華僑にとって「やる気」なんて関係ない、と聞けば大半の人は驚くでしょう。集中力もモチベーションも、人の育成も当然「やる気」があってこそ、と考える人が大半なので、そのような「やる気なんて関係ない」という華僑の考え方は、受け入れがたいはずです。

 では、華僑はどのようにして次々にくる仕事、ひいては家庭問題などに立ち向かっていくのでしょうか?

 答えは「その気」にあります。

意思力に頼らないのが「その気」パワー

 「やる気」とは、ものの辞書辞典によれば、「進んで物事を成し遂げようとする気持ち」と書いてあります。成し遂げるために、頑張る必要性が書いてありますので、あなたもそのように感じて、頑張ってやる気をだそうと奮闘しているはずです。

 一方、「その気」とは、そうしようという気持ちになる。また、相手に言われた通りの気持ちになる、と記載されています。

 「やる気」が自分で自分を奮い立たせないといけないのに対して、「その気」は雰囲気や状況でなれる状態です。

 その気になるような環境、状況にすれば、自分の意思とは関係なしに物事が進んでいきますので、力を振り絞ったり、額にはちまきを巻いたりする必要は全くなくなります。

 その気になるためには、「条件は一生揃わない」という前提を受け入れる必要があります。「締め切りが◯◯だったら」「予算が○○だったら」「部下が○○だったら」「上司が○○だったら」「会社の体制が○○だったら」、そのようなことは一切考えないことです。

 そのようなことを考えても、ビジネスにおいてのみならず、家庭内においても、友人関係においても何の意味もありません。

 異国の地で生活をする華僑にとって、条件が揃っているという贅沢すぎる、現実離れした思考はありません。日本人が日本で暮らすことにおいても、条件が揃う、というのはほぼ皆無に等しいのではないでしょうか? 大会社の社長でもそのような境遇になるのは難しいはずです。

自分をはめれば、その気になる

 条件が揃わないのですから、今ある環境の中で自分をはめていきます。人に一杯食わされたときに「はめられた」という表現をする事がありますが、その「はめる」を自作自演するのです。

 華僑たちはアメリカ系の経営学修士(MBA)取得者でも、科学的アプローチを万能とは考えていません。当然ですね。「科学的」というのは、「反証性がある」ということです。「反証性」とは、今までに科学的とされていた実験結果が間違っていた、という新たな実験結果がでたら、「前の科学的事例は間違っていました」と認めることなのです。ということは、科学的、というのは間違っている可能性がありますよ、という意味でとらえることもできるのです。

 という理由からも、効率性などの科学的アプローチやロジカルシンキングよりも、人間の根源的な営みから自分を「はめていく」事を重視した方が、いい結果を出すのにより効果的だということを、華僑たちは知っているのです。