考えているのかわからない、とライバルが怖がるかもしれないよ。これもここだけの話だけどね」
「はい、かしこまりました」
強い調子でまくし立てるわけでもなく、コネで声が大きいわけでもないのに、なぜか評価が高く、順調に見えるあの人は、腹黒く、面の皮が厚い“ずるゆるマスター”かもしれません。
筆者の最新刊『華僑の大富豪に学ぶ ずるゆる最強の仕事術』では、「ずるい=賢い」を常識とする華僑の発想を日本人として“ゆるく”活用する方法について「生産性」「やり抜く力」「出世」「マネジメント」「交渉術」の5章立てで詳しく解説しています。当コラムとあわせてぜひお読みください。
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