国際的に日本が勝利していた時代は、外国語が得意な人が多かったのでしょうか? そんなことはありません。今のように英会話スクールも少なく、外国語を学ぶチャンスがあるのはごく限られた人たちだけでした。今は誰でも安価でインターネットを使い外国語を学べる環境にあります。国民全体で見た場合、現在の方が外国語を話せる人の数は絶対数で多くなっているでしょう。

 では外国語を話せる人が少なかった時代の日本は、製品がよかったのは今と変わりないのに、なぜ活躍できたのでしょうか? それは、熱意を含めたコミュニケーション能力に違いがあったからではないでしょうか? その点を鑑みても、華僑から学んでみる、盗めるものは盗む、という発想があっても、ビジネスの現場においては有益です。

 華僑は進出した国々で外国人に相当します。永住権をとったり、帰化したりする人も少なくありませんが、それまでは外国人として、言語においても不自由さが付きまといます。言語のハンディキャップがありながら成り上がっていく華僑たちはコミュニケーション能力に長けている、といってもいいでしょう。

華僑の「学び」は必ず「実践」とセット

 では、華僑たちはどのようにコミュニケーション能力を身につけているのでしょうか? それは意外と知られていませんが、中国古典を学んでいるということです。日本でも『論語』をはじめとした中国古典の愛好者の人は多くいらっしゃいます。ですが、その読み方に大きな違いがあります。

 華僑たちの中国古典の読み方は、「使うこと」が前提にあります。読んでよく理解できた、素晴らしいことが書いてあった、非常に勉強になった、ということでは満足しません。中国古典に書いてある、あらゆる言葉を自分のビジネスや対人関係にあてはめていく思考を身につけています。

 学ぶことはすべての事象において基本中の基本です。ですがそれをいかに実践で使えるか、ということを日本で強く意識している人は少ないのではないでしょうか。先ほどもご紹介しましたが、メンツ社会の華僑たちにとって、勉強になっただけでは、それは死活問題にもなりかねないのです。中国古典の英知を実践で使い、功をあげ、名をあげる必要があるのです。

 中国古典を読んだからといって、即座に業績や評価がアップするわけではありません。ですが、心配無用です。次の言葉を読めば元気になっていただけるはずです。

表を見れば「裏もあるはず」と考えてみよう

 「功を立て業を立つるは、多くは虚円の士なり」という言葉が華僑たちに多く読まれている古典の一つ『菜根譚』の中にあります。「事業を成功させたり、功績を認められたりするのは、素直で謙虚な人である」という解釈でいいでしょう。素直で謙虚なのは、日本人の得意とするところです。

 ですが、この菜根譚の言葉の意味は上記でいいのですが、華僑的解釈を付け加えるとすれば、「ということは反対の意固地や強情、融通が効かないというのは失敗の原因である」となります。皆が成功に向かって激しい競争を繰り広げるのがビジネス社会の掟です。ですが、その掟の裏道は、成功に向かうのではなく、ひたすら失敗を回避していくことでも達成できる、ということに気づくべきです。

 そうです、物事の達成の方法は一つではないのです。裏道という言葉にどこか「ずるい」印象を受けた方も読者の中にはいらっしゃるかもしれません。そうお感じになった方の感性は見込みあり、です。華僑たちは「ずるい=賢い」「賢い=ずるい」と表現することが多くあります。小賢しく振る舞うのではなく、物事のあらゆる可能性を想定し、それらの対策を予め計算、予測しておくことは想定外に強くなり、想定内が増えるという意味では非常に賢い頭の使い方と言えるのではないでしょうか。

 賢く頭を使うためには、当然その前提として心の平穏が必要になってきます。嫌なことが続くと気分が滅入り、体まで不調になってしまうのは誰しも経験済みではないでしょうか? 嫌なことでも退屈なことでも物事は捉え方次第です。先ほどご紹介したように何事にも裏道というものは存在します。