ルールは一般的には、立場が上位にある人が作るものと相場は決まっています。国などでは議会によって決めているよ、という声が聞こえてきそうですが、これでさえ選ばれた議員という立場のある人たちによって作られるものなので、全員の意見が反映されているとは言えません。

 会社であれば、社長や役員、部長など役職が上の人ほどルールを作るときに有利な立場にいます。地域での決まりごとを決めていくにあたっても、年長者や古くからその地域に根ざしている人の声はどうしても大きくなりがちです。

 いくつか見てみましょう。「あの人はいつもギリギリに出社してくる」という嫌味。これは出社時間というルールが存在するから出てくる不平の1つですが、もし、出社時刻が決まっていなければ、もしくは仕事のパフォーマンスでの評価になっていたとしたら、このような嫌味が発せられることは起こりません。

 公共交通機関である電車内はわかりやすいです。携帯電話による通話です。これはルールというよりもマナーの問題だ、と誤認してしまっている人も今となっては多勢を占めるようになってしまっていますが、ほんの10年ほど前までは、誰もが普通に電車内でも携帯電話で会話をしていました。それがいつの間にか、電車内では携帯電話による通話はダメ、というルールになってしまったので電車内で通話をする人は白い目で見られるようになったり、そのような人が近くにいると不愉快に感じるようになったりしました。

 同じく電車での行為で、優先座席に若者が座っていると白い目で見る人は多いのではないでしょうか? それは優先座席というルールがあるからなのです。諸外国のように、優先座席など作らずに、お年寄りや体の不自由な方、妊婦や困っている人には座席を譲るのが当たり前、という善意に働きかけるような呼びかけをしたほうが、皆が納得のいく社会システムと言えるでしょう。

話し合いの余地を作って「得をする」

 規則を作ってしまうと、他の人への統率の意味も含めて、「仕方ない」という処分が出てきてしまうのもルール化の弊害の1つです。

 先ほどの例に出てきた、ギリギリに出社してくる人が優秀だったとしても、始業15分前出社というルールがあると、その人を抜擢することができなくなってしまいます。実はギリギリに出社してくるその人は、親の介護の問題を抱えていたり、共稼ぎで子供を送り届けてからの出社したりなのかもしれません、はたまた、低血圧で朝には弱いけれども、夜の残業には強い人かもしれません。また、朝ギリギリ出社の穴埋めに土曜日出勤をしていることも可能性として考えられます。

 ルール化していないと、出来事に対して話し合いの余地をつくることができるのです。「なぜ、◯◯のようになってしまうのか?」と聞くことができるのですね。ルール通りの問答無用よりも明らかに、そのほうが柔軟な対応をすることもできますし、有利にことを運ぶような話し合いをすることも可能になってきます。

 華僑たちはルールというのは、紙に書いてあるものであって、それが人間同士の話し合いよりも優先されるとは考えていないのです。紙に書かれたモノが話し合いよりも優先される状況になれば、「抜け道」をさっさと探す行動にでます。ルールとは決め事である以上、必ず抜け道が存在します。抜け道を抜けられて、「いっぱい食らわされた」と思うほうがいいのか、それとも最初から話し合いの余地を取っておくほうがいいのかは、考えるまでもないですね。

 抜け道を探すなんてズルイよ、と感じたあなた、「正解です」。前回のこのコラムでもご紹介したように、中国人社会では、「賢い=ずるい」「ずるい=賢い」と表現されることが多くあります。という理由からこのコラムでご紹介するのは「ずるゆる」なのですね。狡さを知りつつ、あえてそれを使わない。あるいは少しだけ周りの幸せのために使ってみる。それが「ずるゆる」なのです。