逆のパターンの全体肯定と部分肯定。「今日のネクタイいいね」と部分を褒められているのに、舞い上がってしまいトータルコーディネートから何から何まで褒められていると勘違いする人です。一見前向きでポジティブそうですが、このタイプは常に現状認識が甘い傾向にありますので、同じミスを繰り返す傾向があります。また、過去の栄光をずっと引きずりますので、ある意味後ろ向きな部分も持ち合わせていると言えます。少し大きめのトラブルに見舞われると、全否定タイプに瞬時に変わってしまうのも特徴です。

 「全体と部分」がわかれば、それを信用にも応用します。頼まれごとをされても部分的に協力すればいいのです。例えば、自分の仕事の段取りは計算できる、そこで他の人から協力要請があれば、「私は○時に退社しますが、それまでできることをお手伝いさせていただきます」となります。全体と部分を混同すると安請け合いしてしまい、自分のその後の約束をキャンセルしてまで人の協力に時間を取られることになりかねません。

 請けたからには最後まで全うする、というのは非常に格好よく感じます。しかし、それによって自分の充実度が下がれば、それは後々、会社・組織にも迷惑をかけるということにもなる危険性を認識しておく必要があります。

 全てを受け入れるということは重たく、人間関係を気持ちがよくないものにしてしまい、それが原因で人との付き合いが慎重にならざるを得なくなります。気持ちよく付き合っていくためにも全体と部分を分けるのは非常に重要な考え方です。

嫌われず信用もされない、便利な言葉がある

 華僑はここまで読み、計算して人付き合いをしています。欧米で流行っていて日本にも随分前から輸入されている「ディベート」というものがありますが、華僑たちにはその概念はありません。ディベートは、白か黒か、天使か悪魔か、と2者択一を迫るもので、相手を追い詰める可能性があります。

 米国を中心とした白人社会は契約社会ですので、同じ会社内でも訴訟などが日常的にあります。責任問題に発展したとき、負けないために常に自分の立ち位置を明確にする文化圏の人たちにはディベートの概念は合致するでしょう。ですが、私たち日本人は「和をもって尊し」の文化が根付いていますので、あえて白黒つける習慣は嫌われる原因になります。

 信用されないようにするからといっても、嫌われては元も子もありません。嫌われないのは一番のリスクヘッジであり、処世術でもあります。そこで彼ら華僑が嫌われず、信用もされないために多用する口癖があります。それが「そうなんですね」です。

 「そうなんですね」は、相手の意見に同調も否定もしていません。またそこには自分の意見の主張もありません。挨拶をしっかりする人は嫌われにくいというのは読者の方も納得いただけるでしょう。「そうなんですね」は会話中に交わされる挨拶言葉です。 

 似ていて全く異なるのが「そうなんですか?」です。「そうなんですか?」は「聞いていません」の表明や、「納得していません」の宣言と取られることが多くありますので、禁句ワードであるといっていいでしょう。

信用される努力の末、アップアップ状態に

 それでは“ずるゆるマスター”の事例をみてみましょう。

 Pさんはずっと慎重に会社人生を過ごしてきました。第一志望の企業ではありませんでしたが、悪くないビジネスパーソンとしての経歴だと自分でも思っています。