なぜ「短所は愛される」のか?

 2つ目の「警戒されない」ですが、何事も警戒されると、計算通りに物事が進まなくなってしまうのが世の常です。これも自分に置き換えると非常にわかりやすいのではないでしょうか? 安心できる人物の発する言葉と、警戒している人物が発する言葉、どのような捉え方をするでしょうか? 答えは明白ですね。安心できる人物の発言であれば、発した言葉そのまま受け取ることでしょう。ですが、警戒する人物の発言であれば、裏に何かあるのではないだろうか、いわゆる邪推するのが一般的な反応です。警戒されるということは、発言のみならず、行動、場合によっては善意まで邪推される危険性を秘めています。

 失敗経験と警戒される・されないが、どのように関係するか不思議に思われた方もいらっしゃるでしょう。これは、「短所は愛される」という人の心理からきているものです。物語や映画のヒーローを持ち出すまでもなく(ストーリーの創作には必ずそれを演出に含めるような設定をしています)、人間には弱点を応援したいという心があるのです。この心の裏には、優越感を持ちたい、という人の願望が含まれているのですが、優越感を一面的一時的にでも抱くと、警戒心は消えてしまいます。心の自然な感じ方を考えればお分かり頂けると思いますが、優越感を覚える相手に対して、それと同時に警戒心を持つことは至難の技です。

 失敗経験を多く経験している人は、短所を持っているというイメージを持たせます。これが相手の警戒心を解き、懐に飛び込むチャンスを呼び込むのですね。

失敗した人=克服方法も知っている人

 3つ目の「話す内容に気を使わなくなる」、これは意外と盲点になりがちですが、とても重要です。メールなどの普及により、ちょっとしたお願い事であればIT機器を使うことも多くなってきましたが、お客さんとの打ち合わせや、社内での重要な会議、大切な話などはやはり、人と人が直接会うことは無くなりません。ビジネス上、人と会わなくても完結できてしまう職種の人もいると思いますが、プライベートの充実にはやはり対人コミュニケーションは避けては通れません。

 そのときの会話でどんな会話が好まれないでしょうか? もっと端的に言えば、どんな人が好かれないでしょうか? そうです、自分の自慢話ばかりする人です。自慢話をときには織り交ぜることで、こちらの実績を知ってもらうことも必要ですが、その話が中心になってしまうとうんざりしてしまいます。

 ですが、それが失敗経験の話だったらどうでしょうか? 「いやあ、先日こんな失敗をしましてね」という友人知人の話は面白く聞けるのではないでしょうか? 「私も昔こんな失敗をしてね」という上司の話なら、勇気付けられるのではないでしょうか?

 そうです、失敗経験を話す限り、相手を不愉快にさせることはないのです。それどころか、話ネタに困ったときは、失敗話を話題にすればいいことになります。「お客さんに失敗話をするのはどうしたものか」と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、その失敗経験を乗り越えたり、克服したりしていれば、失敗を話さないよりもより信頼を得られます。「この人は困ったときも安心だ、先回りしてなんでもわかってくれている人だ」と。

 失敗経験を上記の3つのように使うだなんてずるい、と感じた方もいらっしゃるかもしれません。ですが、中国人社会では、「賢い=ずるい」「ずるい=賢い」と表現されることが多くあります。言葉が不自由な状況でもビジネスを成功させていく華僑流処世術がここにあります。ずるさを知りつつ、それを使わない。あるいは少しだけ周りの幸せの為に使ってみる。なので、「ずるゆる」なのですね。