日本にも「ワークライフバランス」なるものが定着してきた感があります。実情はどうであれ、報道などで時折目にする労働環境に関連する事件や事故を防止するため、政府も労働時間の在り方を示唆する世の中になってきました。趣味の時間や育児の時間をどう作るのか、あるいは介護の時間をどう確保するのかなどたくさんの問題を現代人は抱えており、そのようなものとの両立を目指して仕事が中心の生活習慣を改めましょう、見直しましょうというのが趣旨です。
そういう時代の変遷とともに、「○□職人」「○□といえば誰それ」という表現もあまり使われなくなりました。「営業職人」「数字合わせと言えば△△さん」のように言われる人が減り、「私は営業一筋30年」「飲んで仕事の話になったら絶対に先に帰らない」などといった仕事自慢も減り、会社に対しての誇りを語ることがどこか気恥ずかしささえ感じる社会になっています。「Japan as number one」と賞賛され、日本企業に勤めることが、そして勤め上げることが自己満足につながり、それが社会に活気を与えていた時代は忘れ去られようとしています。
少子高齢化が進む日本において、社会保障などの将来不安を覚える人も少なくありません。アメリカ型の能力重視、業績連動給が根付いてきた現代の日本はある意味、これからどうなるのだろう、とビジネスパーソンを心配させる要素を多く内包しています。アメリカとの同盟関係を前提に企業もそのように進んできたわけですが、新アメリカ路線はどうも様子が今までの流れとは違いそうな気配です。様々な場面で対立を繰り返していくだろうと予想された対中国政策もどうも今までとは違うようです。
華僑が「強かった日本」から学んでいることとは
では、強かった時代の日本はどこかに消え去ってしまったのでしょうか? それともどこかの誰かに継承されたのでしょうか? 疑問符を持たれる方もいらっしゃるかもしれませんが、その強き古き日本をうまく取り入れ世界で活躍しているのが、華僑たちです。
華僑といえば、祖国である中国を飛び出し、海外で活路を見出した人たちです。メンツ社会の華人社会は一度国を出れば、成功なくして本国に帰ることは一族に恥をかかせることになります。そうです、なんとしても成功を納めないと祖国に帰ることができないのです。
日本人の強さも昔はそのあたりにありました。世界に類を見ない親方日の丸で、省庁、商社、メーカーなどが一体となって勝ちにいく、という日本独自の勝利の方程式に現地で負けて帰るわけにはいかないという点で似ています。それを個人レベルでやっているのが現代の華僑たちになります。
国際的に日本が勝利していた時代は、外国語が得意な人が多かったのでしょうか? そんなことはありません。今のように英会話スクールも少なく、外国語を学ぶチャンスがあるのはごく限られた人たちだけでした。今は誰でも安価でインターネットを使い外国語を学べる環境にあります。国民全体で見た場合、現在の方が外国語を話せる人の数は絶対数で多くなっているでしょう。
では外国語を話せる人が少なかった時代の日本は、製品がよかったのは今と変わりないのに、なぜ活躍できたのでしょうか? それは、熱意を含めたコミュニケーション能力に違いがあったからではないでしょうか? その点を鑑みても、華僑から学んでみる、盗めるものは盗む、という発想があっても、ビジネスの現場においては有益です。
華僑は進出した国々で外国人に相当します。永住権をとったり、帰化したりする人も少なくありませんが、それまでは外国人として、言語においても不自由さが付きまといます。言語のハンディキャップがありながら成り上がっていく華僑たちはコミュニケーション能力に長けている、といってもいいでしょう。
華僑の「学び」は必ず「実践」とセット
では、華僑たちはどのようにコミュニケーション能力を身につけているのでしょうか? それは意外と知られていませんが、中国古典を学んでいるということです。日本でも『論語』をはじめとした中国古典の愛好者の人は多くいらっしゃいます。ですが、その読み方に大きな違いがあります。
華僑たちの中国古典の読み方は、「使うこと」が前提にあります。読んでよく理解できた、素晴らしいことが書いてあった、非常に勉強になった、ということでは満足しません。中国古典に書いてある、あらゆる言葉を自分のビジネスや対人関係にあてはめていく思考を身につけています。
学ぶことはすべての事象において基本中の基本です。ですがそれをいかに実践で使えるか、ということを日本で強く意識している人は少ないのではないでしょうか。先ほどもご紹介しましたが、メンツ社会の華僑たちにとって、勉強になっただけでは、それは死活問題にもなりかねないのです。中国古典の英知を実践で使い、功をあげ、名をあげる必要があるのです。
中国古典を読んだからといって、即座に業績や評価がアップするわけではありません。ですが、心配無用です。次の言葉を読めば元気になっていただけるはずです。
表を見れば「裏もあるはず」と考えてみよう
「功を立て業を立つるは、多くは虚円の士なり」という言葉が華僑たちに多く読まれている古典の一つ『菜根譚』の中にあります。「事業を成功させたり、功績を認められたりするのは、素直で謙虚な人である」という解釈でいいでしょう。素直で謙虚なのは、日本人の得意とするところです。
ですが、この菜根譚の言葉の意味は上記でいいのですが、華僑的解釈を付け加えるとすれば、「ということは反対の意固地や強情、融通が効かないというのは失敗の原因である」となります。皆が成功に向かって激しい競争を繰り広げるのがビジネス社会の掟です。ですが、その掟の裏道は、成功に向かうのではなく、ひたすら失敗を回避していくことでも達成できる、ということに気づくべきです。
そうです、物事の達成の方法は一つではないのです。裏道という言葉にどこか「ずるい」印象を受けた方も読者の中にはいらっしゃるかもしれません。そうお感じになった方の感性は見込みあり、です。華僑たちは「ずるい=賢い」「賢い=ずるい」と表現することが多くあります。小賢しく振る舞うのではなく、物事のあらゆる可能性を想定し、それらの対策を予め計算、予測しておくことは想定外に強くなり、想定内が増えるという意味では非常に賢い頭の使い方と言えるのではないでしょうか。
賢く頭を使うためには、当然その前提として心の平穏が必要になってきます。嫌なことが続くと気分が滅入り、体まで不調になってしまうのは誰しも経験済みではないでしょうか? 嫌なことでも退屈なことでも物事は捉え方次第です。先ほどご紹介したように何事にも裏道というものは存在します。
無敵の「楽しむ者」になる方法
嫌なこと、退屈なことへの対策は、なんだそんなことか、と拍子抜けしてしまうかもしれませんが、それは「楽しむこと」です。次にご紹介する言葉は『論語』でも有名な句なのでご存知の方も多いかもしれません。
「これを知る者はこれを好む者に如かず。これを好む者はこれを楽しむ者に如かず」。意味としては、物事を知っていても好きな人には敵わない、好きでいても楽しんでいる人には敵わない、でいいでしょう。知っているというだけでイニシアチブをとれることは少なくありません。その知っていることが希少であればあるほど、その価値は高まります。ですが、何事においてもいえることですが、勢いに勝る状況という事態はそうそうありません。そうです、好きになることができれば、それこそ文字通り寝食を忘れ、没入することができるようになります。楽しいことは寝食を忘れ没入することができるのです。
ではどのようにすれば楽しむことができるようになるのでしょうか。人は夜寝て、朝に起きます。日中は起きているわけです。何もしなくても何かをしていても時間は過ぎていきます。この時間と向き合うことによって華僑たちは楽しむことができるようになっています。
何かをしていてもいなくても時間は過ぎていくのですから「すべてはテストである」という感覚を持つのです。どうなるかわからないのでテストをします。テストですので良い悪いはありません。様々なテストをしているうちに、「作業興奮」というものが脳内で起こってくることが脳科学の分野で実証されています。作業興奮とは、単純作業でも続けているうちに、なんだかその気になってくることを言います。朝一にメールを見るな、という類いの話や記事を目にしますが、メール処理をしている間にやる気が起こってくるのなら、それは歓迎すべきことなのです。誤解のないように書くなら、頻繁にメールチェックするのは非効率であると言えます。ですが、作業興奮を起こすためのメール処理ならば、朝一に行っても問題はありません。
「好き」よりもさらに良い状態なのが「楽しい」ですが、これは好きを継続することでそのような状態を生み出すことが簡単にできます。楽しむことの一番のメリットは、人生観と一致することです。冒頭でワークライフバランスについて書きましたが、それが必要とされるのは人生観との不一致があるからです。人生観と一致していれば、「頼むから仕事をさせてください」という状況になります。楽しむことができて人生観と一致したからといって、その他のプライベートな事柄をないがしろにするのとは話が別です。何でもかんでも話をごっちゃにして論じると結局損をするのは自分自身や自分の周りの人だということに気づく必要があります。
遊びがある=グレーゾーンが広い
社員や部下、お客様に対しての対応の仕方に憂慮されている人が多くいらっしゃいますが、それもこれも「これを知る者はこれを好む者に如かず。これを好む者はこれを楽しむ者に如かず」ができていないことが原因です。いやそんなことはなく、社員の出来が悪い、部下の能力が低い、お客様の解釈が間違っている、と考える人は他責の人ですので、楽しんだり、好きになることができるようになるのはおろか、これを理解することもできないでしょう。
社員や部下育成、お客様とのコミュニケーションを考えた場合、しっかりと伝えることができていないということを「知る」ことから始めてみてはいかがでしょうか? 「知る」「好きになる」「楽しむ」ということを考えた場合、自分についての業務や状況をしっかりと自責で取り組むことによって景色が変わってくるはずです。
自責自責と聞くと何やら重く責任がのしかかってくるようなイメージをもち、辛くなってしまう人もいるかもしれませんが、それは間違いです。何事も遊びが必要です。車のハンドルにも遊びがないと危険なように、ビジネスやプライベートにおいても遊びがないとそれはただの苦行でしかありません。そのような感覚を追い払うために次の言葉を覚えておくことをお勧めします。
「柱に膠(にかわ)にして瑟(おおごと)を鼓す」(史記)。意味は、柱に瑟(大琴)を膠(接着剤の役目)で固定してしまうと音の調整ができなくなることから「融通が効かない」喩えとして使われる言葉です。キチキチと決めて固定してしまうのはある側面から見ると非常に楽ですが、後々のことを考えると、融通が効かなくなる原因となりますので、グレーゾーンを大きくとっておきましょう、という戒めです。ビジネスパーソンにとって、仕事も家事も子育ても一つの答えに固定してしまうと、とても苦しいものになります。答えが一つと決まっているのは、学生の試験問題ぐらいだということを忘れないようにしたいものです。
女性部下への接し方に悪戦苦闘
それでは“ずるゆるマスター”の事例をみてみましょう。
通信機器販売会社の管理部の課長補佐のRさん。部内の皆から人気の“ずるゆるマスター”の次長Kさんの部下でもあります。RさんはいつもKさんのことを尊敬しており、Kさんに教わったことはなんでも実行しようと心に決めている一人です。
Rさんはコールセンター担当になってから気が滅入りがちな日々を送っています。コールセンターには、女性オペレーターが約100人おり、そこのメンバーの管理を一人でおこなっています。コールセンター担当は代々、可もなく不可もない人が担当してきた歴史があります。ですが、Kさんは特別でコールセンターで実績を上げ、最年少の次長になりました。部長になるのも秒読みと噂されています。
そんなKさんの部下にあたる中間管理職のRさんですが、コールセンターの管理業務に悪戦苦闘する日々が続いています。Rさんはコールセンター担当になるまでは、営業部の管理業務をしており、顧客管理やマーケティングの提案で営業部からの評判はすこぶる良かったのです。
プライベートでは女性関係は得意と思っていたRさんですが、こと仕事のことになると女性との接し方が途端にわからなくなるような錯覚さえ覚える時があります。このままではダメだ、代々コールセンター担当になった人たち同様、僕も課長で会社人生が終わってしまう。焦っても仕方のないことはRさんもよく理解していましたので、K次長に相談することにしました。
コールセンターが閉鎖する午後6時を見計らって、RさんはK次長に声をかけました。
「次長、今晩お食事でもいかがでしょうか? 少しご相談させていただきたいこともございまして」
「やあ、R君。なんか浮かない顔してるね。わかった、じゃあ、7時に駅前のいつもの居酒屋で待ち合わせでいいかい?」
問題解決の第一歩は自ら「知ろう」とすること
「という感じで、オペレーターの人たちに話を聞いてもらうのに悪戦苦闘しております」
「なるほど、正直に話してくれてありがとう。仕事が楽しくない、というところになるのかな。ところでR君、コールセンターのオペレーターの人たちがどのような人が多いか知っているかい? 例えば、派遣社員さんが多いとか、既婚者がほとんどだとか」
「いえ詳しくは存じ上げません。派遣社員さんが多いのは知っていましたが、既婚者が多いですとか、そういった個々の事情は全くと言っていいほど、知りません」
「そうなんだ。仕事を楽しむのが一番いい状態というのはわかっていると思うけど、辛くならないためには、自分が関わっている仕事についてはなんでも知っている必要があるんだよ。論語にこのような示唆に飛んだ言葉がある」とKさんは言って、テーブルの隅にあるナプキンを一枚とって、ペンで走り書きをしました。「知之者不如好之者、好之者不如楽之者」。
「直訳するとこれを知る者はこれを好む者に如かず。これを好む者はこれを楽しむ者に如かずということなんだけれど、意味はだいたい想像がつくよね?」
「はい、知っている者は好きな者に敵わない、好きな者は楽しんでいる者に敵わない、でしょうか?」
「正解。最終的に楽しめるのが理想の状態だというのは先ほども伝えたけれども、太古の昔から知ることがまず重要だ、と書かれている。自分が好意をもっていると相手にも伝わるし、相手が好意をもっていれば、こちらもわかる。同じだよ。こちらが相手のことを一生懸命知ろうとすれば、相手もこちらのことを一生懸命に理解してくれようとするんだよ。これは女性、男性は関係ない」
「確かに次長の仰るように私は彼女たちのことを知ろうともせずに、自分の指示通り動いてくれることばかり考えていました。今後、みんなのことをしっかりと知る努力をします」
部下を縛るルールが自分の首を絞めていた
「わかってくれてありがとう。話は変わるけど、R君は独身貴族を謳歌しているそうだね(笑)」
「貴族とはおこがましいですが、よろしくやっているのかもしれません」
「そのよろしくやるためのコツっていうのはあるのかな?」
「コツというほどでもありませんが、執着しすぎずに、相手の要望や希望を尊重し、そうですね、簡単にいうと遊び心をお互いもてるように、緩いつながりを意識はしています」
「なるほど、すごいね、さすがだね。実はその素晴らしいテクニックは、仕事でも使えるんだよ。これは史記に書いてあるんだけれども、『柱に膠(にかわ)にして瑟(おおごと)を鼓す』という言葉があるんだ。意味はね、大きな琴がぐらつかないように柱に接着剤で留めた、でも固定できたのはいいけれど、音を調整する時に動かせないので結局その方が大変になる、という例えで使われている。もっと噛み砕いていうと、動かないように固定してしまうと後で修正ができなくなる、本末転倒になることもあるので、遊びをもたせようということかな。オペレーターのみんなを十把一絡げで管理しようとしてルール、規則をたくさん作れば作るほど、オペレーターのみんなは当然のことながら、R君にとっても窮屈な職場になってしまう。何か思い当たる節はないかい?」
「あります。化粧直しや髪型のチェックは1時間おきの休憩時間にすることとし、デスクには鏡を出してはいけない、という規則をつくりました。あと、集中力の妨げになったり、サボることにもつながるスマホのチェックも禁止にしました、あとそれと」
「もういいよ、R君。プライベートではうまくよろしくやっている君らしくない仕事の進め方だね。そういった自主性でなんとかなるものまで口出しするようになったら、よくないな。できるなら、ルールや規則は少なくしていく方向で考えられないだろうか」
「次長、恥ずかしいです。今、気づきました。自分で自分の首を絞めていたことを。明日から早速改めます。次長に相談に乗っていただき、なんだか明日からの出勤が楽しみに思えてきました」
「R君は素直で素晴らしいね。最後にこの言葉を送ろう。『功を立て業を立つるは、多くは虚円の士なり』だ。これは事業を成功させたり、功績を認められたりするのは、素直で謙虚な人である、という意味なんだ、期待しているよ」
翌朝すぐにRさんは部下のみんなを集めてK次長の指示通り、今までの自分は間違っていたことを全員に詫び、丁寧すぎるほどに話しました。そして困ったことがあればなんでも申し出て欲しい旨を伝えました。
“ずるゆるマスター”のKさんの素晴らしいところは、Rさんに実地で指導したところです。人に固定概念をもつな、人のことをしっかりと知るようにしろと伝えても変な猜疑心が生まれるだけです。Rさんが自分で気づけるタイミングで“ずるゆるマスター”のKさんは中国古典の言葉を引用して自ら気づかせるのに成功しました。
「功を立て業を立つるは、多くは虚円の士なり」
「これを知る者はこれを好む者に如かず。これを好む者はこれを楽しむ者に如かず」
「柱に膠(にかわ)にして瑟(おおごと)を鼓す」
この3つの言葉が教えてくれるのは、ガチガチに固めてしまわない「ゆるさ」という余裕が、自分も周囲も幸せにするということです。そんな周囲にもメリットをもたらす“ずるゆるマスター”になるためには、その名の通り、ずるいだけでなく「ゆるさ」が必要不可欠なのですね。その「ゆるさ」は、拙著『華僑の大富豪が教えてくれた「中国古典」勝者のずるい戦略』にも全編にわたって紹介していますので、ぜひそちらも参照していただき、“ずるゆるマスター”を目指してみてはいかがでしょうか。
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