「個」の時代と言われだしてから、随分と時を経て、個人プレーが当たり前のような社会に日本もなってきつつあります。便利なITツールを駆使した「いつでもどこでも」のユビキタス社会は幻想と言われていたのが懐かしい感じがするほど、どこでも個人で仕事ができます。
「個」が当たり前の時代になったとはいえ、人との関係性を無視するわけにはいきません。ですが、古きよき時代の日本のお家芸ともいえるチームプレーは、どこかさびれたイメージもつきまといます。また、そんな現状やビジネススタイルを寂しいと感じる方もいらっしゃるのではないでしょうか? そんな時代だからこそ、貢献の気持ちを持つことの有効性、優位性を今回はお伝えしたいと思います。
スマホやパソコンの普及によって、人との直接的なコミュニケーションが減ったとお感じの方も少なからずいらっしゃると思いますが、コミュニケーションが減ったのには別の理由があるのではないでしょうか。現に故郷を離れ、身ひとつで他国に乗り込んでビジネスで成功していく華僑たちは、様々なITツールを駆使していますが、友人や仲間と直接対面する人間関係をとても大切にしています。
その理由は2つあります。1つ目は、在日華僑、来日中国人にとって日本は外国ということです。言葉が不自由な中、同じ母国語を持つ仲間との交友はとても大切であり、重要な役目を担います。個人プレーといっても、対顧客、対社内、対部内など折衝が必要になることは多々出てきます。言語にハンディキャップのあるからといって、それを言い訳にするわけにはいきません。
中国は言わずと知れたメンツ社会です。日本に来て、成功せずに帰郷することは許されません。自分や自分の親族のメンツを守るために、自分の職分の仕事で実績を出すために、円滑なコミュニケーションが求められます。そういったことから、誤解を生む可能性を少しでも減らすためにITを使いつつも、対面のコミュニケーションを非常に意識しています。
2つ目は、中国古典をしっかりと学んでいるからです。日本にも中国古典のファンの方は大勢いらっしゃいますが、その読み方に彼ら彼女らの特徴があります。日本人的な中国古典読書術は、知的欲求・知的センスを磨くために読まれることがほとんどです。一方、華僑的中国古典読書術は、それを使い倒すことに主目的がおかれています。華人と交友関係がある方はお聞きになられたことがあるかもしれませんが、彼らは食事中の雑談の中でも古典の名言を引用します。ビジネスを組み立てる際にもそれらを使おうとします。これらの中国古典をしっかりと身につけるためには、対面のコミュニケーションが重要なのです。
以上の2点を鑑みると、華僑たちは現代社会において、個人プレーをしながらもコミュニケーション能力に長けているといってもいいでしょう。そんな彼らからそれを学ぶのは非常に得策です。そして華僑たちが意識的に行っているのは、「困っている人を探す」ということです。そうすることのメリットについての記述が中国古典に多く見られます。これについては、拙著『華僑の大富豪が教えてくれた「中国古典」勝者のずるい戦略』の中でも紹介していますので参考にしていただければと思いますが、ここでは書籍では紹介しきれなかった言葉をいくつかピックアップしながら解説していきます。
「後からの利の方が大きい」の法則
「まずは与えよ」はビジネスパーソンなら誰しも納得いくはずですし、様々なところでそのような指示を受けたり、学んだりしているのではないでしょうか? ただし何も困っていない人や現状に満足している人に、与えることは非常に難しいことです。ですが、困っている人を見つければ、与えるのは比較的容易になります。
さらに、上司など自分よりも権限や職権、職分が広く高い人に与えることはできないのでしょうか? いえ、そんなことはありません。このような一見困っていない上司などに対しては、「利」を提供するのです。「利せずしてこれを利とするのは、利して後これを利とするの利なるに如かざるなり」。これは『荀子』の言葉です。解釈としては、利益を与えてから取る方が、自分の利益が大きい、でいいでしょう。
食肉用の牛や豚を思い浮かべてください。運動をさせ、飼料を欲しがるだけ与え、しっかりと肥え太らせます。その方がいい食肉ができ、高値で売買される牛や豚になるのです。これは人間対人間の例ではありませんが、先に利を与える、という事例としてはわかりやすいのではないでしょうか? 人間対人間で考えてもやることは同じです。相手に先に利を与えることにより、相手が出世したり、利益を出したりした後の方が、おこぼれに与る場合も、その利が大きくなるのは想像に難くないのではないでしょうか。
おこぼれを狙うなんて、ずるいと考えられた方もいらっしゃるかもしれませんが、華人にとって「ずるい」は褒め言葉として使われることが多くあります。「ずるい=賢い」「賢い=ずるい」なのですね。そんなことを言っても、私たち日本人は「潔しとして尊し」の文化だ、というのは簡単ですが、今のグローバル社会を考えた場合に、自分たちの文化は大切にしておきながらも、彼らの手口をしっかりと知っておいて損はないでしょう。ずるさを知れば、相手がずるさを出せないような先手を打てるようにもなります。
蹴落とすより恩を売るのが「ずるい=賢い」人
ずるさを学ぶ意味をご理解いただいたところで、困りごとの話に戻させていただきます。成果主義が日本にも当たり前のように広まってきました。今まではチームで成果を評価していたものが、個人同士で競わせるというアメリカ型手法を取り入れる会社も増え、社内といえどもライバルが大勢いる、という状況に 置かれている方は多いでしょう。
このコラムをお読みの方は向上心のある方ですので、上昇志向や解決志向のある方だと想像します。競争社会は得てして「蹴落としてまで」という表現が使われるくらい厳しいものです。ですが、今回お伝えする方法は、蹴落とすよりも、もっと効果的で簡単な方法です。
「大徳は小怨を滅ぼす」。華僑たちが読んでいる『春秋左氏伝』に出てくる言葉です。文字を読めばだいたい意味はお察しいただけると思いますが、そうです、「受けた恩恵が大きければ、小さな怨みは消えてしまう」の意です。どこで誰の助けが必要になるのかは誰にも予測がつきません。であるならば、いつか助けてくれるかもしれない人を、あえて蹴落として消してしまうのは得策ではありません。先ほどの牛や豚の飼育の例ではありませんが、先に与えるか、さもなければ、恩を売るようにすればいいのですね。
遊戯場や公共交通機関での来日中国人たちのマナーは、私たち日本人の目にはとてもではないですが、お行儀がいいとは映りません。むしろ、マナーが悪いというイメージをお持ちの方の方が多くいらっしゃるでしょう。お客さんを選ぶはずの高級ホテルや高級旅館でも、そのマナーが問題となります。ですが、その多くは「中国人お断り」とはなっていません。勘のいい方はもう御察しの通り、彼らはサービス提供事業者にとって、大口のお客さんになっているのです。観光業のみならず、来日中国人が減れば困る産業はたくさんあります。言葉は悪いですが、マナーの悪い人の中には確信犯もいる可能性があります。サービス提供事業者にとって、マナーが悪いというのは小怨です。そして爆買いと揶揄されるくらいの購買力が、大徳にあたるのですね。
といっても、ビザの関係や今後将来のことを考えている華僑たちは、こういった来日中国人の態度を必ずしもよく思ってはいません。日本に根付いて暮らしていこう、ビジネスで成功しようと考えているのですから、もっと巧妙な大徳を提供してきますし、小怨もわかりにくいところをついてきます。次にある華僑の1つの例を挙げてみます。
冒頭でいつでもどこでものユビキタス社会と書きましたが、例えば喫茶店でコーヒー1杯で3時間も4時間も居座るとそれはお店にとって小怨になる可能性があります。そこでコーヒー3杯のお代わり、スパゲッティ、サンドイッチ、チーズの盛り合わせを1時間おきに注文したとしたらどうでしょうか? 1時間当たりの単価はトントンですが、周りのちょっとした休憩の人は、コーヒー1杯飲めば帰ろうと思っていたのが、隣で美味しそうにスパゲッティ、サンドイッチ、チーズの盛り合わせを食べていたら「一品、お腹にいれていくか」となる可能性はゼロではありません。当然そのようなことはお店の人もわかりますので、そのように時間おきに注文をくれる人は大歓迎です。大徳を提供した、ということですね。次にその喫茶店に行った時は、馴染み客のように接してもらえるかもしれません。ずるいですが、しっかりと相手を利しているのを忘れてはいけません。
困っている人の見つけ方
では困っている人をどのようにして見つければいいのでしょうか? 「何かお困りはございませんか」と単刀直入に聞くのもいいでしょう。ですが、誰彼構わず聞いて回っていると、「自分のことをしろよ」などと思われてしまうかもしれないし、また自分が何かのミスをしたとき、集中力のない人との烙印を押される危険性があります。
その人を見て困りごとがわからなければ、背後、背景を見るようにしてください。それを指摘している二つの言葉をご紹介します。「目を待ちて以て明と為せば、見る所の者少なし」。これは『韓非子』に記されている言葉です。自分の目を頼りにして、見ただけで物事をしっかりと判断できると考えると、痛い目に会う可能性がある。目に映らないものを見えるようにすることが賢者への道である、という理解でいいでしょう。
では、目で見てわからなければ、どこをみればいいのでしょうか? 性悪説で有名な『荀子』の性悪篇にその答えがあります。「その子を知らざれば、その友を視よ」。そうです、その人本人を見てもわからないことでも、その人の家族や友人、近くの関係者を見ていれば、その人の状況がわかるようになります。当人に直接聞いてもプライドやメンツがありますので、本心や本音を探れないこともでてきますが、その人の周りをしっかりと見るようにすれば簡単に困りごとを発見することができるかもしれません。
日本でもそれを組織的に取り入れ実践し、成果をあげている人たちがいます。そうです、捜査という名の下、検察や警察の人たちは本人以外からの情報をしっかりと集め、証拠にし、立件していきます。この手法をビジネスに取り入れない手はありません。検察や警察は悪いことをする人たちではなく、悪人と疑わしい人を合法的に処するためにこの「その子を知らざれば、その友を視よ」を使っているのです。このように国家権力の人たちが有効だということで使っている手法を、華僑たちは個人レベルで実践しているので、ビジネス社会でのし上っていく理由に合点がいくのではないでしょうか?
感謝されるかどうかはタイミング次第
「その子を知らざれば、その友を視よ」を使い、お困りごとが見つかれば、相手を利することを提供していけばいいのです。ですが、ここで1つ注意点があります。それはタイミングを見計らう必要がある、ということです。「よし、見つけたぞ、進め!」とやってしまうと押し付けになってしまったり、時期を間違えば迷惑をかけてしまったりする可能性もあります。
そうならないためにも華僑のバイブル『菜根譚』の言葉を頭にいれておくことが賢明です。「千金も一時の歓を結び難く、一飯も竟に終身の感を致す」。これはタイミングの大切さを説いた含蓄のある言葉として、華僑たちがよく口にする言葉です。意味としては「人は千金(大金)でも歓心を買えない場合があるかと思えば、茶碗一杯のご飯でも一生恩にきることもある」という理解でいいでしょう。
日本にも「間」というタイミングについてのたくさんの知恵言葉があります。ビジネスにおいても、プライベートにおいても、タイミングというのは非常に重要な役目を果たします。ある意味、結果はタイミングの良し悪しで決まってしまうことも少なくありません。そのためにも、今回ご紹介させていただいた古典の言葉をしっかりとミックスして一番いいタイミングを見計らうようにしてください。
業務部のエースが配置転換でスランプに…
それでは“ずるゆるマスター”の事例をみてみましょう。
老舗中堅専門商社で働く課長補佐のRさん。最近、業務部から直販営業部へと配置転換になりました。直販営業部には最年少役員の呼び声高い、部内の皆から人気の“ずるゆるマスター”K部長も所属しています。RさんもいつもKさんのことを尊敬しており、今回の異動をきっかけにKさんに教わったことはなんでも実行しようと心に決めています。
「K部長に気にいってもらえれば、すぐに課長に昇進、そして次長だ」とRさんはとても気合いが入っています。以前に所属していた業務部では、営業部の受発注からクレーム、ミス対応、納期や商品管理までを担当していたので、その強みを生かして、一気呵成に営業成績を上げようと作戦を練っています。
ですが、そこは伝統のある会社。直販営業部には直販営業部のしきたり、ルールがたくさんありました。「なかなか思うようにいかない。このままでは素晴らしい営業成績を出すどころか、ダメな奴の烙印を押されかねない。なんとかしないと」。同期では“業務部にRあり”とまで言われたRさんですが、パッとしないまま数カ月が過ぎていきました。
営業成績が振るわないのが心身の疲労を増幅させ、その疲れから、業務部で担当していたはずの業務までミスをするようになってきました。焦れば焦るほど、会社に行くのが嫌になってきました。頑張ろうと思えば思うほど、サボりたい気持ちが強くなり、営業のため社外へ出ても喫茶店に直行する日が増えてきている自分への嫌悪感で押し潰されそうです。
「こうなったら辞める覚悟で、K部長に相談してみよう」。本来なら直販営業部の課長に相談をするところですが、どうも課長はRさんを見限ったような発言を先日していたので、口論になって辞表を叩きつけてしまいそうな気がします。掟破りなのは承知でKさんに相談することに決めました。「課長や次長を飛ばして、K部長に相談したことが耳に入って閑職に追われたら、辞めよう」。Rさんの意思は固まっていました。
言葉に現れない「ヘルプ」に気付いて挽回!
昼一番にK部長とRさんは小会議室で向かい合っていました。
「今、お話したように、もうどうしていいかわからない状態になっております。今後、私はどうしたらいいのでしょうか? 部長」
「正直に話してくれてありがとう。R君の話はよくわかった。業務部にR君あり、と言われていたことを考えると今の状況はとても辛いだろうね。ところでR君、直販営業部の課長や次長が何に困っているかわかるかい?」
「そうですね、直販営業部が抱えている恒常的な問題は業務部との連携だと思います」
「R君、さすがだね。よくわかっているじゃないか。君は今、慣れない営業部の仕事の数ある中のひとつである営業成績を上げる、というところではスランプ気味だよね。でも業務部との連携にはとても重要な役割を果たせると思うんだけど、そのあたりの提案を課長や次長にしてみたことはあるのかい?」
「いえ、営業部ですから、まずは営業成績で実績を上げてから、提案をしようと考えておりました」
「なるほど、それはR君の都合かもしれないよ。中国古典に面白い言葉がある。春秋左氏伝に記されている言葉なんだけどね、『大徳は小怨を滅ぼす』という言葉だ。意味はね、大きく貢献すれば、小さなミスは忘れられる、で覚えておけばいい。R君の場合で言えば、慣れない営業で実績が振るわないのは営業部としては小怨にあたるのだよ。要は小さなミスとしてカウントされる。大徳にあたるのは、直販営業部と業務部の連携がスムーズにいくようになることなんだよ。知ってのとおり、営業部は外回りも多いから勤務時間が長くなってしまう。だからお客さんの分析などを業務部が担うことになっているけれど、ライバル社との競争は年々増している。営業部は業務部の分析資料が喉から手が出るほど欲しいものなんだ。その連携をR君は期待されている。会社はチームで力を合わせて業績アップするために存在する器なんだよ。個人をクローズアップするために存在するものではない」
「自分で言うのもおこがましいですが、業務部でエースを狙えた私が営業部に異動になった理由はそれだったのですね。そんなこともわからず自分の成績のために個人プレーに走ろうとした自分が恥ずかしいです」
「気づいてくれたら、それでいいよ。ああ見えて、ウチの会社のみんなは自分たちの組織に対してプライドをもって仕事をしている。だから今後もわかりやすいヘルプを君の直属の上司である課長や次長は見せたり、言ったりしない可能性の方が高い。
そのときは早合点せずに、荀子の言葉『その子を知らざれば、その友を視よ』を思い出して欲しい。意味はね、その人を見ても何に困っているのかわからなければ、その人の周りに気を使えば見えてくる、とでも覚えておけばいいかな。例えば営業事務の人に頼んでいる内容や、課内会議での議題、朝礼の後のちょっとした雑談などでもそれを感じ取る努力は大切だよ」
「部長、ありがとうございます。」
「最後に1つだけ注意点がある。『千金も一時の歓を結び難く、一飯も竟に終身の感を致す』だ。これは菜根譚に出てくる言葉なんだけど、課長や次長、そして仲間たちの困りごとがわかったとしても、それに対して手伝うのにタイミングというものがある。そのタイミングというのは、その人が手伝ってもらったときに一番嬉しいであろう時期を自分に当てはめてみて考えること。そのタイミングがわかるようになれば、相手も喜んでくれ、君も評価される。会社にも貢献できる。今日伝えた3つの中国古典を手帳に書いて意識してみてごらん。それが身についたころには、君は立派な課長、そして次長を担っていると思うよ」
「ありがとうございます」
Rさんは“ずるゆるマスター”のK部長に教わった言葉を手帳に書き記しました。 それを見ているとなんだかニヤリとしてしまいます。「そうだ、早速業務部に掛け合おう」と、直販営業部がいかに分析資料を必要としているかを話しに行きました。「なんだか仕事が楽しいぞ、これからもっと楽しくなるぞ」。これはRさんの心の声です。
派手ではないけれども、なぜかいつも評価されるあの人は、お困りごとの発見探知機を身につけ、利を与えることの重要性をしっかりと理解している、“ずるゆるマスター”かもしれません。さあ、自分が求められている大徳は何かを探してみませんか?
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