私たちが「闇」と呼んでいるものは、「心=身体」が持つ感覚や感情の世界にあります。「頭」にインストールされた浅い道徳感情が、「心」にある感情を安易に善/悪に二分して、そこで悪とされたものを私たちは「闇」と名付けているのです。ことに、「怒り」や「哀しみ」がネガティブなものと見なされやすく、これを封印すべく「頭」によって「心」のフタが閉められてしまうのです。

 しかし、これによって「喜び」「楽しさ」といった他の感情までもが、同時に抑圧されることになります。すると、生き生きとした感情が全般的に動かなくなって、人は生の実感が得られない状態に陥ってしまいます。そして、「頭」由来の“浅い感情”だけが空回りする、不自然な状態が生じます。

《眼をとじて》1900年以降 油彩/カンヴァス 岐阜県美術館蔵

“浅い感情”と“深い感情”

 「頭」由来の“浅い感情”とは、「頭」の持つ情報処理的な働きによって生ずる感情のことで、シミュレーションによって生ずる過去の後悔や未来の不安、他人との比較によって生ずる嫉妬やひがみ、優越感や劣等感、そして対象が思い通りになったか否かで生ずる満足感や失望、幻滅、苛立ちなどです。

 一方、私たちがネガティブな感情と見なしがちな「心」由来の「怒り」や「哀しみ」は“深い感情”であり、「愛」のバリエーションです。邪なるものに対して発動される愛が「怒り」であり、哀れなるものに対して向かう愛の形が「哀しみ」です。ですから、このような“深い感情”は、決して抑え込まれるべきものではありません。

 ここで間違えてはならないのは、世の中に横行している不快な「怒り」は、そのほとんどが、「頭」由来の“浅い”「怒り」だという点です。それは、物事が思うようにならないので爆発する、幼児的な癇癪(かんしゃく)と何ら変わるものではありません。