
AIやIoTなどの普及で益々、仕事のスピードが要求されるビジネス社会になってきました。スピードを要求されるからといって手を抜くわけにはいきません。
仕事は日々のルーチンだけではありません。次から次へと新しい依頼が舞い込んできます。依頼されるというのは信用の証でもありますが、手放しに喜んでもいられません。多方面から信用されてそれの対応に追われたばかりに、本当に大切な自分の為すべきことがないがしろになってしまうリスクが発生します。
華僑はこのような状態にはなりません。華僑はご存知のように中国人です。中国人の間には「人からの頼みごとは断ってはいけない」という暗黙のルールがあります。それなら逆に、依頼に追われる状態になるのでは? と思われたことでしょう。
彼らは言わずと知れたメンツ主義です。メンツを一番に重んじるので、頼まれて断るわけにはいかない。「ならば頼まれないようにしよう」「頼まれないよう、むやみに信用されないようにしよう」と細心の注意を払っているのです。
言葉も不自由な中、成功なくして帰郷もできないメンツ主義の彼らは、どうやって信用させることなく、うまくのしあがっていくのでしょうか。そこには絶妙なテクニックが隠されています。
「信用されてもいい」のは、こんな人!

華僑が信用されないようにしている、といっても全員から信用されないようにしているわけではありません。こちらが信用されたい人からは信用されてもいい、と考えています。
信用されたいと彼らが思っているタイプは3つあります。
①ごく親しい友人
親友から信用されたい、信用されてもいいと思うのは当然のこと。ですが、日本人がイメージする親友と華僑のそれは同じではない、と言う前提をお伝えしておく必要があります。「信用」のリスクを知る華僑同士では、お互いに「どんな頼みごとも引き受ける」「どんな困りごとも助ける」覚悟がなければ親友とは言えないのです。例えば相手がビジネスで失敗してお金の工面に困っている場合、自分が借金してでも助けるのが華僑的親友関係です。
そんな華僑は、仕事のことに親友が口出しすることも歓迎します。日本人同士なら、お互い仕事のことには口出ししないほうが友情が長続きすると考えるのが一般的ではないかと思います。しかし華僑にとっては、ビジネスもプライベートもひっくるめて信用・信頼して付き合うのが本当の友情なのです。だからこそ華僑は「信用は自己責任」だと考え、相手に寄りかかろうとはしません。
②自立している人
相手に寄りかからない、つまりお互いに自立していることが信用のベースだということで、友人関係でなくても「自立しているかどうか」は華僑たちの信用の基準になっています。
自立している人は、仕事を依頼するときでも、検証作業を依頼する傾向があります。例えば、困ったときにその出来事に対しての対応策を自分なりに考え、それらの仮説の検証を手伝って欲しい、という態度の人を自立している人と見ます。仮説の検証作業なら、ノウハウの蓄積や情報収集にもなりますので、手伝ったほうが得をします。一方、自立していない人は「どうしましょう、困りました」「できません、助けてください」。これでは依頼ではなく、単なる丸投げです。
周囲から信用されやすい人は、責任感が強い人でもありますので、こういった丸投げをされることがあります。責任感が強いがゆえに、代わりにやってあげるようなサイクルになるのです。華僑は丸投げタイプとはうまく距離を取り、信用されないように常に警戒しています。丸投げタイプは、整理がされていないのが大きな特徴です。日頃から雑談などでもちゃんとオチのある話をしているかいないか、必要な書類がすぐに出くるか出てこないか、など、あらゆるところにその兆候が出ていますので、意識してウォッチしているとわかるようになります。
③自責の人
自責の人とは「騙される方が悪い」という世界のスタンダードな考え方を理解している人です。日本は島国で他国との行き来が難しかったという地理的要因や鎖国を長くしてきたという歴史もあり、ほぼ単一民族で構成されていますので「騙す方が悪い」という感覚でビジネスパーソンも過ごしています。ですが、世界の多くの国では「騙される方が悪い」が一般的です。
これには理由があります。一般的なコミュニケーションをしていれば、騙すのは簡単ではありません。騙す人が狙うのは、欲のある人です。もっとわかりやすい言い方をすると欲深い人をターゲットにします(このコラムはビジネスパーソンを対象としております。お年寄りや子供には当てはまりません)。騙されたと叫んだが最後、私は欲深い人間ですと表明していることにもなりかねません。
また自責の人は嘘に対しても寛容です。嘘には2通りの嘘があります。詐欺師たちが使う最初から嵌めること、陥れることが意図された嘘と、結果的な嘘です。結果的な嘘とは、できると思ったけれどできなかった、間に合うと思っていたけれども間に合わなかったなど、わざとではないにしても、これらもビジネス上は嘘を言ったことになります。意図されたものでも意図されていないものでも嘘は嘘です。そのどちらの場合であっても、あらゆる場面を想定している自責の人は、相手を責めることはありません。それはどちらの嘘であっても、責めても問題解決にはならないことを知っているからです。
上記の3通りの人以外からは信用されないようにしているのが、華僑なのです。
「全体と部分」を認識して安請け合いを回避

このあたりをしっかりと実践するためには、全体と部分の違いを頭にしっかりと叩き込んでおく必要があります。全体否定と部分否定。全体肯定と部分肯定。
まずは全体否定と部分否定。これを分けて考えられない人の特徴は、すぐに落ち込む、自信が持続しない、すぐに怒る、などが挙げられます。例えば「ここに誤字脱字があるよ」と指摘されたら、「自分の書く企画書はダメなんだ」「自分はこんなこともミスしてしまう」と、ごく一部の部分を否定されているだけの場合でも、勝手に飛躍解釈して、さも全体が否定されたかのような感情を持ちます。
逆のパターンの全体肯定と部分肯定。「今日のネクタイいいね」と部分を褒められているのに、舞い上がってしまいトータルコーディネートから何から何まで褒められていると勘違いする人です。一見前向きでポジティブそうですが、このタイプは常に現状認識が甘い傾向にありますので、同じミスを繰り返す傾向があります。また、過去の栄光をずっと引きずりますので、ある意味後ろ向きな部分も持ち合わせていると言えます。少し大きめのトラブルに見舞われると、全否定タイプに瞬時に変わってしまうのも特徴です。
「全体と部分」がわかれば、それを信用にも応用します。頼まれごとをされても部分的に協力すればいいのです。例えば、自分の仕事の段取りは計算できる、そこで他の人から協力要請があれば、「私は○時に退社しますが、それまでできることをお手伝いさせていただきます」となります。全体と部分を混同すると安請け合いしてしまい、自分のその後の約束をキャンセルしてまで人の協力に時間を取られることになりかねません。
請けたからには最後まで全うする、というのは非常に格好よく感じます。しかし、それによって自分の充実度が下がれば、それは後々、会社・組織にも迷惑をかけるということにもなる危険性を認識しておく必要があります。
全てを受け入れるということは重たく、人間関係を気持ちがよくないものにしてしまい、それが原因で人との付き合いが慎重にならざるを得なくなります。気持ちよく付き合っていくためにも全体と部分を分けるのは非常に重要な考え方です。
嫌われず信用もされない、便利な言葉がある

華僑はここまで読み、計算して人付き合いをしています。欧米で流行っていて日本にも随分前から輸入されている「ディベート」というものがありますが、華僑たちにはその概念はありません。ディベートは、白か黒か、天使か悪魔か、と2者択一を迫るもので、相手を追い詰める可能性があります。
米国を中心とした白人社会は契約社会ですので、同じ会社内でも訴訟などが日常的にあります。責任問題に発展したとき、負けないために常に自分の立ち位置を明確にする文化圏の人たちにはディベートの概念は合致するでしょう。ですが、私たち日本人は「和をもって尊し」の文化が根付いていますので、あえて白黒つける習慣は嫌われる原因になります。
信用されないようにするからといっても、嫌われては元も子もありません。嫌われないのは一番のリスクヘッジであり、処世術でもあります。そこで彼ら華僑が嫌われず、信用もされないために多用する口癖があります。それが「そうなんですね」です。
「そうなんですね」は、相手の意見に同調も否定もしていません。またそこには自分の意見の主張もありません。挨拶をしっかりする人は嫌われにくいというのは読者の方も納得いただけるでしょう。「そうなんですね」は会話中に交わされる挨拶言葉です。
似ていて全く異なるのが「そうなんですか?」です。「そうなんですか?」は「聞いていません」の表明や、「納得していません」の宣言と取られることが多くありますので、禁句ワードであるといっていいでしょう。
信用される努力の末、アップアップ状態に

それでは“ずるゆるマスター”の事例をみてみましょう。
Pさんはずっと慎重に会社人生を過ごしてきました。第一志望の企業ではありませんでしたが、悪くないビジネスパーソンとしての経歴だと自分でも思っています。
新人時代から人事部にバッテンをつけられないように、研修や社内の催しにはいつもフル出席。配属先でも誰からも信用されるように、休みの日に旅行にいけば、会社へのお土産ものを一番に選んできましたし、誰か困っている人がいれば、自分の仕事そっちのけでヘルプするように振舞ってきました。
その甲斐あって、Pさんの評判は社内で上々です。お客さん対応もしっかりと社内全部に行き渡るように社内の掲示板への書き込みも積極的で、社外からも悪い噂は一切ありません。Pさんはみんなから信用されています。
そんなPさんですが最近、ため息ばかりつくようになりました。
「若い頃は馬力で乗り切ってきたけれども、もう限界なのかな。仕事を捌ききれない…。こんな状態が続けば、今までの努力は水の泡と化してしまう」
「そうだ、O部長に相談してみよう」
O部長はそんなに目立つわけでもないのに、最年少で部長に抜擢されたやり手です。
「というわけで、もう二進も三進もいかない状態です」
「正直に話してくれてありがとう。P君の素晴らしい評価は私の耳にも入っている。よく頑張っているね。ところでP君、これから昇進して更に難易度の高い、そうだね経営判断などをしなくてはいけない立場になるためには何が必要だと思う?」
「そうですね、今まで以上に部下のみんなに気を使って困っている人を助けてあげることであったり、組織の連携プレーの強化だったりでしょうか」
「なるほど。間違ってはいないよ。でもP君は今でも仕事上や人間関係においてアップアップの状態になっているよね? 更にそれを強化して進めていく、という考え方なんだろうか?」
「そこです。これ以上、気配り気遣いしていたら、私が本来すべき仕事ができなくなってしまいます」
自分を大切にすれば、余計なお節介に気づく

「ということは、何がいけないかをわかっているはずだよ。部下たちに気をかけてあげるのは素晴らしいことだよ。でも会社というものの役割を考えて欲しい。会社という器は、一人では成し得ない事を集団の力で達成していくためにあるんだ。P君がみんなから好かれたい、という気持ちは痛いほどわかる。でも好かれるための行動だけが正解ではないよ。もっと自分を大切にしたらどうだい? ビジネスパーソン人生は長期戦だよ」
「自分を大切に、ですか?」
「そう、自分を大切にすると、人を大切にする方法も自然とわかってくる。ちょっと失礼な言い方になるけど、気を使わず、頭を使うべきなんだ。先日も部下のY君がExcelの関数がわからなくて、P君が代わりにやってあげたそうだね。それはY君にとってもいいことじゃない。極端な言い方をするとP君がY君の成長を阻害していることにもなりかねない」
「そんな…、私は親切心のつもりだったのですが」
「Excelの関数が必要なら、オススメの書籍を紹介することもできる。それで学習しながらExcelの関数の必要性をY君自身が実感できる。それをP君がやってしまったら、Y君に丸投げ癖がつく。これは組織にとってもY君にとってもよくない。勿論、それが原因で次長へ報告書が1日遅れてしまったP君にとってもよくないよね」
「おっしゃる通りです」
八方美人は八方塞がり

「八方美人という言葉は知っているよね。誰に対しても如才なく振舞う人を軽んじていう言葉。八方美人は八方塞がりに繋がるんだ。八方塞がりとは、陰陽道でどの方角に向かっても不吉の結果を生じることなんだ。陰と陽の話は以前にもしたよね。自分は常に陰のポジションを取り、自分以外を陽のポジションにもっていく、そうすれば安泰という話だったと思うけど。P君は誰からも信用されようと思って、常に陽の立場に立っている、つまり常に光が当たった状態なので疲れた状態なんだよ」
「そういえば、思い当たります」
「それから。わかりやすいのでY君のExcelの話でいくと、彼がExcelをうまく使えないからといって、彼が全くダメ人間と思うかい?」
「いえ、そんなことはありません」
「だよね。Excelという業務の中のごく一部を微に入り細に入り、細かく指導しなくてもいい、ということにつながる。部分的なことと全体的なことを混同しては絶対にダメだ」
「はい」
「P君が先日、次長への報告が1日遅れてしまったのも、P君が今まで頑張ってきた中のごく一部のミスだよ。そんなことで落ち込む必要はない。遅れてしまったことをリカバリーすることはビジネスパーソンとして当たり前だけど、P君自身が否定されているわけじゃないんだ。遅れたその出来事に対して注意されたんだから、それはそれでしっかりと受け止めつつ、今まで通り頑張ればいい」
「なんだか、気分が楽になってきました。」
「P君も部下や同僚と付き合いもあるだろう。その時の私の必殺の奥義を授けよう。『そうなんですね』だ。これは同調も否定もしていないので、うまく付き合えるようになるよ。間違っても『そうなんですか』と言ってはいけないよ、それは否定されたと相手が勘違いするリスクがある」
「はい、そうなんですね」
「(笑)なかなかやるじゃないか」
「ありがとうございます。なんだか急に楽な気分になってきました」
翌日からPさんの退社時刻が早くなりました。ですが、最近、勤務時間中に時折見せていた苦虫を噛み潰したような仕草は一切ありません。目立つわけでもないのに、いつも評価されるあの人は、信用をコントロールしている“ずるゆるマスター”かもしれません。
華僑流の信用コントロールについては、拙著『「華僑」だけが知っている お金と運に好かれる人、一生好かれない人』でも詳しく解説しています。ぜひ当コラムと合わせてご一読ください。
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